「何で、忘れてたんだろうね。こんなにハッキリ思い出せるなんて」

寮の敷地へしだけ車を移させて、咲はエンジンを切った。

「傘は後ろに積んであるよ」

そう伝えた本人は、傘もささずに雨の中を駆けていく。

次に下りた修司が傘を下ろそうとするのを「平気だよ」と遠慮して、芙は水溜りを避けながら軒下へ走った。

三人を前にして、ミナは「おかえりなさい」と笑顔で迎える。

咲はまじまじと彼の顔を見つめて、大きく頷いた。

「そうだよ、アンタだよね」

返事の代わりに微笑むミナ。修司はその前に出て、眉をひそめる。

「ずっと知ってて、俺たちを見てたのか」

二人がそんな言葉を投げる相手がミナであることが、芙には不思議でたまらなかった。記憶が戻らない芙にとって、彼は寮母のミナでしかない。

ミナは吸収するように二人の言葉をけ止めて、「そうね」と呟いた。

「本當はまだ隠してるつもりだったんだけど、こんなに早く芙が復活するなんてね」

うっすらと笑んだ瞳を険しくさせて、ミナは三人を見渡し、

「空気の流れが良くないの。とりあえず話は長くなりそうだから中にった方がいいわね」

と、戸口へを向けてしまう。

芙は他の二人と視線で合図し合って、小さく頷いた。ごくりと飲んだ息を苦しくじる。

濡れた髪から水が滴るのを手の甲で拭うと、咲がハンカチを差し出してくれた。

「ありがとう」

「いいんだよ。それより大魔、一つ聞いてもいいかい？　アンタは今何歳なんだ。私たちが魔法使いになったのは、もう十六年も前の事なのに、今の姿は私よりく見える。人間じゃないのかい？」

「人間じゃない、ってのは語弊があるけど。貴の言っている人間の定義からは離れていると思うわ」

三人に背を向けたまま、ミナはそう返事すると、「長生きしてるのよ」と加えて、扉の向こうへって行った。

荷を咲の車に積んだまま三人は寮の中にり、一階の奧にあるミナの部屋へった。

日曜日の淺風寮は、雨のせいか人の気配を多くじる。晝食時を過ぎたばかりのカレーの匂いが漂う中、上階の賑やかさが下まで屆いていた。

部屋にってそれは若干遠のいたが、時折響く足音が、ここは寮の中だよと主張してきた。

初めてる寮母の部屋は、芙の部屋とは間取りが大分違っていた。シャワールームの付いた、二間続きの広い部屋だ。

ソファの置かれたリビングと、奧の部屋にはベッドが見える。家の一つ一つが新しいものではなく、落ち著いた木目で纏められていた。

「前の寮母さんが使っていたものを、そのまま使っているのよ」

珍しそうな顔で部屋を見渡す芙にミナは説明して、「風邪ひくと大変よ」と籐の引き出しから取り出したタオルを三人に渡し、ソファを勧めた。

咲は頭からタオルを掛けてソファに座ると、うつむいたままボソリと口を開いた。

「そうやって優しくされても困るよ。私は魔法使いになったことを後悔してるわけじゃないから、アンタに恨みはない。けど、どうして今まで記憶を消してたのに、このタイミングで戻したのかを知りたい。アンタは説明がなすぎるよ」

三人が並ぶソファの向かいに腰を下ろして、ミナは「そうよね」と呟き、掌を軽く組んだ。三人に視線を送り、最後にテーブルに視線を落としたままその話をする。

「記憶を消したのは、貴方たち五人が魔法使いになったら、私なんていらないからよ。私にはもう戦う力が殆どないわ。だから、一緒に戦えるわけじゃないし。私を必要とする時なんて、貴方たちが魔法を放棄したいと思うときじゃないかしら」

「それだけじゃないよ。もっと教えてしいことは々あった。アンタは私たちを魔法使いにして、あとは勝手にしろって捨てたようなものじゃないのかい？」

「そう取られても仕方がないわね。確かにそうよ。私自、類や今の弘人と一緒。自分の運命を呪って、魔法から逃げたかったから」

ミナはを起こし、靜かに頭を下げた。修司が強くを噛んで、苛立った聲を上げる。

「だったら、大魔が死ぬと災いが起きるっていうのは本當なのか？　自分に力がないから、死を警戒して記憶を消したのか？」

「魔法使いが自らの死をむことも含めて、私という切り札を遠ざけたかったのよ。力を失くした私でも、このは魔翔にとって格別の味らしいわ。私のを食べた魔翔は、他とは比べにならない力を得る――人間にも害を及ぼすような、ね。私が死ぬってことは、貴方たちの力もなくなるということ。魔翔を倒す人がいなくなれば、奴等の思う壺よ。人間にとっての災いが起きる」

「じゃあ、町子のしたことは正しかったんだね」

橫から覗き込んできた咲に、芙は「う、うん」と頷いた。本當にミナは大魔なんだなと思いながらも、まだ実が沸かなかった。自分も早く思い出さねばと焦ってしまう。

「でもね、修司。あの日私はダムに居なかったのよ。確かにあの近くに隠れていたこともあったんだけど、貴方たちに力を託してからは、魔翔も沸かなくなったから山を下りたの」

「あの日の類の衝は、無駄だったってことか」

「そんなに自分を悲観しないで。力を持っていれば誰にでも起こりうることよ。私は力がない分、覚だけ敏になっちゃってね。ここで働くようになったのは本當に偶然だったのよ。まさか転生した貴方達が來るとは思わなかった。それでね、考えたの。類や町子の悲劇をまた生まないためにも、私はもう逃げちゃ駄目だって。それで記憶を戻したのよ」

「そういえば……覚えてるよ、確か」

咲がハッと顔を起こした。開いた口が何か言いたげにいて、もう一度「そうだよ」とミナに告げた。

「アンタは言ったんだ。私たちに、強くなるな、って」

「そうね」とミナは薄く笑む。

「貴方たちと魔翔がお互いに強くならないように。覚えててくれたのね」

そうだったんだ、と芙は眉をひそめる。そんな言葉すら覚えていない。

橫目に見る修司は、じっとミナを見つめていた。彼は記憶が戻っている。同じ転生したもの同志なのに、と羨ましく思ってしまう。

ミナは立ち上がると、一人で奧の部屋に行ってしまった。

視界から消えると、冷蔵庫の開閉音がして、缶ジュースを四本抱えて戻って來た。それらをテーブルの上に配り、再びソファに座る。ミナは自分の分の栓を開けて、ごくごくと一気に半分ほど飲み込んだ。

さぁ行きますよと言わんばかりにドンと缶をテーブルに打ち付けて、ミナは背筋をばして膝に手をのせた。

「前の五人の話をしましょうか」

そう切り出した彼が語りだしたのは、町子や類が魔法を得る前に、大魔によって魔法使いになった、過去の五人の話だった。