《辺境育ちな猿百合令嬢の憂鬱。〜姉の婚約者に口説かれました。どうやら王都の男どもの目は節らしい〜》(31)帰宅すると
ふん、ふん、ふふんふんー。
歩きながらの鼻歌は、王都で覚えた歌だ。
遊詩人が通りで歌っていたもので、冒険ものと思って聞きっていたら歌だったという私にとってはがっかり曲なのだけど、その遊詩人は作曲の才能があったようで、歌詞はともかく旋律は耳に殘っていた。
今日のように楽しい気分になっていると、つい鼻歌で出る。
いい気分だ。
セレイス様と會わずに済むようになったし、お兄さんにも會えたし、オクタヴィアお姉様はいつも通りにとてもおしいし、人生は最高かもしれない!
歩きながら、私は左手を上げて腕を見る。
長袖の下に隠れているけど、この下にはお兄さんのお守りがある。袖を捲ったとしても私には全く見えないのが殘念だ。
でも、お兄さんの指が描いていた形はなんとなく覚えている。どんな意味があるか、屋敷に戻ったらロイカーおじさんに聞いてみようかな。
そんなことを思いながら、私は屋敷を囲む塀にスルスルと登って、ポンと敷地の中にった。幸い、見渡した限りでは人影はない。
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メイドたちに騒がれる前に、こっそり中にってしまおう。
と思ったのに。どこかの窓から潛り込もうと裏側に回りかけた時、屋敷の玄関が開いた。
「リリー! また抜け出していたのね!」
現れたのはオクタヴィアお姉様だった。
に隠れかけた私は、諦めて開けた場所に出た。お姉さまは駆け寄りながら全をチェックしたようだ。私の前に立った時には、ほっとしたように微笑んでくれた顔は、領地でのお姉様と同じでちょっと嬉しくなる。
怪我がないことを確認したお姉様は、拳コツンではなく、私の頬をふにゅっとつまんだ。
「今日も、位置確認用の魔道を置いていったでしょう? 遊びに行くのは許してあげるから、せめて、どこへ向かうかは教えてちょうだい」
「ごめんなさい。……でも教えてしまったら、誰かが追いかけてくるんでしょう?」
「それは、そうなんだけど」
お姉様はちらりと私の背後を見た。
振り返ると、疲れた顔のイケオジ魔導師ロイカーおじさんがいた。ロイカーおじさんは私と目が合うと、苦笑いを浮かべて首を振った。
「ちび嬢ちゃん。頼むから普通の道を通ってくれ。塀を越えたり壁の隙間を抜けられると、尾行班が追いつけないんだ」
「……尾行班? えっ、もしかしてついてきていたのっ?」
「途中まではな。今日こそ行き先を突き止めるつもりで俺も參加したんだが、王都は魔導結界が多くてな。時間がかかりすぎてダメだった」
……今日こそ?
もしかして、今までも尾行されたことがあったの?
気付かなかったな。まあ魔導師が相手なら、私には気付きようがないか。そもそも練の本職の尾行班がいていたのなら、私では絶対に気づけない。
でも、ちょっと待った。
魔導結界ってなんだろう? そんなは見たこともじたこともない。でもロイカーおじさんはそのせいでうまく追いかけることができなかったらしい。へぇー……。
「……私、普通にけるよ?」
「それはお嬢ちゃんだからだよ。昔から結界抜けが得意だっただろう?」
はて。
私は領地でしか過ごしたことがないんだけど。まさか、領地に結界があったのだろうか。
首を傾げると、ロイカーおじさんは苦笑した。
「あるんだよ。この屋敷にもある。敷地にったら、すぐに迎えが出てくることに疑問を持たなかったのか?」
「……お姉様のと思ってました」
「まあ」
オクタヴィアお姉様は目を大きく開き、それから堪えきれずに笑い始めた。
どうやらお姉様の笑いのツボにったようだ。そんなに面白いことを言ってしまったかな?
首を傾げると、ロイカーおじさんまであらぬ方向に目を彷徨わせていた。ごまかしているつもりかもしれないけど、肩がプルプルと震えている。なぜこんなにけているのだろう。
私は思わず首を傾げてしまった。
「オクタヴィア。まあ、ではないだろう」
ふいに、低く深い聲が聞こえた。
慌てて向き直ると、屋敷の玄関扉にもたれかかるように立っている人がいた。
気配は全くじなかった。
鮮やかな金髪と紫の目、それに端正な顔立ちはお姉様とそっくり。短く刈り込んだ顎髭が灑落者らしさを醸し出している。
「……お、お父様」
呆然とつぶやき、それから急いで姿勢を正した。
その間に、お父様は……アズトール伯爵はゆったりとした歩調でやってくる。四十代の半ばを過ぎていて、それほど若くないはずなのに、久しぶりのお父様からはじろぎすら許さないような圧力をじる。
腰でい音を立てているのは、ただの剣ではない。魔剣だ。平和なはずの王都でも、お父様は領地と同じ武裝を貫いているようだ。
すぐ前で足を止め、お父様は無言のまま私を見下ろした。
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