《幽霊公(プランセス・ファントム)》1-2

ノックをしようとしたアドリアンは、ふいに扉が側から開いて、慌てて脇にどいた。

中からは小心そうな顔つきの中年男が出て來た。焦點の定まらない目できっちりと扉を閉めると、たった今アドリアンが登ってきた螺旋階段を降りて行った。

改めてドアを叩いたアドリアンは、扉を開いたのが男だったことをし意外に思った。仕立ての良さそうな服にを包んだ、やたらと顔の綺麗な男だ。かけている眼鏡の所為か、瞳のはよく分からない。

「マダム・ハイデンブルートに面會に來たのだが」

なんとなく、部屋の主に出迎えられることを予想していた。助手と呼ぶには、この男の態度は堂々とし過ぎている。

「まずはおかけになってお待ち下さい」

面談室に通されて、機の前の肘掛け椅子を示された。

アドリアンが座ると、男は部屋の左手奧の扉から消えた。彼が全く足音を立てていなかったことに、今更ながら気付いた。

部屋の照明は、機の上の電燈だけだ。のガラスの傘には、翡翠の蜻蛉の文様が浮かぶ。

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薄暗くて細かい意匠までは分からないが、床のペルシャ絨毯から目の前のマホガニー製の機まで、部屋にある調度品は上質ので揃えられている。隨分と繁盛しているらしい。

しき悪魔祓い師(エクソシスト)の噂は知人から聞いた。彼を訪れた客は、何をしたのかされたのか、一様に言葉を濁す。いかがわしい事この上無いが、彼のおで原因不明の悪夢や幻聴、幻覚がぴたりと治まった者も多いと言う。

半信半疑、いや九割方は疑いが占めていたが、それでもアドリアンは足を運ぶことにした。

座って待つこと數分。奧の扉が開き、顔を黒いヴェールで隠した黒が現れた。

は機の後ろの椅子に著席すると、両の手を組み合わせ、アドリアンをじっと見た。その一連の所作がはっとするほど優で、彼は目を見開いた。

「今晩は(ボンソワール)、ムッシュー。まず、どうやってこちらをご存じになられたか、うかがってもよろしいでしょうか?」

隨分と聲が若い。の聲、と言っても良いだろう。

「ヴァッサーマン氏から話を伺いました」

この部屋を訪れたことのある男の名前を出した。

「それで直接、お越しになられたと?」

「ええ、手紙で説明するには々差し支えのある話ですし、場所は分かりましたから」

本當の所は、どんな相手なのか、自分の目で確かめてから相談するか否か決めたかった。

「よく見付けられましたね」

聲に怪訝そうな響きが混ざる。

「いや、簡単でしたよ」

「……………。それではご相談を伺いましょうか。そちらにどうぞ」

「寢椅子に、ですか?」

「ええ」

いきなり寢ろと促されて不審そうなアドリアンに、黒の婦人はさも當然と頷いた。

「目を閉じて下さい」

カウチに橫たわると言われた。

(催眠の一種か?)

ままよ、と目を閉じて大人しくしていたアドリアンは、そっと自分にれる手に気付いた。

一呼吸置いて、「えっ?」と小さな聲がした。

『どうした、ユーディト?』

今度は先ほどの派手な金髪の男の聲だ。

(おや、ドイツ語だ。二人とも外國人か?)

『摂(・)れ(・)な(・)い(・)わ…。』

『本當か?』

二人が話しているのは、フランス語ではなく、ドイツ語だった。

アドリアンも教養として外國語は一通り學んでいたが、それほど堪能ではない。そのためか、二人の會話の容が、今一つ理解できなかった。

『そう言うなら、ジーヴァもやってみて』

もう一つ、手がれたような気がした。

『確かに。これはおかしいな。』

『ジーヴァもそう?』

金髪の男はジーヴァと言うのだろうか。

「あの…、そろそろ目を開けてもよろしいですか?」

遠慮がちにアドリアンが聲をかけると、二人の會話がぴたりと止まった。

「うそ、起きてる…。」

起き上がって二人を見ると、まるで化けでも見るような視線が返ってきた。

彼らの反応も疑問に思ったが、アドリアンはそれ以上に、黒の婦人の正に仰天していた。

「公(プランセス)ソブラスカ!?」

ヴェールを外したマダム・ハイデンブルートは、「幽霊公」こと、ジュディット・イーヴ・ソブラスカ公だった。

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