《幽霊公(プランセス・ファントム)》3-3
城の構造は本當に複雑だった。築城以來、幾度も増改築を繰り返したとかで、サロンや客間、食堂のある本館を中心に、東館、東の塔、北の塔、禮拝堂に防塁、武庫や地下の貯蔵室などが、棟と棟の間に設けられた回廊を介して複雑につながっていた。
「この禮拝堂を中心とした一畫が、城の一番古い部分です。」
そう言ってアドリアンは、禮拝堂の扉を開いた。
「中を見ますか?」と言われて、ユーディトは軽く怖気立(おぞけだ)って斷った。
「ここは無関係ですわ。」
教會に関係するものには、近寄らないに越したことはない。
「二番目の奧様が投げした塔は?」
「ああ、東の塔はこちらです。」
ずけずけと言って見せても、アドリアンは顔さえ変えない。
東の塔は、それほど高いものではなかった。四階建てほどの高さの塔は中空になっていて、壁にそって手すりの無い階段が、上へ上へ続いていた。
「登ってみますか?」
「いえ、結構。」
ひたすら続く急な階段を見て、ユーディトは即答した。
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上からはかすかに鳩の鳴き聲が聞こえる。
「ここはほとんど使っていない部分です。無くなった妻も、ここには來たことがないはずです。執事が言うには、夜、眠っていた妻は突然起き上がると、ここへ來て、笑いながら階段を駆け上って行ったそうです。」
「夜、寢ていて、起き上がったのですね?」
「ええ、そうです。それが何か?」
この場所にも魔の気配はしない。だが二人の子爵夫人の死が、両方とも夜と眠りに関係していることが気になる。
「奧様方の部屋は?」
「本館にあります。ご覧になりますか?」
「ええ、見せて下さい。」
気配が殘っているとすれば、恐らくはそこだろう。し希が見えて、ユーディトは作り笑いを浮かべて見せた。
*******
館の主人の部屋は、鍵がかけられていた。懐から鍵束を取り出すと、アドリアンは古風な錠を開いた。
「僕はこの部屋が、この城館で一番しいと思っています。」
そう言って彼はガス燈に火をれた。
闇でもが見えるユーディトの瞳には、その前から部屋の中は見えていた。
確かにしい部屋だった。明かりが十分強くなるのを待ってから、口を開いた。
「審眼だ(・)け(・)はまともですのね。」
(人格はろくでもないようですけど。)
ユーディトが使っている客間も、明るい彩でまとめられていたが、この部屋はさらに華やかだった。淡い黃とクリームを基調とした中に、所々アクセントのように薄藍が使われている。曲線の多い、華奢なデザインの家に使われている木材のも明るい。
意外にも、壁に飾られていたのは、現代の畫家の作品ばかりだった。こういう所には、時代を経た風景畫や靜畫を飾るのが通例なだけに、明るい彩の洪水は、そこだけが夏のを留めているようで、妙に眩しい。
この部屋の主は、明るい日差しの似合う、朗らかな人だったのだろう。
「おや、あなたも印象派をお好みですか?」
「……嫌いではありませんわ。」
「ジュヌヴィエーヴが買い集めたですよ。」
浮ついた口説き文句が続くかと思ったが、最初の妻の名を口にしたアドリアンの聲は靜かだった。
「再婚なさっても、そのままにされたのですか?」
「フルールは、この部屋は使いませんでした。」
それは嫌だろう。前妻の気配がありありと殘る部屋など。
「そう言えば公、あなたはドイツに縁(ゆかり)のある方なのですか?」
「ええ。わたくしの母はエルステンバッハ家の出ですわ。」
彼の母は、バイエルン貴族の娘だった。
「なるほど、それでですか。」
一人で得心しているアドリアンを、ユーディトは眉を寄せて見た。
「それがどうかしまして?」
「始めてお會いした時に、ジーヴァ…と言いましたっけ、あの青年とドイツ語で話しておられたでしょう?不思議に思っていたのですよ。」
「パリに移るまで、わたくしの一族はミュンヘンに住んでおりました。その時代からの習慣です。」
ソブラスカ家は、前世紀の終わりにポーランドを亡命して、それから七十年ほどミュンヘンに居を構えていた。パリに居を移したのは、さほど昔のことではない。その名殘で、ユーディトもだけの時はドイツ語を使う。
「それでは、彼もあちらにご縁のある方ですか?」
何気無さを裝って探ってきたアドリアンに、ユーディトは注意深く答えた。
「彼は何代も前から、わたくしの家と縁(ゆかり)のある方ですわ。」
「では、ご親族ですか?」
「そうですわね。」
ほんの數人だが、ソブラスカ家には過去、の當主もいた。その中にジーヴァを夫とした者がいると、彼から聞いたことがある。だからが繋がっているというのは、あながち噓ではない。
「おや。僕には、あなたと彼はもっと親な関係に見えたのですが。」
「ドーギュスタン子爵。」
「何でしょう?」
「大きなお世話ですわ。」
「あはは、これは失敬。」
笑う彼を放って置いて、ユーディトは寢室に続く扉を開いた。こちらの部屋も、居室同様に軽やかな彩が溢れていた。
天蓋付きの広い寢臺。床に余る丈の厚地のカーテン。寢臺の正面の壁には、花瓶に生けられた花束を描いた、大きな油絵。この絵だけは古かった。十七世紀辺りのオランダのものだろうか。
「…………。」
ユーディトは、何かがかすかに覚に引っかかったように思えて、辺りを見回した。ジーヴァの助けが借りられればいいのだが、アドリアンがいては駄目だ。
「し、この部屋をゆっくり見たいのですが。」
「おや、この寢臺がお眼鏡に適いましたか?」
「あなたも調査の邪魔です、子爵。」
案の定、思わせぶりな目配せをしてきた彼を廊下に追い出すと、ユーディトは寢室に戻った。
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