「お待ちしておりました。あなたが私の師となってくださる方ですか？」

１０歳になったある日の夜、寢ようとしていたセシルは置部屋の空間が歪んだのを見て、ベッドから半を起こしてそっと聲をかけた。

「へぇ、驚かないんだ」

人にすら見えない黒いが、ゆっくりと揺らいだ空間から聲を発した。その異形の塊がだんだんと人型を取り、目元まで隠れるフード付きの漆黒のローブを羽織っている人間だというのが分かった。

「考えていたのです。『妖の取替え子』について」

セシルはじっと黒い塊から目をそらすことなく、言葉を紡いだ。

「確かに『妖の取替え子』現象は、昔から延々と続いているようです。でも、誰も妖を見たことがない。ならば、本當に妖はいるのでしょうか？　現象があるから妖はいる？　それなら、現象があるから、人と人をれ替える魔法がある、と考える方が自然ではないですか？　そう考えたら、私のこの魔力はそれを行える力だと思いました。そして、未だに『妖の取替え子』現象があるなら、その魔力のある人が常にいる、つまり師が存在するということです。それなら、きっといつか私の前に師が現れてくれると…」

無表で淡々と話しながら、セシルの目からは靜かに涙があふれだした。

ずっとげられていたセシル。『妖の取替え子』と伯爵家の皆に蔑まれて。でも、本當に自分は取替え子なのか。どう考えても、セシルは自分が妖には思えなかった。魔力は異質というが、通常の生活で他の人間と異なるところは見けられない。伽噺にあるような妖ならば、もっと小さかったり、羽が生えたりしているのではないか？　あるいは、息をするように悪戯をするのではないか？　そんな姿でもない、悪戯もしようとは思わないセシルは、やはり自分は普通の人間でしかないという結論に達した。

ならば、この異質な魔力は公にできない何かの屬だったりするのではないだろうか。

そう考えたときに、『妖の取替え子』現象を起こせる力…その力の危険に気が付いた。

もし王や要人を敵対勢力の前に移出來たら？

もし自分の持っている力が特殊な屬だとしても、それはきっと危険な屬で、誰彼構わずやり方を教えてはいけない屬なのだ。だから、妖という概念を出して、この現象が新たな屬であるとわからせないようにしているのだ。

ならば、私は？　とセシルは思った。もしこれが人を移させることが出來る特殊で危険な屬だとして、それなら私は、使い方を教えてもいいと思ってもらえるだろうか？

それからのセシルは、今まで以上にそのを律した。誰かがこっそり自分を見ているかもしれない。人の移ができるなら、こっそり屋裏とかに來たりして自分を見るくらい、お手のかもしれない。１０歳になって魔力が安定したころ、自分に教えてもいいと師が來てくれるかは、きっとセシルがいい子かどうかで決まるのだ、と。

自分の狀況を常に考えていたセシルは、教師が付くようになって多方向から思考を行うことを學んだ。また、初歩ではあるが屬についても説明を得るようになったセシルは、８歳の頃には上記の考えを持つに至った。それからは、ひたすらに待った。１０歳の頃にはきっと師が來てくれる。時に暴力を振るわれ、折れそうなセシルの心がそれでも挫けなかったのは、ひたすらその思いだけであった。

逆に自分が妖ではないのではないか、つまりは伯爵家の人間と本當に家族なのでは、と考えたときに、家族に対しては潰えた。い子供に対して、暴行を加えることに躊躇ない家族…そんなものは家族ではない。罵詈雑言や暴力をけても、反論はせず黙って時が過ぎるのを待った。自分が彼ら同様に暴力的な人間だとか、危険思想ありとか思われないように、ただ只管おとなしく師が來る日をただ待ちわびていた。

その、師が、今日ここにいる。

自分の考えが正しかったこと、本當に師が來てくれたこと、それが嬉しくて仕方がないのに、５歳の時から笑顔になることがなかったセシルは、泣いて許しを請うことすらかえって彼らの怒りを増長することを覚えたセシルは、その表すらかすことが出來ない。ただその瞳から、靜かに涙が伝う。

そっと、男が靜かにセシルの前に移した。その手がゆっくりとセシルの頬にれ、その涙を優しく拭う。

「今までよく頑張ったね、セシル」

男が近づいたことによって、ベッドに半しか起こしていないセシルは、フードに隠れていた男の顔を見上げることが出來た。彫りの深いその顔は目つきも鋭く、どちらかというときつめな印象をけたが、しかしその慈に満ちた瞳に、その優しくれてくれた手のぬくもりに、セシルはこの人に一生ついていくと心に決めた。

自分に優しくしてくれた人など、５歳の誕生日以降初めてだったから。雛が目の前にあるものを親と刷り込まれるのと一緒かもしれない。それでもいい。私は、師がむなら何でも、どんなことでもしよう。

１０歳のセシルは、まだ名も知らない師に対して強く心に誓った。

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