《辺境育ちな猿百合令嬢の憂鬱。〜姉の婚約者に口説かれました。どうやら王都の男どもの目は節らしい〜》(43)帰り道
ゼンフィール侯爵邸の前で待っていた馬車は、見たことのない紋章のったとても立派な作りをしていた。
馬もがっしりとしているのに、とてもしい。
いかにも乗り心地が良さそうだ。アズトール家の馬車よりすごい。馬の質ではそんなに負けていないと思うけど。
思わず立ち止まってしまった私が、しげしげと馬や馬車を見ていると、ゼンフィール家のメイドから何かけ取ったお兄さんがやってきて、眉をかした。
「何をしている。早く乗れ」
「いや、でもですね。……この馬車、いったいどのお家のものなのでしょう?」
「私の馬車だ。だから気にせずに乗れ」
いや、気にしますよ!
でもお兄さんの目が冷たいので、私は大人しく乗り込んだ。
そっと座ってから、地下室の床で座り込んでいたことを思い出し、私のドレスが汚れていたかもしれないと慌てた。でも向かいに座ったお兄さんは、私をチラリと見てため息をついた。
「気にするなと言っただろう。多土埃がついたとしても、大したことではない」
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「でも……」
「忘れているようだが、お前は拉致された被害者だ。そんなお前のせいで汚れたとして、それを怒るほど私の家の使用人たちは心が狹くはないぞ」
……そうかな。
お兄さんがそう言ってくれるなら、気にしないようにしよう。私は事件の被害者だからね。うん、ちょっと忘れていたかもしれない。
怖かったのは確かだけど、お兄さんがすぐに來てくれたし、黒い犬にたっぷりらせてもらって癒されたし、黒い犬がなんか本を見せようとしていたし……。
いや、最後のは忘れるべきことだった。
それより、支度を整えよう。そっちの方が建設的だ。
私は自分のドレスを見た。見える範囲ではそんなに汚れていないし、破れたりもしていない。どのくらいの時間かはわからないけど、床に倒れ込んでいたからし変なシワはついていた。それも、綺麗にばせばそのうち目立たなくなるはず。
軽く引っ張ったり、ばしたりしていると、お兄さんがメイドからけ取った袋から何かを取り出した。
用の櫛だ。
渡してくれるのかと思ったのに、私を見てし悩んでいる。珍しい。
「……お前は、支度はメイドにさせていたのだったか?」
「ドレスはいつも著せてもらってますけど」
「髪は整えられるか?」
「凝った形に整えるのではなければ、一通りは」
私は庶民育ちだったから、最低限の支度くらいはできるのだ。
でも、を張った私が櫛を使って髪を解こうとした途端に、顔を変えて櫛を取り上げられてしまった。なぜ?!
「お前の一通りは、令嬢としてではないということだけは分かった」
「あの?」
「私がやってやる。場所からをあけろ。そちらに行くぞ」
お兄さんは私の橫に座り直すと、有無も言わさずに髪を解き始めた。
まず先から丁寧に櫛をれていうのは、メイドたちのやり方と同じだ。それに手つきもとても優しい。
ふーん、の髪の手れに慣れているなんて、それはつまり、いわゆるたちの髪を……。
「言っておくが、お前が想像しているような遊びのせいではないからな」
「では、誰の髪で練習したのか聞いていいですか? お兄さんも髪が長かった時期があったとかですか?」
「……昔、母の髪を整えていたことがある」
まともに答えてくれるはずがない、と思っていたのに、お兄さんはぽつりとつぶやいた。
でもそれ以上の言葉はなく、お兄さんは無言で私の髪に櫛をれて行った。しクシャッとれていた髪が、きれいになっていく。癖があるからサラサラにはならないけど、ふんわりとしている。もちろんどこも絡まっていない。
でもお兄さんはそれで終わらず、窓の外を見てまだ時間があることを確かめた上で、さらに髪に何かし始めた。軽く引っ張られる覚もあるから、何かの形に結ってくれているらしい。
お兄さん、凝りですね。
まるでメイドたちに支度を整えてもらっているようで、私はだんだん眠くなってきた。頭をかしたら絶対に怒られる、と思うのに目が重くてたまらない。
「できたぞ。……寢るのは家族に無事な姿を見せてやってからにしろ」
お兄さんの聲が耳元で聞こえ、私はハッと目を開けた。
背筋をばすと、お兄さんが向かいに座り直すところだった。窓を外を見ると、見慣れた木が見えた。屋敷の敷地にっているようだ。
帰ってきた。
ふとそう考えて、急に嬉しくなってきた。
程なく馬車が止まり、私は急いで立ち上がる。でもお兄さんは冷たい目で私を見て、ため息をついた。
「……し待て」
そう言うと、私より先に降りてしまった。
でもそこで振り返り、私の方へと手を差し出す。一瞬、何があっているのかと悩んだけど、これが淑への作法だと気が付いて急いでお兄さんの手を借りることにした。
お兄さんの手は、やっぱり大きい。
お父様ほどゴツゴツいていないけど、私が重をかけても揺らぎはなさそうだ。だから、思い切ってお兄さんの手を頼りに馬車を降りる。
足が無事に地面について、私は手を離そうとした。
でもお兄さんはぎゅっと私の手を摑んだ。
え、私、もう逃げませんよ?
思わず首を傾げると、お兄さんはじっと私の目を見つめ、それから手を離してくれた。
「あの?」
「調は戻ったようだな。……お前、思ったより魔力があるな」
「へ? 私が?」
「気付いていなかったのか? お前は魔力の大量放出をしていた。あの馬鹿を撃退しただろう」
撃退?
奇跡的に思考封鎖の魔が功しただけではないの?
というか、今さらっと「馬鹿」と言ったよね? セレイス様のことだよね?!
でもお兄さんは私の思考には答えてくれなかった。そして私もさらに聞くことはできなかった。
屋敷の中から、恐ろしい速さで何かが接近して私を抱きしめてしまったから!
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