帰省の旨を実家に電話で伝えると、話の奧の都子はし驚いた様子だったが、快く歓迎してくれた。

大型連休を過ぎた五月後半。一泊のみの慌ただしい帰省を「もっとゆっくり來ればいいのに」と言ってくれた都子に対し、父和弘の関心は予想通り同行者の方に向いていた。

話の奧から彼の揺したび聲が聞こえ、だと納得させるまでに々時間がかかった。

土曜日。早朝の新幹線は、首都圏へと急ぐ客でほぼ満席だった。

駅で待ち合わせをし、自由席の車両へ乗り込み、ようやく見つけた二人掛けに座る。

ストレートの髪を下ろして膝丈のスカート姿の咲は、いつもよりらしく見える。橫に座った時、爽やかな甘い香りがフワリとたちこめた。朝食だと言われてけ取った紙袋を覗くと、バケットのサンドウィッチと使い捨てのカップにカフェオレがっていた。

「凄い。ありがとう、咲ちゃん」

ガラス窓を伝う細い雨粒を橫目に、芙はサンドウィッチをぼんやりとかじる。レモン風味のアボカドに、し炙ったハムのスッキリした味が「ほら起きて」と主張してきた。

昨夜は、遠足前の小學生かとメグに言われてしまうくらい、なかなか寢付くことができなかったのだ。

修司の言葉に、弘人、薫、と次々と蘇る記憶が、この數日ずっと芙の頭を支配していた。皆の気持ちは大わかったつもりでも、自分の意思は変わらない。

ただ、仲間はもう一人いる。

「咲ちゃんは、私が魔法使いに戻ったら、どう思う？」

ストレートに聞いてみる。咲に聞くことへの不安はあまりなかった。

彼はきっと噓はつかないし、たとえ自分と意見が合わなくても、棘のある言いはしないはずだ。

咲は飲んでいたコーヒーを置いて、を半分芙に向けた。

「誰かに何か言われた？」

「――うん」

手に持っていたサンドウィッチをカフェオレに変えて、芙はしずつ口に運びながら先日の話をした。

驚かれるかと思ったが、咲は大きなリアクションも見せずに聞き終えたところで「そっかぁ」とため息をらす。

「みんな芙が大好きなんだね」

意外な言葉に、芙が面食らった顔でをきゅっと噛みしめると、咲は「うんうん」と頷き、にんまりと笑う。

「だって、みんながアンタの幸せを考えてる。それぞれ方向が違うから良い悪いに聞こえちゃうだけだよ。もうね、みんなの方向は同じ角度には変えられないんだ。だから、自分の答えを出した後に後悔しちゃだめだよ」

「戦うことに、なっても？」

申し訳ないけどね、と言わんばかりに咲は「そう」と赤いフレームの上に飛び出た細い眉をハの字に寄せた。

「難しいね」

芙の正直な答えだ。しが渇いてカフェオレを流し、パンをかじった。

「それより、そんなことになってたのか、あの二人は。……まぁでもね、最近になって薄々だけど、気付いてたよ。きちんと説明された訳じゃないけど。確かに類も同じだったよね」

「そうなんだ」

「たまに二人には會うこともあったし、戦闘になったこともあるけど、確かに弘人は戦ってなかったね。薫は強いし、私も出しゃばってばかりだから、弘人の事なんか気にもしてなかったよ、全く。男どもはだらしがないね」

咲はサンドウィッチを食べ終え、っていた袋をくるくる畳むと、「ごちそうさま」と手を合わせる。芙は後れを取ってしまった気がして、「ゆっくりでいいよ」という彼の言葉も聞かずに急いで殘りを頬張った。

「また作ってあげるからね」

満足そうに微笑む咲。コーヒーのカップを手に、薄く目を細めた。

「私はね、魔翔と戦うことがそんなに嫌いじゃないんだよ。だからもし、五人の仲間の中で戦わなくちゃいけなくなったら、芙や修司につくよ。弘人には悪いけど、私も大魔を殺して災いを起こしたくはないからね」

「咲ちゃん……ありがとう」

芙は咲の右手を両手で握り締めた。コーヒーを持っていた手が自分のより熱くじた。彼が自分の側にいるだけで、百人力な気がしてしまう。

「大袈裟だよ。ねぇ芙、魔法使いになった日のことは覚えてる？　確かにあそこに大魔が居た筈なのに、顔とか全然覚えてなくってさ」

「うん――そうなんだよね。覚えてることって言ったら、黒い服著てたって事くらいだよ」

時間のせいか、はたまた大魔がそうさせているのか、彼の容姿に関する記憶がぽんと頭から抜け落ちているのだ。

思い出そうとして作り上げたイメージが、黒い裝や絵本の影響で、大きい瓶(かめ)をかき混ぜている老婆の姿で固定されてしまい、もはやそこから抜け出すことができなくなっていた。

「でも行方知らずで恨みもあるけど、怖いとか怪しかった記憶はないんだよな」

「うん。魔法使いになれて、本當に楽しかったよね。私は今も騙されたとは思ってないよ」

不安などじたこともなかった。戦うこと、強くなることに貪で、どんどん力を付けた。

あの頃はそれでいいと思っていた。

咲は「楽しかったね」と同意して、間を置くように窓の外へ顔を向けた。

「変わったのは町子と類が死んでからだよ。力に比例して、魔翔がやたら強くなることに気付いた。これが更に大きくなって、大魔みたいな事態になっちゃうのかね」

「強くなりすぎて、大魔は私たちに力を分け與えたんだもんね」

「そうそう。あの人は一人で戦ってたんだもんね――辛いよな。この力はどんな強い魔翔を倒したって、仲間以外は誰も褒めてくれないからね」

魔法使い以外の人間に魔翔は見えない。たとえ死んでも町子や類のように不審死か事故扱いだ。

「だからさ」とにっこり笑んで、咲は聲を弾ませた。

「他の人には見えないし、失敗したって責められないんだから、好きにすればいいと思う」

人差し指を立てて、彼なりの提案だ。

「戦うことも、も、遠慮しろなんて言わない。何が何でも弘人が好きで、あんなオッサンでも取り戻したいって言うなら、全力で薫から奪い返せばいいと思うよ」

「それは……そこまでは」

あんな姿を見せられて彼の意見を聞いても諦めきれていない自分と、名古屋に行こうとする自分が葛藤している。けれど、ここから引き返す選択を選ぶつもりはない。

「例え戦うことになっても。私はみんなが納得した結果を迎えられるのがいいと思う」

「もぉ、優等生の答えだね。そんな難しく考えない方がいいよ。アンタまで魔翔に取り込まれちゃうよ？　もっと肩の力抜いて。ね？　じゃあ芙はまず、杖を取り戻すって決めたんだから、そこから一つずついこうか」

呆れたように手をひらひらさせる咲に、芙はぐっと米神を抑えた。まだ何もできていないのに、頭がどんどん先へ行こうとする。

落ち著け落ち著けと繰り返して、大きく息を吐き出した。