《傭兵と壊れた世界》第百四十話:崩壊の予兆
戦場からし離れ、砲撃の音がわずかに聞こえる首都ラスクの塔にて。
元老院の區畫に解放戦線の姿があった。そのなかの一人、じゃじゃ馬娘のラチェッタが通信機で仲間に指示を出す。
「潛功。だがすぐにバレるはずだ。手筈どおりにアンタらは足止めをしろ。天巫はあたしが探す」
「――援軍は期待できないぞ。気をつけろ」
彼は通信を切った。思っていたよりも時間がないようだ。天巫の奪取を急がねばならない。
「で、天巫がここにいないのは本當だな?」
「ひぃっ、本當だ……! アーノルフ元帥の命令で別の場所に移された!」
「無駄足かよ。どこに移されたんだ?」
「言うわけがないだろう! 天巫様をお守りするのが我々の使命だ! 貴様のような蠻族――」
「ああ?」
「ひぃぃい!」
ラチェッタの足元に初老の男が倒れている。元老院の一員であり、室で唯一の生き殘りだ。彼は躊躇している様子だったが、ラチェッタが銃口を向けたことで慌てて喋った。
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「孤児院だ! 中央広場の近くにある孤児院で親衛隊が守っている!」
「はい、ご苦労さん」
彼は発砲した。男の額に大きな風が空く。
最初からローレンシア人を見逃すつもりはない。彼らのせいでルートヴィアは長い負の歴史を背負った。仲間が味わった屈辱と比べたら殺し足りないぐらいだ。
左足を失って彼は変わった。戦爭が、彼を変えた。
冷たくなったのは左足だけではない。優しさは無用だ。中途半端なけは自分のみならず仲間を殺す。まったくもって世知辛い話だが、祖國の誇りを取り戻すためには、人の誇りを捧げねばならぬのだ。
「さあ行くぞ! 天巫をなんとしてでも奪え! ルートヴィア萬歳!」
「ルートヴィア萬歳!」
濡れた義足で床を蹴る。戦士として役目を果たすために。
◯
ディエゴとサーチカは孤児院の補強を進めた。解放戦線対策ではなく、どちらかというと側、戦爭時に橫行するであろう火事場泥棒を防ぐためだ。たとえローレンシアが治安の良い國であっても自衛を怠ってはならない。特に孤児院のような弱者が集まる場所は狙われやすいため、ディエゴは念りに壁や扉を補強した。
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「ねえお兄ちゃん、ここにも敵が來るの?」
「安心しろシェルタ。アーノルフ元帥がいれば街の中には攻め込まれない。それに、俺とサーチカがお前らを守る」
「もう引越ししなくていい?」
「もちろんだ。ここが俺達の家だからな」
不安そうなシェルタの頭をでた。普段は年長者として子供達をまとめているが、彼だってまだ子供なのだ。気丈に振る舞っているが心では不安なのだろう。こんな時こそディエゴがしっかりしなければならない。
「私も何か手伝わせてよ」
「あー、あんたは……」
天巫が手持ち無沙汰な様子で尋ねた。彼も孤児院の一員として迎えた以上、何か役目を與えなければ不公平である。だが、見るからに華奢な彼に補強を手伝わせて、もしも怪我をさせてしまったら周囲に隠れている護衛が黙っていないのではないか。
「そうだな、機を拭いてくれ」
「もうピカピカじゃん」
「いや、磨き足りないね。もっと綺麗にするべきだ」
「……サーチカは何をしているの?」
「あいつならほら、あそこだ」
ディエゴが指差した方向を見ると、彼は隅っこのテーブルに座っていた。真剣な表でよくわからない機械の整備をしており、とても話しかけられる雰囲気ではない。
「あれは私には無理な仕事だ」
「そうだろ? だから機を拭くんだ。家の汚れは心の汚れってアーノルフ元帥も言っていた」
「彼はそんなこと言わないよ」
天巫は渋々といった様子で機を拭き始めた。正直なところ、天巫に掃除をさせるというだけでもディエゴとしては心臓に悪いのだが、補強作業を手伝わせるよりはマシだろう。
俺は悪くねえ、と心で言い聞かせながら、彼はトンテンカンと金槌を打つ。
(天巫様、ねえ……)
橫目で天巫を見た。相変わらず不明な布で素顔が隠されており、何を考えているのかわからない。一緒に暮らし始めてわかったことは、思っていたよりも気さくな格だということ。それと、たまにシェルタと遊んでいる様子もあり、おそらく子供好き。
「どうかしたの?」
「いや、その格好は邪魔にならねえのかなと」
ああ、と彼は頷いた。
「そりゃあ邪魔だよ。視界が悪いし雨の日は最悪だ。こんな飾りは全部いでしまいたいね」
「こんな飾り」
「でも必要なことなの。邪魔だけど、無意味じゃない。これがないと私は天巫じゃないから」
かちゃかちゃと整備をする音がやけに大きく響いた。遠くから地鳴りが聞こえる。人が消えた街並みから目をそらすように補強材で塞いだ。
「服は役目を與えてくれるの。天巫だったり、司令だったり。著た瞬間に意識が切り替わる。君も元軍人ならわかるでしょ?」
「なんとなく、な」
「この裝を著ているかぎり私は天巫でいられるんだ」
彼にとって天巫という役目は存在意義に等しい。この裝を捨てたとき、誰が自分だと気付いてくれるだろうか。顔も名前も知られていない。天巫という役目だけが彼を現世と繋ぎ止めてくれる。
「でもね、たまーにすべて放り捨てたくなるときもあるんだよ」
「もしも天巫を辭めたら何をするんだ?」
「アーノルフと一緒に遠い國で暮らそうかな」
「……それって冗談?」
「どうだろうね?」
ディエゴは心で疑問を浮かべた。
(閣下と天巫様って仲なのか?)
流石に興味本意で探るわけにもいかないため押し黙る。
「不敬だよ」
顔に出ていたようだ。ベールの奧から意味ありげな笑い聲が聞こえた。
ちょうどサーチカが手を止めたため、ディエゴは「ううん」と咳払いをして話をそらす。
「サーチカ、なにをしているんだ?」
「ノブルス戦で鹵獲(ろかく)した兵を直しているんです。ほら、第二〇小隊の研究者が結晶を集める兵を使ったじゃないですか。初めてみる構造で苦戦しましたが、ようやく終わりそうです」
「使えそうなのか?」
「心臓部分は壊れていなかったので、なんとかなりそうですよ」
ぽんぽん、と直したての機械に手を置く。彼が直したのは箱狀の筐からアンテナがびた機械だ。無數のつまみが付いており、一見しただけでは何のための機械かわからないだろう。
「隊長はらないでくださいね。もしも起すると一帯が結晶化現象(エトーシス)で吹き飛びます」
「なんて騒なものを持ち込むんだ」
ディエゴは眉をひそめた。子供達には絶対にらないように注意をしておこう。ちびっこの好奇心で結晶化させられるのは免である。
それからは他ない會話をしながら補強を進めた。最初は主塔に避難しようかとも考えたが、この孤児院は急用の地下室もあるため、むやみに避難するよりも閉じ籠ったほうが安全だろう。もしもの時は周囲の護衛が守ってくれるはずだ。
「そういえば、天巫様と閣下はいつ知り合ったんだ?」
「子供の頃だよ。まだ前任の天巫がご存命だから私は見習いだったんだけど、アーノルフはすでに次期軍団長として注目されていたんだ」
「ほえー、その頃から化けなのか、あの人」
「凄かったよ。もちろん天巫の加護もあったけど、それ以上にアーノルフは強かった。彼が負けた話なんてほとんど聞かないんだから。でも……元老院と軍部の関係が悪化し始めたのもその頃だった」
アーノルフを語る天巫はどこか誇らしげだ。
「俺は元老院が苦手だ。あいつら、すれ違うたびにすごい睨んでくるんだぜ」
「し思想が片寄っているかもしれないけど、元老院にも良い人はいるんだよ。たとえば、初老を迎えてを悪くしているのに、私を守るのが使命だって言って、いつも自分のより私を心配してくれる人がいてね。大袈裟だって言っても聞かないんだ」
トンテンカン、トンテンカン。
最後の窓が塞ぎ終わった。
「あの人、元気にしているかなあ――」
同時に外で銃聲がした。
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