シャイロハーンのもとへ、メロウ男爵家に送った使いが戻ってきた。

「申し訳ございません。リリアベル様にはお會いできませんでした」

「なに」

訊けば、調を崩して臥せっているという。

（昨晩無理をさせたせいか？）

深夜までつきあわせた罪悪が押し寄せる。

（一両日中に出國したかったが、やはり事を急ぎすぎたかもしれない）

國には優秀な部下を數多く抱えているため、自分が留守にしてもしばらくはうまく回るはずだ。とはいえ、今回は休暇を兼ねてブランカ公國に長めに滯在している。ここでやるべき仕事は終えたので、できるだけ早く帰國の途につきたかった。

（これ以上無理はさせたくないし、彼にも準備があるだろう。先に俺だけ帰り、あとから迎えをよこしたほうがいいか）

ひとまず見舞いの品を贈ろうと、執事に言って花と果を用意させる。

再度使いを出す――つもりだったが、はたと思い至る。

（會いたい）

決して無理をさせるつもりはない。寢ているところを起こすつもりもない。

だが、自分は婚約者だ。病床の未來の妻を見舞うのは、咎められるものではないだろう。

彼を殘して先に帰國するならば、なおさらブランカ公國に滯在中しでも會っておきたいと思った。

「やはり俺が行く。使いは出すな。向こうが委するといけない」

あらかじめ知らせれば、彼はきっと無理をして起きて自分を待つだろう。

シャイロハーンは忍びでメロウ男爵家へと向かうことにした。

男爵家の応対に出たのは、意外にも妹のララローズだった。

「まあ、陛下。ようこそお越しくださいました」

まるでシャイロハーンの來訪を待ちかねていたとばかり、豪奢なドレスをまとい、髪も丁寧に巻いてリボンで飾り立てている。

（なんだこの匂いは……）

ララローズからは、ありとあらゆる香水を混ぜ合わせた香りがした。ひとつひとつはきっとよい香りなのだろうが、合わさるとたまらない。特に鼻の敏なシャイロハーンにとっては、拷問に近かった。

ひょっとすると、舞踏會の席で「臭い」と告げたせいで、迷って複數の香水を振りかけて出てきたのかもしれない。

さすがにに向かって二度も匂いを指摘するのは禮儀に反するため、口には出さないでおく。

「男爵夫妻はおられるか？」

「あいにく社に出ておりますの。今夜は遅くなる予定です」

「そうか。では、これをリリアベル嬢に渡してもらえるか」

「會っていかれませんの？」

「調が悪いところを無理させてはいけないし、妙齢の令嬢しかいない屋敷に上がるのは遠慮しよう」

彼に會えないのは殘念だが、仕方がない。

だが、背を向けようとしたシャイロハーンを、ララローズの甲高い聲が引き止めた。

「お待ちくださいませ、ぜひお上がりくださいな。姉はさきほど起きて食事をとりましたし、大丈夫です。それに、姉に斷りもせず陛下をお帰ししたら、あとでわたしがひどく叱られてしまいます」

（リリが叱る？）

おかしなことを言う。

妙な騒ぎがした。

「やはり邪魔させてもらえるか」

「ええ。もちろんです」

満面の笑みを浮かべるララローズが、不気味だった。

「足もとにお気をつけて」

ララローズは弾む足取りで階段を上っていく。

（なにかおかしい）

違和に気づくものの、彼のまとう複雑で濃厚な香りが思考を邪魔する。

「こちらです。……あら、お姉さまはどこへ行ったのかしら」

リリアベルの部屋だというそこは、扉が中途半端に開いていた。

ララローズは、ちょうど通りかかった使用人を呼び止める。

「ねえ、お姉さまを知らない？」

「お嬢さま！　まあ、どちらにいらっしゃいましたの!?」

やたらと大仰な聲が答えた。

（なんの猿芝居を始めたんだ？）

シャイロハーンは鼻白んで二人を観察する。

「わたしはさきほどまで下の居間で叔母様のお相手をしていたのよ。ほら、ついさっきお帰りになったでしょう？」

「どうりでお姿が見えないと。では、殿下とはお會いになれましたか？」

「殿下？　なぜアーサー殿下が出てくるの？」

「先刻お見えになりましたから、てっきり人のお嬢さまとお約束だとばかり」

「知らないわ。まさか……殿下は、お姉さまと？」

（なんだって!?）

おぞましい言葉に、のがよだつ。

（公子とリリが……？）

ララローズは悲劇のヒロインのごとく両手で頬を包み、耳障りなびを上げた。

「なんて裏切りでしょう！」

（彼に限ってそんなわけがない）

だがおそらく、想像するのも吐き気がするような危機が彼に迫っていると思われた。

「リリはどこだ!?」

腕に摑みかかって尋ねると、ララローズはまだ白々しく演技を続けた。

「わかりません。一緒に屋敷中を探しましょう！」

（一刻も早く見つけなければ）

がつぶれそうだ。

余裕をかなぐり捨て、シャイロハーンは走った。

読んでくださってありがとうございました。