《腐男子先生!!!!!》36「二次元は、ノーカンでお願いします」
忘れがちだが、ものすごく忘れがちだが、生教師である桐生和人は若く、イケメンで、なおかつ獨である。
噂では、人もいないらしい。
「──以上。ここまで」
授業を終えて部屋を出て行った桐生を、ばたばたと生徒が追いかける。
「せんせー! チョコレートもらって!」
その景を、開いたドアの向こうに朱葉は見ていた。いつものように、どちらかというと野次馬で。
桐生もまたいつものように、
「収賄罪、という言葉を聞いたことは?」
授業のように淡々と、生徒に返す。
「公務員が,その職務に関し,賄賂を収し,あるいはその要求や約束をしたとき、それは収賄罪にあたり、五年以下の懲役にあたる」
だからけ取れません、と教科書でガードする。
えー、と生徒は不満げだったが、とりつく島なく、すたすたと桐生は歩いていってしまう。
案外、オンの時だって桐生の口調はオタクだよな、と朱葉は半ば呆れたように思って、小さく呟く。
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「収賄罪、か」
公務員だからねぇ、と思うは思う。いや、だとしたら自分はものすごく賄賂を要求されているのでは? 賄賂とは? 自分に見返りがあったっけな?
(まあ、別に)
見返りがしくて絵を描いてるわけではないし。
好きになってもらったら、それより嬉しい見返りなんて、ほとんどないだろう。廊下から目をそらして、外を見る。
バレンタインデーの空は、冷たい風の吹く青空だった。
「あげは!!!! 鬼やばいくそやばい!!! LINEおくったから見て!」
放課後教室に走ってきた夏が、しゃがみ込みながら言う。
「だからあんたね、校は攜帯止だって……」
「いいからはよ!! 今見て! すぐ!」
コートに隠して見るよう促されて、朱葉も苦笑しながら開いてみれば。夏から屆いていたのは、一枚のコスプレのURLだった。
「わあ……」
開いた朱葉も思わずしゃがみこんでしまう。そこに寫っていたのは、なのだけれど、吸い込まれそうな目といい、白いといい、それから……ガーターベルトの覗く足下といい。
卑猥さはまったくないのに、ちょっと、興しそうなくらいっぽい寫真だった。
「キング~~!! になっても最高です~~!!!!!」
夏が鼻でも出しそうなほどの興で言う。
撮影者書いてないんだよ~誰が撮ってるのかな~! うらやましすぎる! という夏に、
(多分……)
心當たりはあったけれど、朱葉はお口にチャックをしめて。
隠れて覗いたついでに、いくつかの通知をチェックしていたのだけれど。
「!」
ひとつの通知を見て、朱葉の顔がかわる。
赤い顔をして、ぱくぱくと口をかして。
「ちょっと!!!! わたし、行くね!!!!!」
し驚いた顔をしている夏を置いて、走り去る。
目的地は、生準備室。
階段は一足飛ばし、廊下もダッシュで扉の前につくと、ノックもまばらに、り組んだ部屋の中にり込んで。
「先生!! ハッピーバレンタイン!!!!!!」
そうんだ。その、あまりの思い切りのよさに。
「お、おう」
先生も飲んでいたコーヒーの手を止めて言う。
「聞いて!!!!!!!!」
バン、と機を叩いて、朱葉が言う。
「チョコが推しに屆いたみたいなの~~!!!!」
そして朱葉が取り出したのは、スマートフォン、その、推し漫畫の公式LINEで。漫畫家からのお知らせや編集部からの告知がるそのアカウントに。
>今年も、たくさんのチョコレートが屆いております!
その一言とともに、アップロードされているのは、山と積まれたチョコレートの寫真。それから、簡単なイラストではあるけれど、バレンタインのお禮イラスト。
それから、「集計のうえ、ホワイトデーには何かお返しがあるかも?」とあった。
「えーーーん送ってよかったよ~~! めっちゃ考えたの! 迷かなって思ったし、雑貨とか、しょっぱいものとか、いやいやいっそイラストとかの方がいいの!? とか思っちゃったりしちゃって。でも、でもでも! やっぱこういうのは、気持ちだと思って! すごい気合いいれて、似合いそうなチョコレート選んだんだ~~! 食べてしい! ううん、食べてくれなくても!! わたしの! が! 理で伝わったなら!!」
そんな風に、興気味に喋ってしまったけれど。
「…………」
桐生は黙って、自分の方で開いたタブレットを覗いている。ちょっと伏し目がちなその表に、あんまりの起伏が見えなくて。
「………………先生?」
ちょっと、のぞき込むように、聞いてみた。けれどまだ、返るのは、沈黙。
(ええ、と……)
どうしようかな、と思った、その時だった。
コンコン、と扉が叩かれる音がして。
「──お邪魔します、桐生先生いらっしゃいます?」
そんな聲が、耳に屆いたから。
朱葉は迅速だった。慣れていたといってもいい。ぱっとを翻して、ってきた人に姿を見られないよう棚の裏に隠れる。
隠れたあとも、まだ興冷めやらぬ気持ちで、端末畫面を眺めていたのだけれど。
「──どうかしましたか?」
先生の聲が、いつもの、生徒に対するものとはちょっと違っていた。
「こちら、教諭一同から、安なのですが、チョコレートです」
あ、先生だ、とようやくその時になって朱葉も気づいた。この聲は、家庭科の小田先生だろうか?
先生達も大変だなあ、と思っていたら。
「あの……すみません、せっかくですけど、今年はそういうの全部お斷りしてるんですよ」
桐生の、そんな言葉が聞こえた。
(へ?)
朱葉はちょっと驚いて、耳を澄ます。
何故だろう。確かに、生徒には収賄罪とかなんとかいっていたけれど、同僚のそれは、斷るようなものだろうか?
どう考えても義理だろうし、つきあいの一環なのでは?
「甘い、お嫌いでしたっけ?」
小田先生も、不思議そうに聞き返す。
「いや……そういうわけじゃないんですけど」
苦笑するような気配だけが、朱葉にも屆いた。
それから、ぽつりと。
桐生が言った。
「──そういう、取引が、あって」
耳を、疑った。
(え?)
いや、まさか。いや、でも。……まさか、だ。
(「先生、ちょっと、お取引をしませんか」)
去年のクリスマス。そう言ったのは、確かにそう言ったのは朱葉で。
(「わたしが卒業するまで、彼とか、つくらないで下さい。──わたしも、つくらないから」)
そういう、ことか。
そういうことだ。
取引を、持ちかけたのは自分だった。彼とかつくらないでしいと。そういうのを、あらゆる面で、守ろうと、多分桐生は、してくれて。
(え、それって)
めっちゃ律儀、だけど。
(なんかすごい、恥ずかしい、ん、ですけど……)
朱葉は、さっきキングのコスプレ寫真を見た時よりも、推しの公式LINEを見た時よりも、なんだかもっと耳の先まで赤くなって、へたりこんでしまう。
めちゃくちゃに恥ずかしい。なんでかは、わからない。
でも、今の今までの、桐生との會話を思い出して。
言わなきゃ、と思った。
不思議そうな小田先生が去ったあとも、しばらく朱葉は顔を出せないでいたけれど、おそるおそる、赤い顔の、鼻と口元を両手で覆うようにして、桐生の前に進むと。
「あの、先生」
「はい、なんでしょう」
そのまま、顔の前で、お願いのポーズをとって。
消えりそうな、小さな聲で言った。
「…………二次元は、ノーカンでお願いします」
桐生は、そんな朱葉の顔を、ちらりと見ると。
「大丈夫」
淡々と、タブレットを作して。
さっきがあくほど眺めていた、とあるSNSの漫畫公式からの告知を取り出し、言った。
「俺も送ってる。段ボール箱で♥」
「お前も送ってんのかよ!!!!!!!!!!!!!!!!」
思わずそうぶと、朱葉はなんだかもうすっかり頭にちがのぼってしまって。
恥ずかしくなって損したわ! バーカバーカバーカ!!
そう言いながら、ばたばたと部屋を出て行く。
「あ、」
椅子から腰を浮かして、その背中を追おうとし。
ドアが開いて閉じる音を聞いて、桐生は椅子に座り直す。
「バレンタイン絵待ってるって言い損なった……」
それは、桐生にとっては一生の不覚とも思えることだったけれど。
(まあ、いいか)
と、思う。
朱葉の、あの、真っ赤な顔を思い出して。
自分は、今日という日、十分に……、いい思いはさせてもらったと、桐生は思った。
それから、ほんの一時間ほど後のことである。
その日の仕事を終えて、生準備室をあとにしようとした桐生は、出て行くドアの、足下に。
ひとつの箱が置かれていることに気づいた。
「…………」
拾い上げる。無造作に、置かれたそれは。手作業らしいシンプルな包裝で、差出人の名前は無かったけれど。
『Happy Valentine's Day!』
その、書き文字の癖には、見覚えがあった。
「……………………」
別に誰から隠れるわけでもないのに、機に戻って、その奧で。
しゃがみ込むみたいにして、開けた。
箱を開いた、瞬間に、カカオの甘いにおいがして。
「…………………………………」
ころがり出てきた、チョコレート。は。
「たけのこじゃねーーーーーーーーーーか!!!!!!!!」
思わずつっこんでしまった。桐生和人、圧倒的きのこ派の28歳。
思わずつっこんで、思わず怒って、それから思わず、笑をしてしまう。
最高だな、と思いながら、桐生がそのチョコレートを、宗旨を曲げてでも口にしていけば。
底に隠された、ご褒がわりの手書きのバレンタイン絵に気づくことになるのだけれど。
それはまた、しあとの話だった。
はっぴーはっぴーばれんたいんなんだぜ!!!!!
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