《7 Start》

幸福の數量

人の人生には波がある

良い時もあれば悪い時もあり

大吉だいきちを引く年もあれば兇を引く年もある

全てが順調に見えていても、一歩足を踏み間違えると、簡単に転落してしまうと言うのも良くある話

ただ、事は捉え方次第で良くも悪くも形を変える

大吉だいきちを引いて喜ぶ人も居れば、今年の運を無駄に使ってしまったとじる人もいるし、兇を引いて落ち込む人も居れば、兇を引いたから後には良い事が待っているのだと、前向きに捉える人もいる

つまりは何をけ取っても捉え方が全てと言う結論になる

捉え方は千差萬別だ

良い事が起れば必ず悪い事も起こると考える、均衡思考の者は

何かをけ取ると、何かが損なわれると言う、原理原則を知っている

何かを得ると言う事は何かを失うリスクも孕んでいると言う事だ

甘い食べを食べて蟲歯になったり

幸福な時間を共有した者との離別で悲しくなったり

降って沸いた幸福によって自墮落になると言う事もあるかもしれない

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は絶に絶は希になりえる

目に見えている幸せそうなモノが必ずしも幸せに直結しているとは限らない

また、人生において幸福の數量があらかじめ決まっているとしたら?

「貴方あなたには100の幸福が訪れ100の不幸が降りかかるでしょう」と決められた人

「貴方あなたには54の幸福が訪れ2の不幸が降りかかるでしょう」と決められた人

そのようにして幸せを振り分けられていたとしたら、現実の不平等にもある程度納得がいく気はする

それでも、繰り返しにはなるが、け取り方次第で54の幸福は540にもなるし、2の不幸が2000になる事だってある

また、運命は與えられるモノではなく、自分で切り開くモノだと言う、考え方かんがえかたの人もいる

次第で幸運こううんを倍増させたり、幸運こううんは自分で摑み取る、と言う考え方かんがえかただ

をして上手くいっても、上手くいかなくても

結果論で語れば全ては運で一纏めにしてしまえるのだから運と言うのは本當に都合の良いいい言葉だとじる

だから運の話をする事にそれほどの意味はない

結局は神のみぞ知る概念の世界なのだ

運をコントロールする事はできなくても

をコントロールする事は可能だ

をコントロールする事は運をコントロールする事に等しい

人間は科學の力でそれを実現できる

それなのにその技は悪魔の発明とまで言われて

今じゃ見向きもされない

誰もが運に左右される事なく

悲しみから逃れる事が出來るのに

なんでそうしないのだろう?

をコントロールする事で人間は

神に決められた幸福のシステムから逃れる事ができる

誰とも繋がらず、世界からも切り離されて、それでも実を持ち続ける存在

そのような存在に意味を見出せるのか?

そもそも意味を見出すのは他人ではなく己だ

自分を肯定出來るのは周りの人間でも、神でもなく

自分自しかいない

この世には救いのない話が、腐るほど存在している

救われなかった者達は何処に向かって行くのか

答えは破滅だ

悪い想いは頭の中を周り続け、憎しみはどこまでも増大していく

負ふの連鎖を斷ち切る為には、負ふをけ取り消化するモノが必要だ

我々は神の創り出したコアシステムを切り離す事で全ての苦しみを無効化する事が出來る

悲しみから逃れる事で人類はどうなるのか、逃れた先には何が待っているのか

進んだ先が地獄でも

立ち止まってる場所も地獄なのだから同じ事だ

足掻きあがき方にも々な方法がある

やり方を肯定するのは自分だ

他人には価値のないモノに見えても、そこにはしっかりと生きた証がある

それを無駄だと言う人が居れば、そいつは人類全を批判しているに他ならない

我々は長い間この負ふの連鎖を斷ち切る事が出來ずに生きてきた

科學の発展した今こそ、過去の呪縛から解き放たれるべきだ

我々はり人形なんかではないと証明しよう

その為に生まれてきたのだから

運命を斷ち切り、新たな運命を創造しよう

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