《腐男子先生!!!!!》51「人生からブロックされたら、すごく、困る」
『え、それで言わなかったわけ? どういうこと? マジで?』
馬鹿か? と歯に著せぬ様子で言ったのは秋尾だ。スタジオ合わせの休日コスプレ帰りの車。ワンボックスカーの後部座席では、キングが布をかぶって睡している。新學期から、朱葉の擔任になったという話を、ぽつぽつとした助手席の桐生に対して、矢継ぎ早に秋尾は言った。
『守義務がどうのこうのってそんなの言い訳だろ。俺があげはちゃんなら速攻わかるね。お前が言わなかったんじゃなくてビビって言えなかっただけだろって』
別に、びびってるわけじゃ。
ないし、とタブレットから顔を上げずに桐生が言う。
『ビビってんだろ。都合が悪いと思ってるんだろうよ。それでもお前が名簿見て最初に見て驚いただけの衝撃を、あげはちゃんだってけるはずだろ。それなら先に言ってやるのがせめてもの優しさってやつだろ。優しさじゃなくても、それが信頼関係なんじゃないのかよ。ただの教師と生徒だけじゃないって言うなら、それくらいしてやるべきなんじゃなかったのか?』
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秋尾はこういう時に、正論をためらわない。貴重な相手だとは思うけれど……耳が痛いのも、事実だった。
『だいたいお前はあげはちゃんの優しさに甘えすぎなんだよな。立場がどうこう以前に十も年下のの子に守られてるのは、圧倒的にお前の方じゃないの』
じゃあ、お前なら、どうするっていうんだ。
八つ當たり気味に桐生が聞いた。運転席で、桐生を橫目ににやりと笑って秋尾は言う。
『俺ならとっとと捕まえて離さないね。職場を変えるんでも仕事を変えるんでもいい。立場なんか捨てて速攻迎えに行く』
シートにを埋めて、ぱちぱち、と力なく桐生は手を叩いた。
ご立派。男前。
『馬鹿にしてんのか?』
ちょっと本気で腹を立てた聲で秋尾が言うけれど。
そんなことない。けっこう萌えた、と桐生が言ったので。
秋尾はいよいよ嫌な顔をして、『俺はお前は嫌だけど』と言った。
俺だって嫌だよ。
そう桐生は答えたけれど。男前で、お節介な、馴染みの友達の意見を、おとなしくありがたく聞いてもいたのだ。
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『まぁ、悩むだけ進歩だよな』
最後に秋尾はしみじみと言った。
『正直ちょっと意外だよ。ちょっとでも、面倒なことになったら、もういいかって思っちまうのが、お前のだと思ってたから』
もういいかとは、思わないんだな。
その言葉に、思わないよ、と桐生は答えた。
思わないよ。もういいかなんて、思ったことはない。
始業式は、あくびが出るほど退屈だった。
「ねむいよぉ……」
パイプ椅子の隣に座った夏が、かったるそうに朱葉の肩に頭をのせてくる。「叱られるよ」と肩でつつくが、どこふく風だ。
式典は主に手狹な講堂で行われるが、まだ學式は迎えていないため、三分の二しか生徒がいない講堂は、どこか薄ら寒かった。
頭にまったく殘らない校長先生と生徒指導の話を聞き終わり、新任の教師の挨拶があった。
「今年は若いせんせーはだけかぁ」
殘念そうに、夏が呟く。イケメンハンターとしては足りないらしかった。
「桐生先生で我慢しておくっきゃないね」
「まだそんなこと言ってんの」
小聲で朱葉が呆れる。もともと、桐生は夏の「推しメン」だったわけだけれど、移り気な彼のことだった。心にいっぱい思い人を飼っているため、あまり真剣にはけ止めていない。
「やっぱりあの顔面は捨てがたいもーん。でもなぁ……先生、彼出來たんじゃないかって噂もあるんだよねぇ」
「マジで?」
思わず聞き返してしまう。
「マジで。バレンタインも前より完全ガードだったし、三年生の先輩にも、好きな人がいるってふられたひとがいるらしいって」
(それな)
と、朱葉が思わず心の中で言う。
それは、それだが。
違う……のを、知ってはいたが、言えるわけもなく、黙っていた。
「案外相手は生徒だったりして……」
「そんなわけないじゃん」
思わず聲をあげてしまって、周りが驚いたようにこちらを見たけれど、上手く拍手の音にかき消された。
「そんな、リスキーなこと」
朱葉が、そう、囁いて。自分で言ったことが、ちょっとだけ……刺さった。
(──そんな、リスキーなこと)
するわけないよ。わかってるよ。ふと、さまよわせた視線が、育館の隅に立っていた桐生と、あった。
(あ)
と思ったけれど、すっと、流れるように視線をそらされた。
(こっち見てたじゃん)
多分、朱葉が聲を上げちゃったからだろうけど。
(あーあ)
ここで朱葉の好きなBLなら、二人は育館を飛び出していくのに。
けど、朱葉と桐生はBでもLでもないので、そんなことはないのだ。
おざなりな校歌斉唱が終わって、始業式が終わる。教室ごとに講堂を出て、クラスに戻るのを、一番後ろから桐生がついてきている気配がしていた。
「せんせー、休み時間は~」「そんなもんないからとっとと帰りなさい」「俺便所~」「一分で済ませそれ以上は大と見なす」
三階まで上がる階段をだらだらとのぼりながら、朱葉は隣の夏の背中を押す。
「ちょっと先行ってて」
「なに~? どしたの?」
「ちょっと、用事」
足を止めることはなく、それでも、クラスメイトにひとりまたひとりと抜かされていって、最後尾に。
文系最後のクラスだから、二階以降、後ろをついてくるクラスもなくて。
(話せるかな)
一番後ろで。ちょっと、考えたのだ。何を言うってわけではなかったけど、あとで、本、もって行きます、ぐらい。言えたらいいな、と思ったぐらいで。
話せなくても、まあいいかなって。
思ってた。
一歩。
また、一歩。
一番後ろから、ゆっくりのぼってくる、桐生の気配がして。
「そういえば先生、これからさ~」
前行く男子生徒が、桐生に話しかけるため振り返った、その時だった。
「──あれ?」
そこには、誰もいなかった。
ひとつ下のフロアは、ひとけのない特別教室ばかりで、靜まりかえっている。
さっきまで、いたと思ったのに。
それだけ思って、また、階段を上がっていった。
「──行った?」
「行った、と、思う」
階段のすぐそば。普段は委員會の會議室として使われる、長機の置かれた部屋で。
朱葉は桐生としゃがみこんでいた。
突然のことだった。最後尾、聲をかけようとした瞬間、腕を引かれて。そのまま聲を上げる間もなく、廊下から逃げるように、近くの會議室の中に。
ざわめきが遠ざかるのを聞いて、二人、長い長い息を吐く。
「び、びっくりした……」
何が起こったのかわからなかった。でも、息を詰めた。
多分、これは、、だと、思ったから。
「え、何?」
それでもまだ転していて、座り込んだまま膝を抱えて聲を殺して傍らの桐生に尋ねる。
「どした? どした?」
「悪かった」
しゃがみこんで、うなだれたままで、桐生が言う。その顔は、見えない。
「何が?」
「いや、黙ってて」
「なんで謝るの?」
いや、そりゃ言えよって思ったけど。
言わないでいたって、どうせわかることだった。なってしまったものは、仕方ないし。
「もしかして、先生がクラス替えに手を加えて……」
「それは、してない!!」
強く否定された。擔任になるのが嫌だったと言われるみたいで、なんかそれはそれで複雑だった。
「してないけど……」
うなだれたままで、桐生が、言う。
朱葉はなんとなく、言葉もそうだけど、自分の手首が気になった。
まだ、桐生が摑んだまま。握ったままで。
「擔任なんて面倒で。早乙くんの人生からブロックされたら、すごく、困る……」
そんなことを、けない聲で、言うので。
「わたしそこまで脳直ブロッカー(すぐブロックする人)じゃないよ!!」
思わず聲をあげて言ってしまった。言ってから、慌てて自分の口を塞いだけど。
「知ってる」
ちょっとだけ顔を上げて、桐生は笑う。どこか、けない、困ったような顔で。
「早乙くんは優しいから」
と言った。
朱葉はなんともいえない顔をして、上を向いて、下を向いて、桐生を向き直って、言った。
「優しいし、結構、強いよ」
自分で言うのも、なんだけど。
「知ってる」
桐生はまた、し笑って低い聲で言った。
「先生は結構けないね」
「知ってるだろ」
「知ってる」
けなくて。きもくて。面倒くさい。先生されてることも面倒なのに、擔任なんて、もっと、面倒。
だけど。それはもう、知ってることだし。
……だから、嫌だとは、言ってない。
あえて、嫌だなと、直してしいと思うところといったら。
「戻ります、教室」
ゆっくり立ち上がりながら、朱葉が言う。摑んでいた腕が、するりとほどけて。でも、離れきらなくて。
指先を、し、握りながら。
「──先生、すぐ、信じてとかいうくせに」
しゃがみこんだままの、桐生を、のぞき込みながら、朱葉が言う。
「案外、わたしのこと信じないよね」
どこか、不敵な笑みを、最後に。手をほどくと。
「ちゃんと、サボらず來てよ、先生」
それだけ言い殘して、朱葉は會議室を出て行く。殘された桐生が、どんな顔をしていたのかは、朱葉にはわからない。けれど朱葉は、
(しっかたないなぁ……)
わりと、結構、覚悟を決めた、顔をしていた。
素知らぬ顔で朱葉が騒がしい教室に戻った、そのしばらく後に、やっぱり素知らぬ顔で、桐生が現れた。
軽口をいくつか叩いて、クラス委員を決める段取り。
まずは、クラス委員長からだった。朱葉の通う高校では、日直という制度がないので、クラス委員長は長がついておきながら、超のつく雑用委員で知られている。毎日の日誌の提出から、諸々教師とのパイプ役。主に雑用ばかりの仕事だ。だから、なりたい人は滅多にいない。
「誰かいないのか? 先生クジ引きや投票で決めるの嫌いなんだよな。だいたいなった奴が職務放棄をしたりするだろ。ここはひとつ、立候補でビシッと決めてしいんだが」
生徒は笑いながら、「時給くれ」「申あげてくれるなら」「いっそ點數ちょうだい」と軽口を言い合う。桐生はそれらをあしらいながら、けれど、簡単には決まらないのだろうなと、諦めが表に出ていた。
その時だった。
「ハイ」
教室の、後ろの方で。
手を上げたのは。
「やりましょうか」
早乙朱葉、その人で。
「わたし、やってもいいですよ」
虛を突かれたような、桐生の顔に。朱葉がにやりと、笑う。
雑用でも、リスキーでも、なんでもござれ。
今し方、捕まれた腕を、軽く自分で握って朱葉は思う。
ブロックなんて、してやらない。
あなたがわたしを信じてくれないのなら。
わたしの方から、いくらでも。踏み込んでいく、用意があるのだ。
まだもうちょっと続く、新學期編なのじゃ。
はやくうまいこと落ち著きますように(祈)
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