《【書籍化】白の平民魔法使い【第十部前編更新開始】》756.夢のような現実
私(ぬえ)の存在は曖昧だった。
呪いなのか夜なのかそれとも生きなのか。
意識が生まれた頃にはもう人の世を呪っていた。
生きているのか死んでいるのか。
殺したいのか死なせたいのか、苦しませたいのか楽にさせたいのか。
呪い(ぬえ)がいなくとも人の世は苦しみに満ち溢れていたからいる意味もわからなかった。
存在はふわふわと煙のように浮いていて。
命は曖昧に夜に溶けて。
機構のようにただ在るだけで呪う。
意識はあっても意思はない存在を生きと呼べるだろうか。
――そんな鵺(ぬえ)が生を実した瞬間が、一度だけあったのだ。
「ファニアさんの援護に行きたいですが……父上は魔力が限界ですよね」
「むしろこの老で統魔法を三度も使った私の魔法使いとしての現役っぷりを褒めてもらいたいものだ。聞きしに勝る怪だな魔法生命とは……一度使えば戦場が終わると言われた私の統魔法がまさか三度も使わざるを得ないとは」
「言っておきますが僕達が戦ったこいつは魔法生命の中では弱いほうですよ」
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「何だと!?」
けぬ俺様(ぬえ)を見張りながら自分(ぬえ)を倒した人間が好き放題に話している。
まだ鬼胎屬の魔力は漂っていると言うのに苦悶の顔とは程遠い。
この僕(ぬえ)を前にして談笑とは何たる屈辱だろうか。
……いや、仕方あるまい。
余(ぬえ)は負けたのだから。
呪いとして夜として完全に敗北したのだから扱いに屈辱を抱いているほうがおかしいのだろう。
「勝利に水を差したいわけではありませんが間違いなく。厄介ではありましたが厄介なだけです。こいつは屬の特だけで優位をとろうとしていた。
他の魔法生命なら自の個やを掲げながら僕達と戦っていたはずです。ただ相を過信する事は絶対に無いし、搦め手がばれた程度では崩れません。ミレルを襲った大百足やガザスを支配しかけた大嶽丸(おおたけまる)とは明らかに違いました」
「なんと……」
流石というべきか。他の魔法生命と私(ぬえ)の差を戦っただけで見抜かれた。
そう……鵺(ぬえ)は曖昧がゆえに生命としての個が弱い。
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に塗れた我がないというのは生命にとって致命的だ。
何の為であれ生命というのは自らのを求めてより強く生を謳歌するのだから。
……だから、私(ぬえ)は混迷を求めたのだ。
自分(ぬえ)に出來ることはそれしかなく、生前やれたこともそれしか無かったから。
「ですが、放置していい存在ではありません。すぐに核を破壊しなければ……」
「私の事はいい。まだ魔力が殘っているルクスが急げ」
「大丈夫ですか? 魔力無しでは……」
「こやつが起きれば逃げるとも。まだ強化一回分くらいの魔力は殘っている」
――だから、鵺(ぬえ)はせめてこの世界で掲げた目的くらいはやりきろう。
『……【異界降誕】』
「!!」
「!?」
ルクス・オルリックとクオルカ・オルリックが気付いたようだがもう遅い。
せめて、俺(ぬえ)の首は切り離すべきだったな。それが貴様らの唯一の失敗だ。
「何かする気だぞルクス!!」
「『鳴神ノ爪(なるかみのつめ)』!!」
『【神獣伝承(しんじゅうでんしょう)・|金九尾(■■■■■■■■)】』
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鵺(ぬえ)と宿主の命を捧げ、ここに異界の神獣を降臨させる。
天敵と呼ばれるアルムという人間でも大蛇(おろち)と九尾の二の神獣は相手できまい。
怪(ぬえ)と共に滅びろ遠き異界よ。
人の世には混迷こそ相応しい。
オルリック領。
首都アムピトから南西……ルクス達から五キロ程離れた場所でファニアは鵺の宿主であるノブツナと剣をえていた。
「っ……!」
「どうした。の細腕相手がそんなに辛いか?」
魔法使いとしては勿論、剣士としてもファニアが優勢。
の細腕と自分で言っているが、勿論強化が出來る魔法使いに男差はほとんど関係ない。わかっていての煽りだ。
ファニアは経験上、男がに負けるのを恥と考える者が多い事を知っている。ならばその點を刺激し、逃げの一手を考えさせないようにしようと挑発しているだけだった。
ノブツナの振り下ろす袈裟斬りを剣で弾き、間合いをとりながらファニアは笑う。
「大層な武を腰に下げていた割に腕は大したことないな。対人に慣れていない者のきだ。経験がないと見た」
「生憎、吾輩の刀は戦う為ではなく首を斬るためのものでね」
「悪趣味なものだ」
「綺麗な首が好きなだけだというのに……この國でも理解されないものか」
やれやれと肩を竦めるノブツナ。
剣の腕では負けている割には余裕がある。それとも首というのがノブツナにとって譲れない所だからだろうか。
ノブツナは自の背中の荷を下ろしながら風呂敷をとった。
「っ!?」
「どうだ。しいだろう。半分は鵺(ぬえ)殿が斬った首だがな」
風呂敷の中から出てきたのは大きな氷……その氷の中には首が八つ氷漬けになってっていた。
あまりに悪趣味な荷にファニアは顔をしかめる。元々鋭い目付きがノブツナを睨んでさらに鋭くなった。
「ある意味で吾輩は蕓家と言えるだろう。他の家と同じように首という作品を求めているだけだ」
「下衆は何故か蕓を言い訳に正當化する……貴様が求めているのはではなく塗られた慘劇だとわかっていないのか」
ファニアは剣を構えて魔力を"充填"する。
警戒と余力を殘す為の溫存すら惜しい。魔法生命の宿主だからという理由ではなく、氷漬けの首を見て恍惚を抱くこの男そのものをファニアは嫌悪した。
「【夜空駆る(アステ)――」
「うっ……ぶ……」
「なに!?」
しかしファニアが統魔法を唱える直前……ノブツナに変化が訪れる。
をふらつかせたかと思えば、突然口からを吐いた。
ファニアはまだノブツナとの戦闘で決定打になるようなダメージは與えていない。
「なんだ……ごれ……。あびゅ……い、ぎ!? あぎゃ……あああああ!!?」
「な、なんだ……なにが……!?」
口からボドボドと赤いを滴らせるノブツナ。
目からも涙が、鼻からも鼻が、腕は奇妙に曲がって、首には何かが住んでいるかのように蠢いている。
ファニアは何が起こっているかわからずただノブツナという人間が徐々に壊されていくのを見屆けるしかない。
「あにゃが……!? いじゃ……! ゆへ……!」
「お、おい……」
「ああ! あははははははははああああああああはあああ!?」
目がぐるぐると忙しなくき、その間もは出続けたまま。
ノブツナ自も痛みをじていないのか笑ったままであり、その常軌を逸した狀態を見たファニアからはノブツナに対する嫌悪はかき消されていた。
ノブツナの手にあった刀は地面に落ちて、ノブツナ自も全からを噴き出しながら倒れる。
ファニアはただわけもわからず……倒れたノブツナを見ることしかできなかった。
ルクスの『鳴神ノ爪(なるかみのつめ)』が鵺の首を引き裂く。
だが、魔力を全て捧げて唱え終わった鵺は口元を歪ませていた。
『もう遅い……怪(ぬえ)と宿主の命は今捧げられた』
「なん……だ……?」
鵺の首がけたけた笑う中、ルクスはすぐさま鵺から離れる。
それは本能の拒絶。は逆立ち、魂が凍るような覚。
鵺から逃げたのではなく、その向こうにいる何か(・・)にルクスは危機をじ取った。
『足りない贄はこの鵺(ぬえ)の命で補うとしよう……』
鵺の聲とは別に何かの鼓の音がする。
どこから聞こえる? 鵺から?
いや、下から? それとも……向こう(・・・)から?
「ルクス、これはなんだ? 奧の手でもあるのか?」
「わかりません……これは一……!」
聞け下等な生命よ。
その音を、いや聲を、いや言の葉を。
不完全で劣悪な者共よ。
誰も損なえぬがやってくる。
生命のカタチとしての頂點が扉の向こう側にいる。
全てのはこの存在の後に続くと知れ。
『來い……! 不完全(ぬえ)のような曖昧な呪詛ではなく……星を傾ける神獣の降誕だ……!』
空間が軋む。視界は歪んで世界の在り方すらも。
刻め魂よ。
これこそは個が辿り著く究極の一。
たとえ神がいなくとも。たとえ仏がいなくとも。
この生命は間違いなく人の世に存在する。
人の世に在り、人の記憶に殘り、人に仇なすとされ――それでも人が排斥できなかった存在が。
世界と世界を超える境界の一つ先に……いる。
「こ、れは……!」
崩れる鵺のから展開される召喚の陣。
鵺の魔力は一気に消化されて、もう魔法生命としての形すら保てなくなったのか消え始める。
それでも鵺の首は満足そうに笑っていた。
『にゅらららららら!! にゅららららららららああああ!!』
敗北したはずの鵺が笑い、勝利したはずのルクスとクオルカの表に影が落ちる。
言ったはずだ。ここからは怪の時間――
【■■■■】
――のはずだった。
「え……?」
鵺の首が聲と共に黒(・)に消える。
意味が分からなかった言葉と、咀嚼音だけがルクスとクオルカの耳に屆いていた。
――食われた。
鵺は今、食われたのだと確信する。
けなくなっていたとはいえ鵺は魔法生命……呪詛の塊に等しい鵺を食す者とは一どんな怪なのか。
【數で呼ぶなら桁が足らぬ。質で呼ぶなら芥の命などいらぬ。の程を弁えよ】
耳に聞こえてくるのは艶めかしい聲。
どこから聞こえてくるのかすらわからない聲が辺りに響き……鵺は消え、草原は枯れた。
鵺がいた場所から影がびる。
壱。弐。參。肆。伍。陸。
六本の影が大地にびた。
【詫びじゃ人間。我が尾を陸(ろく)まで數える褒をやろう】
その聲を最後に、鵺の死と聲の主の気配は完全に消えた。
殘されたルクスとクオルカはしばらくその場に立ち盡くして……噴き出した汗でようやく我に返る。
周りを見れば枯れた草原は元に戻っている。
それどころか、鵺との戦闘の跡すら消えていた。
クオルカの【雷の巨人(アルビオン)】によって砕いた大地はただの草原で……最初に鵺が現れた丘の上の墓地は荒れた様子もない。
まるで今までの戦闘すら夢の中だったかのように周囲が元に戻っていて……ルクスとクオルカの減った魔力だけが鵺を討伐した証だった。
言葉もわせぬ仲、クオルカの元がる。通信用魔石だ。
「ああ、ファニア殿……そうか。あの男は死んだか。何が起こったかは……私にもわからぬ。それでも敵が死んだのなら我等の勝利だろう。よくやってくれた。こちらに戻ってきてくれ」
ファニアからの通信で宿主のノブツナが死んだ事を知るルクスとクオルカ。
ルクスは深呼吸をして、自分の頬をパンと叩き、今起きた出來事を理解しようとする自分の烏滸(おこ)がましさを見直す。
魔法生命はこの世界の理の外から來た生命……全てを知ることなどできるはずがない。経験を積み、他の人よりも彼等の事を知っているからといって何でも自分が理解できると思い込むのは傲慢と言えるのではないか。
今の出來事を理解することはできなかったが、それゆえに気を引き締めるには十分すぎるきっかけだった。
ルクスは自分の中にあった一欠片の慢心を見直してクオルカのほうを向く。
「戻りましょう父上。ここはもう大丈夫です」
「うむ……謎は殘るが、それでも我等は勝利した。その事実を間違いなかろう」
ルクスとクオルカは鵺がいた場所に背を向けて、オルリック家の屋敷に向かって歩き出す。
もうこの地に不吉が訪れることはない。
怪はもう鳴くこともなく、怪奇が連れてきた夜はようやく終わった。
まるで一時の夢であったかのように消え去って。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一區切りとなります。
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