無事にオンリーイベントを終えた週明けの、晝休みだった。

「夏～、今日は購買行かなくて……って」

隣のクラスに、晝食の打診に來た朱葉は、友人である河野夏を見て頬を引きつらせた。

「それどころじゃなさそうね……」

廊下側の座席に座った夏は、機に座ったまま放心していた。

「つらい……負けた……もうこんな世界で生きていたくない……」

口から魂と呪詛が出ている。素材もよければ磨くことも怠らない人（座右の銘は矜恃ある聲豚）だというのに、その橫顔は真っ白に燃え盡きていた。

「ええと……一般販売？」

今日、夏が熱をあげている聲優ライブの一般販売だと聞いていた。オフィシャル先行もプレイガイド先行も玉砕して、今日の一般販売が最後のみのはずだった。

「そう……１２時からで……スマホから張り込んでたけど……瞬殺で……」

「南無……」

朱葉はとりあえず両手を合わせて前の席に座る。朱葉は毎日弁當を持ってきている。

「えーんもう絶対だめだー行けない、絶対れないよお……」

しくしくともの悲しく夏が泣く。

「だいたいキャパ狹すぎなんだよ……しかもカケルの誕生日なのに……運営わかってる絶対わかっててぶつけてる今回のライブの模様は特典になって何かまた馬鹿高い円盤買わされるんだ……なんなのそれ……なんなのそんなの買います……買うけど現場にりたかったよおおおおおお」

おめでとー、おめでとーっていうの……カケルに……みんなで……。

いよいよ夏が幻覚を見始めている。

「譲渡とかもないんだっけ？」

チケットが完売してしまったイベントでも、行けなくなった人が譲りに出すこともある。當日まで、可能はまだ０ではない、はず、だけれど。

「あるわけないじゃんんんあっても即取引立だよお２４時間掲示板にはりついてても確保出來るかわかんないし、もういくら積まされるかもわかんないもん！！！　お金で片がつくなら払います！　払いますけど！？　そんなオクで十萬も二十萬もプレミアつけられたら太刀打ちできるわけないしいい」

おいおいと泣く夏に。

「──あの、さ……」

ものすごく複雑そうな顔で、朱葉が一枚の紙切れを出した。

「これ……」

顔をあげた夏が、きょとん、とその紙切れを見る。

券面。日程。金額。

それからもう一度朱葉の顔を見て。

「正面だけど、二階席むっちゃ後方席で……雙眼鏡《オペラグラス》ないと見えないと思うけど、よかったら……」

気まずそうに朱葉が言う、皆まで言い終わる前に。

「ッギャーーーーーーーーーーーーーー！！！！！！！」

とんでもない悲鳴をあげて夏が立ち上がってんだ。

クラスメイトの視線が集まるが、子高生は生きてるだけで悲鳴を上げる生きだから、すぐにみんな興味をなくして視線を外していく。

夏はその、完売必須のプレミアムチケットの、見間違えることもない現をつかんで、それこそ目に一杯涙をためて、言った。

「あ、あ、あげはなんで？？？　なんで？？？？？　いくら積んだの？？？？？？」

「積んでないし……」

「じゃあどうしたの！？　もしかして、あたしのことしちゃったんじゃない！？　ごめん、あたしにはカケがいるから！！！！！」

「してもねーし……」

いや、嫌いじゃないけどね、と疲れた笑いを浮かべながら、どうでもよさげに朱葉が言う。

「あの、あーあれよ。近所のね。おねーさんがね。余ってるっていうから」

「マジッ！！！！　神！！！！！！！！！！！！」

ガタン、と座ると、手を組んで夏が祈った。

多分、神様ってやつに。

「えーん、いくら払えばいいの！？　なんかお禮いるの！？　グッズ代行とか！！！？　あたし始発から並ぶけど！！？」

「や、おねーさんも……ええと、別のチケットとれてるらしくてそれ、友達の行けなくなった分らしいから……後方席だし定価でいいって……でも、そのかわり」

ため息をつきながら、朱葉が言う。

「一個、條件があるんだけど、聞いてくれる？」

「ちーっす」

「ちーっす」

いつものように生準備室にっていくと、いつものようにタブレットを眺めている桐生が返事をした。

「先生、やっぱりあのライブ、夏とれてなかったから、むちゃくちゃ喜んでました」

あ、これ定価の代金です。と朱葉は封筒を置く。

花柄の封筒には、『神おねーさま、このご恩は一生忘れません☆』と書かれている。夏は是非とも當日お禮をしたいと言ったのだけれど、朱葉は丁重にお斷りをした。

桐生・神おねーさま・和人は頷きながら言う。

「うむ。苦しゅうない」

「でも、むちゃんこ激戦だったって夏言ってましたけど……よかったんですか？」

朱葉の問いに、桐生は元から一枚チケットを取り出し、言う。

「先生一階席二列目センターだお☆」

「わーきたねー」

大人って汚い。チケット複數枚取りをして、良席抜きをしたに違いない。

朱葉が友達の聲オタである夏の話を桐生にしたところ、桐生の方からチケットを譲る話を持ちかけてきたのだ。

「それより早乙くん、俺の條件は言ってくれた？」

「言いましたよ……」

プレミアムチケットを定価で譲る代わりに、彼が提示した條件はただひとつ。

『今後一切、ダフ屋と定額以上のオークションは使っちゃだめ』

その條件に、夏は首をかしげながらも、神妙に頷いた。

神様の言葉はやっぱり偉大だ。桐生は頭の上で両腕でバッテンをつくって言う。

「転売、絶対殺すマン☆」

いつもとだいぶキャラが違う。さては良席が出て浮かれているんだな？　と心の中で朱葉は思った。面倒だったのでそれにはふれず。

「あのー、あれ、先生もウチワとかつくるんですか」

デコ団扇は夏の十八番だ。桐生もやるのだろうかと思って言えば。

「ウチワなどなくとも俺にはこの持って生まれたアドバンテージがある」

キリッとキメ顔で桐生が言う。

「ガチ前方席に男がいるだけでファンサＧＥＴだぜ」

ドブネズミみたいにどこまでも汚い教師だなと朱葉は思ったけれど、今日は夏の神おねーさまな手前、黙っておいてやることにする。

「ああーでもカケル誕なんだよな～どうしよっかな～」

「好きにしろよ……」

「早乙くんも興味あったら言ってくれていいんだからな！」

まだちょっと浮かれ気味な桐生をあしらうように、「わたしにも余りチケ工面してくれるんですか？」と聞き返せば。

「いや、相手が早乙くんなら俺のチケットでらせるよ」

と返事をされて、驚いてしまう。

「え、なんで？」

と思わず聞いたら。

「はまったら俺青×赤の赤総けだからよろしくね☆」

なんてことはない。ただの布教だった。

お前はそういう奴だよ、と朱葉は思った。