《傭兵と壊れた世界》第百二十六話:地底に空いた大瀑布
夢の世界をぼんやり漂っていたナターシャだが、引き上げられるような覚に意識がしずつ覚めていった。がだんだんと正常な機能を取り戻し、誰かの腕が腰に回されれているのを理解した。そうして海面に浮き上がり――。
「ゲホッ……!」
盛大にむせた。優しい男ならここで背中をさすってくれたりするのだが、あいにく彼は合理的な判斷に重きをおいており、むせるナターシャの腕を肩に回して船に向かった。ロマンチックを楽しむ余裕はないらしい。
「……みんなは?」
「お前が大目玉の注意をひいてくれたから全員無事だ。手の範囲外に避難している。奴が襲ってこないうちに先へ進むぞ」
「休む暇もないのね」
「船の上で休めばいい」
イヴァンの手を借りて甲板にのぼると、心配そうな顔をしたリンベルが駆け寄ってきた。
「怪我はないか!?」
ナターシャは半目でにへらと笑いながら、左手をぷらぷらと揺らす。見るも無慘なが空いており、リンベルの顔がサッと青くなる。
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「おい、その手は!?」
「あと足も」
「足も!?」
「手の牙が刺さって……ケホッ」
ナターシャは手すりにもたれながら座った。さすがに力の限界だ。濡れすぼったをブルッと震わせると、ソロモンが予備の外套(がいとう)をかけてくれた。ついでにナターシャの手を取って興味深そうに観察している。元軍醫のが騒ぐのだろう。
「別に痛くないの。だって流れないし指もちゃんとくわ」
「でも……が空いているぞ」
「銃が撃てるから大丈夫」
「だからそういう問題じゃ……はあ、本當に痛くないんだな?」
ナターシャが頷くとリンベルは渋々といった様子で黙った。心配な友人である。
船の後方では大目玉が炎に包まれながら暴れている。よく見ると焼け落ちた端から再生しているのだから恐ろしい生命力だ。
「土地神を討てなくてごめんね」
「アレを殺すのは無理がある。たとえ結晶銃が効いたとしても勝機は薄いだろ。ソロモンだって奴の手を防ぐのに一杯だったんだ」
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「私も人間ですから。化けと渡り合うにはの丈が足りません。それこそラフランの三兄弟を呼べば話が別でしょうね」
「大目玉よりも先に私達を襲ってきそうだわ――くしゅんっ」
ミラノに近づいているため足地特有の冷たい風が吹いている。再度、外套にくるまって震えると、見かねたイヴァンが手を差しべた。
「先に著替えてこい。そのままだとを冷やしてしまう。大目玉は俺達が見ておくから、お前はソロモンに手當てをしてもらえ」
「珍しく優しいじゃん。普段からそれができたらイヴァンもから人気が出るのに」
「余計なお世話だ」
イヴァンの手を借りて立ち上がろうとするとリンベルが奇妙な顔をしていた。眉間にシワを寄せて怪訝(けげん)そうな表を浮かべている。何かおかしなことを言っただろうか、と首をかしげると彼は視線をそらした。今日のリンベルは緒不安定な日のようだ。
ソロモンに連れられて船にるとほどよい暖かさに包まれた。冷えた足先がじんわりとにじむ。
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「溫かいお湯で流したいわ」
「布を蒸してあります。それで我慢してください」
「ううん、助かる。ありがとね。ミシャはどうしているの?」
「船尾で警戒をしています。いつ大目玉が追ってくるか、わかりませんから」
ふーん、と返しながら左手を掲げる。の向こうに封晶ランプが見えた。斷面はや骨がむき出しになっていて気分が良いものではない。
「気になりますか?」
「そりゃあね。害がないなら構わないんだけど」
「それはこれから調べましょう。私も始めてみる癥例です」
これも足地の訶不思議か。は他人事のように呟いた。
「ねえ、私、何を食べられちゃったのかしら?」
か。か。「これから、調べましょう」とソロモンは返した。
○
翌日、船の殘骸に乗って漂流するマクミリア祭司が発見された。衰弱している様子だが息はある。
「助けるの?」
「見つけたからには、な」
「また裏切るよ」
「それでもだ。傭兵と狩人の関係ってのは結構複雑でな。確執になるようなことは作りたくない」
「恩を売ったほうが得ってことね。悪運が強い祭司だわ」
マクミリアはとりあえずソロモンに預けた。たとえ暴れたとしても彼ならば問題ないだろう。
「疲れた顔をしているな」
「怪我についてソロモンに質問攻めをされたの。これはどう思う、あれはどうだって。まあ疲れているのはイヴァンも同じでしょ」
「いや、そうでもないぞ。俺は頭を使うだけだからな」
イヴァンが煙草に火をつけようとした。だが甲板に吹きつける風が火を消してしまう。ナターシャは「前にもこんなことがあったな」と微笑みながら、四苦八苦するイヴァンを橫目に見た。
進むにつれて海面から突き出る殘骸の數が増した。海底都市の中心に近づいているなのだ。
何日もかけて船は進んだ。朝なのか、夜なのか、航海を始めて何日経ったのかもわからなくなった。延々と続く大海原はあらゆる覚を狂わせる。時間、方角、場所。目印だった月も失った第二〇小隊は、ただ流れにを任せて暗い海に揺られた。
やがてオオイソビツのが強くなり、郷の海がにわかに明るくなった頃、イヴァン達は船を止めた。
「見えたぞ。ミラノに続く大瀑布だ」
それは海にぽっかりと空いた大だった。
全長は計り知れない。なにせ対岸が見えないのである。海底都市はの中にも続いており、廃墟となった建が橫向きに滝から生えていた。「が空いた」というよりも「地形がねじ曲がった」というほうが正しいだろう。
「見てみろ。廃墟の上に苔がむし、花が咲き、草が生えている。自然はたくましいな」
イヴァンが示した先にはかといえずとも確かな自然が形されていた。滝から付き出した廃墟を土壌として植が差しており、そのたくましい姿は嘆に値する。
流れないように船を殘骸に固定し、イヴァンとナターシャは大に突き出た廃墟の上に立った。
「な、なんですかこれは……!」
マクミリア祭司がふらついた足取りで船から降りた。彼は信じられないといった形相で大瀑布を見つめている。続けて第二〇小隊の面々も現れた。
「この下がミラノ水鏡世界ですか。廃墟を足場にしたら下りられそうですね」
「ぜんぶ俺様の神がかった縦のおかげだな! 謝していいぜお前ら。いや、謝しろ。ありがとうございますベルノア様って頭を下げろ」
「……絶対に嫌」
鋼鉄と赤とうるさい奴。
「こいつはすげえや。ラバマンにも見せてやりたかったな」
そして最後にリンベル。
「食料はどうしよっか?」
「最低限だけ積んで、あとは現地調達にしよう。弾薬を優先だ」
「私の重みで廃墟が崩れなければいいですが……」
「……大丈夫。落ちそうになったらナターシャが助ける」
「私なのね。いいけどさ」
「ああベルノア、お前は荷持ちだ。ジーナの狙撃銃を運んでくれ」
「力のない俺が運ぶのか!?」
「お前はそもそも荷がないだろ」
「リンベルだってないだろ!」
「おいおい、私みたいなか弱いに重い荷を運ばせるのか? 漢を見せてくれよベルノア」
やいのやいのと言いながらの出発準備。先の戦いで多くの仲間、もとい狩人を失ったが、代償に見合う発見をできたため雰囲気は暗くない。
「ここから先は神域……私ごときが踏みれては……そうだ、集落に帰って他の祭司を集めましょう。そして土地神様に許しを請いましょう」
「いつまでもいじけてないで。どうせあなた一人では帰れないんだから。さあ、いくわよ」
「はい?」
マクミリア祭司のが浮き上がった。ナターシャが反重力の力で橫抱きにしたのだ。
「この面倒な祭司は私が運ぶから、みんなは気を付けてね」
「あっ、ちょっと待って、ちょっ、ひゃあああああ……!」
そのまま二人が飛び降りた。ふわふわと浮かびながら次の足場へ落ちていく。
「便利だな。あれで全員を運べたらいいのだが」
「贅沢は言えません。さあ、我々も」
続々と廃墟を伝って下りていく。
足場があるといっても橫向きに突き出た廃墟を飛び降りながら進むため非常に危険だ。滝の水でりやすいうえに、老朽化によっていつ崩れるかもわからない。無造作にびた草に足が絡まりそうになり、油斷をすればオオイソビツが襲ってくる。
彼らは慎重に進んだ。時には廃墟の窓から飛び移り、時には街燈を伝って道なき道を渡った。
「ゼェ、俺も、ナターシャに頼めばよかったぜ……」
「そしたら一生の笑い者だぜ。というか私が笑ってやる。歳下のの子に抱っこされた研究者様ってな」
「旅の恥は、かき捨てだリンベル……ハァ、いつかてめえが、笑われるぜ……」
力が一番ないのはベルノアだ。他の傭兵はもちろんのこと、リンベルも力に関しては自信がある。普段からのために走り回っているのだから。
「……鍛え方が足りない」
「人には向き不向きがあるのです。たとえ普段は偉そうなのにいざとなるとけない姿を見せていたとしても、笑ってはいけません。ええ、いけませんとも」
「悪口だろ……!」
ぶ力があるならば大丈夫そうだ。イヴァンは滝壺を見下ろす。
折り重なるような廃墟と塗りつぶされたような暗闇が広がるばかりで底は見えない。そもそもこれだけの水量が滝となって落ちているのに、忘郷の海は水位が変わらないのだから不思議だ。落ちた水はどこへ行くのか。巡った因果はどこへ収束するのか。世界は神に満ちている。
「おーいイヴァン、もうすぐよ。足場が脆いから気を付けてー」
「ちょっとあなた、いい加減下ろしてください! もう自力で歩けます!」
「そんなこと言ってさっきってたじゃん。鈍臭いんだから摑まっててよ」
「ど、どんっ……!?」
ナターシャの聲がした。先行している彼が眼下で手を振っている。相変わらずマクミリア祭司と言い合っているようだ。
同時に、彼たちの向こう側にが見えた。ミラノに繋がる湖までもうしである。
「ここが最後だな。マクミリアと爭う姿が見えたが、怪我はないか?」
「私達は無事よ。むしろそっちが心配というか……ベルノア、大丈夫そう?」
「全然、大丈夫じゃない……くそ、俺は研究者だぞ……」
大の字で倒れ込むベルノアを心配そうに、否、からかうような表でナターシャが覗き込んだ。彼は亡者のような顔で中指を立てる。ボロ雑巾のように転がっても威勢の良さだけは変わらないらしい。
「これが湖か。ちょっと高いな」
イヴァンは悩ましげな様子で見下ろした。廃墟の下には青緑の湖が広がっている。滝壺のように見えるがこれが大瀑布の底ではなく、溢れ出した水がさらに下へと落ちている。湖はあくまでも中継地點なのだろう。湖の外側は本當の闇が広がっており、落ちれば帰られないことが想像できる。
湖は全が仄(ほの)かなに包まれていた。あれが最後の足地、ミラノ水鏡世界へのり口だ。
湖までは四階ほどの高さがあり、下が水であるため飛び降りられないわけではないが、水底が見えないため危険がある。
「まっ、こんな時のために俺様は準備しているんだけどな」
ベルノアが固定用の針を地面に突き刺した。抜けないように確かめてから持ち手のにロープを通す。そうすればロープを伝って全に下りられるというわけだ。ベルノアは得意げな顔をした。
「へへ、どうだ。今度こそ俺様に謝していいんだぜ。なんならさっきまでの態度を謝ってもらおうか。ごめんなさいベルノア様、寛大なお心と聡明な頭脳に謝いたしますって言えばロープを使わせてやらんでもない――」
「フンッ」
「おい、イヴァン!?」
イヴァンは最後まで聞かずに飛び降りた。彼の能力ならば問題ない、という判斷だ。
「……こっちのほうが早い」
「ミシャ!?」
「私がそのロープを使うと重みで切れそうですね。先に失禮します」
「ソロモン!?」
続々と周りの仲間も飛び降りていく。慌ててベルノアもロープを摑んで下りようとした。
「じゃあねーベルノア。一応そのロープは殘しておいてよ。帰る時に役立つかもしれないからー」
「ひゃああああ……!」
「ちょっ、俺様を置いていくな!」
彼の隣をふわふわと落ちていくナターシャとマクミリア祭司。彼達を追うようにしてベルノアは湖に飛び込んだ。
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