《傭兵と壊れた世界》第百四十四話:涙をこらえて
息を潛めるように靜寂とした塔の街ラスク。かつて星天祭であふれかえるほど賑わった街並みは見る影もなく、誰もが怯えたように家の中へ隠れた。
そんな街中をナターシャが歩く。彼は見るからに傭兵だと判別できる格好だったが、ミリアムとココットのおかげで、すんなりとラスクの部にれた。
「ひええ、ラスクがこんなにも閑散としているのは初めてですう」
「仕方がないわ。戦爭中だもの――」
ふと、先頭を歩くナターシャの足が止まった。彼はいつになく険しい表で前方を睨む。まるで街のが塗り変わったかのように、結晶の波が孤児院の方角から広がっていたからだ。
「これは……二人とも防護マスクをつけて。大規模な結晶化現象(エトーシス)よ」
「は、はいぃ。手を離さないでくださいねミリアム」
「ひっつかないでよ。歩きにくいわ」
結晶屑のざりざりとしたを靴底にじながら三人は進む。孤児院は角を二つ曲がった先にあるのだが、道中の建造はことごとく結晶化していた。住民の気配はない。避難したか、もしくは逃げ遅れたか。
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ナターシャは自分の息が薄くなっていることに気付いた。嫌な予が実に変わりつつあるのだ。存外、心は落ち著いている。が追い付いていないだけだろう。
「ここが孤児院ですか」
「鋭利な結晶がそこかしこに生えているから気を付けて。かすり傷ひとつでも負えば結晶がって助からないわ」
「ひええ」
「あなたは怖くないの?」
ミリアムが問う。首都から出ることのない彼達にとって結晶は恐怖の対象だ。
「結晶は、怖くないよ」
そう言ってナターシャは孤児院に踏みった。中はひどい有り様だ。前に來たときは建てられたばかりの綺麗な裝だったが、今は結晶と銃痕によって廃墟のようにぼろぼろである。
り口に結晶化した戦士が二人。避けて進むと、窓を破ってろうとする戦士が三人。誰もが恐怖に顔を歪めながら死んでいた。
爭いが起きたのだ。ナターシャは彼らのきを頭の中で想像する。おそらくり口と廊下で撃ち合ったあと、孤児院の抵抗が弱まって中に突撃し、天巫を探しながら奧に進んだのだろう。
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一番大きな居室にった。かつてアーノルフ元帥と向かい合って話した部屋だ。他の部屋と比べて特に結晶化現象(エトーシス)が酷く、破壊された補強材が散していた。室で複數の人間が結晶化しており、中にはナターシャも見知った顔がある。
「……」
床に倒れたサーチカ。何かをびながら固まったラチェッタ。そして、強がりのような笑みを浮かべるディエゴ。彼の手元には、ベルノアが作った結晶増幅。
ナターシャは何が起きたのかを察した。奧歯を噛み、一瞬、瞑目。続けてゆっくりと足を踏み出す。
結晶を通してったが淡く照らす室は非現実的であり、結晶によって固まった死も相まって、まるでこの部屋だけ時間が止まっているかのようだ。
の空いたぬいぐるみ。
床に落ちて割れた花瓶。
燈りが消えた封晶ランプ。
人、結晶、人、結晶。
ラチェッタは今にも罵詈雑言を吐き散らしそうだ。サーチカはどこか満足げな様子で眠っている。ディエゴは以前よりも男らしい顔立ちになり、戦士特有の強い意志がじられた。
「またか」
これが戦場だ。
誰かの願いや夢、希がぶつかり合い、ときには誰も救われない結果を殘す。さよならを言う時間すら殘してくれない。いつもそうだ。ナターシャの手が屆かない場所で命を散らし、すべて終わってから現実を突きつけるのだ。
彼はぎゅっと拳を握りしめた。が破けそうなほど強く。銃が軋むほどの力を込めて。
マリーの髪飾りが揺れる。もしも彼が生きていたら、散った戦士達にどのような歌を捧げただろうか。
「ひええ、死がたくさん……ナ、ナターシャさん?」
ココットは足を止めた。
舊友の前で靜かに佇むの、防護マスク越しに見える、悲しげに目を細めた橫顔。それはココットが狙撃を教わった際に見た橫顔とは異なり、どちらが人形かと疑うほど白く、覇気は黒と見紛う深海の青に染まり、孤獨に殺されたようなを瞳に宿す。
いわば死人の顔である。
「よく頑張ったね、ディエゴ」
小さな呟きをこぼした。
ディエゴが小心者なのはよく知っている。きっと怯えて震えたに違いない。だが、強がりな彼はそれを隠して戦ったのだろう。
ディエゴは昔からそうだった。腕っぷしは弱いくせに気概だけは一丁前で、誰かを守るときは無理に格好つけようとする。彼は男の子なのだ。間が悪くて鈍臭いが、馴染みのためならば故郷を飛び出して軍人になるぐらい、仲間想いな男である。
ナターシャは再度、瞑目した。不用な年にさよならを込めて。
「いこうか」
「よ、よろしいのですか?」
「友が、死力を盡くしたんだ。私達も役目を果たそう」
三人は地下室の扉を開けた。同時に、奧から怯えたような悲鳴が聞こえた。見ると、子供達を守るように天巫が立っている。逆になっているせいでナターシャだとわからないのだろう。
「誰……?」
「私ですよ、天巫様」
「その聲はまさか、ナターシャ!?」
天巫は安心したように息を吐いた。いつまで経ってもディエゴが現れないため、彼も敗北を覚悟していたのだろう。
「良かった、本當に助かったよ。あの二人にも後でお禮を言わないといけないね」
「……まずは出しましょう。先に子供達を避難させてもよろしいですか?」
「もちろんだよ」
一瞬の間があったが天巫は気に留めなかった。
「ナターシャお姉ちゃん!」
「待たせてごめんね、シェルタ。怖かったでしょ」
「ううん、私はもう子供じゃないから平気だよ! ディエゴお兄ちゃんはどうしたの?」
「ディエゴはね、先で待ってるの。だからシェルタも避難しよっか。私がいいよって言うまで目を閉じていられる?」
「うん! わかった!」
「良い返事だ。はい、予備の防護マスクをつけてね」
シェルタが言われたとおりに防護マスクをつけて目を閉じる。ナターシャは反重力を使いながら優しく抱き上げた。ミリアムとココットも同じように子供達を抱いた。
ナターシャは足元に気をつけながら地下室を出る。死と結晶の世界を歩く達。シェルタは久しぶりにナターシャと會えて嬉しそうな様子だ。
「実はディエゴお兄ちゃん、お金を貯めているんだよ」
「そうなんだ。何かしいものがあったの?」
「ううん、お兄ちゃんはにしているんだけどね、私達を學校に通わせたいんだって」
ここは塔の中だというのに、誰もいなくなった部屋からびゅうびゅうと風がってくる。シェルタは姉と慕うがどんな顔をしながら聞いているのかを知らない。良くも悪くも、下から見上げるシェルタは、防護マスクが邪魔でナターシャの表が見えない。
「そのために酒場で働いているの。いつも常連さんにいじられているけど、お店の人はみんな優しいんだって!」
「ディエゴは、楽しそうだった?」
「文句ばっかりだけど楽しそうだよ!」
「そう、それなら、良かった」
本當は急がないといけないのだが、名殘惜しさが背中にのしかかり、自然と彼の足取りを重くさせた。
次々と人が離れていく。得たものは大きいが、失ったものも大きい。寄宿舎の年長組も自分だけになってしまった。
寂しい。隣を歩いていたはずの足跡がいつの間にか途絶え、途方のない孤獨をつのらせる。もしもあの日、結晶憑きに対抗できる力があれば。もしも皆を連れて船を降りていれば。もしも、もしも――。
「お姉ちゃん、泣いているの?」
「泣いてないよ」
「でも聲が変だよ」
「防護マスクのせいだ」
泣くものか。泣いて後悔するぐらいならば初めから傭兵を選んでいない。
「ただ、最後にひどい別れ方をしちゃったから、ちょっとね」
世界はさよならに満ちている。銃が、結晶が、もしくは誰かの夢が、爭いの火種となって命を奪う。そんな世界で死と隣り合わせの生活をしているからこそ、さよならを理由に立ち止まってはいけないのだ。
前進こそが亡き者への手向けである。傭兵よ前を向け。
「じゃあ仲直りしないとだね!」
シェルタが無邪気に笑った。ナターシャも「そうだね」と笑おうとした。笑って仲直りをしたかった。笑顔の代わりにを噛みながら孤児院を後にする。
耳の奧でマリーの歌が聞こえた。別れを悲しむ人魚の歌聲がいつまでも頭から離れない。
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