《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》14

ジルのびにはっと老人が顔をあげる。

「しまった、ひさしぶりのいい匂いにつられてしもうてつい……卑怯な!」

「お前が勝手に盜み食いにきたんだろうが!」

ジークの腕をひょいとよけた老人だが、カミラに座っている椅子を蹴倒され、勢を崩す。

すかさずジルは飛びかかったが、上半を起こした老人が小さく言った。

「バリー・サーヴェルはまだ生きとるか?」

え、とまばたいた。バリー・サーヴェル。祖父の名前だ。どうして、という迷いが判斷を遅らせる。その隙に老人は床を転がってジルをよけ、持っていたスプーンを壁に投げる。いきなり天井からの燈りが、ふっと消えた。真っ暗になった視界で、笑い聲が響く。

「ひゃっひゃひゃひゃ、つかまってたまるか! ここは儂の縄張りじゃあ!」

「ちょ、どこだ! 燈り!」

「じゃが、うまいメシの禮くらいはしてやろう。――いつもなら、そろそろ花畑にお客さんがくる時間じゃ」

燭臺の燈りをカミラがつけたとき、廚房にはもう、ハディスたちしかいなかった。

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「……逃げられたか。マジで手強いな、あのじーさん」

「そうね……罠とか頭脳戦持ちかけられると、どうにも調子が狂っちゃう」

「バリー・サーヴェルって?」

壁からスプーンを引っこ抜いたハディスが尋ねる。ぱっと燈りがついた。魔力の回路を一時的にスプーンで斷っただけのようだ。用なことをする。

「わたしの祖父です。先代サーヴェル家當主。もう亡くなってますけど……知り合いなんでしょうか……」

「隊長のきを止めるために言っただけじゃないのか?」

あり得る。だがそれだけでもない気がする。ううん、とジルは眉間に指を當てた。

「やっぱりいっぺん捕まえないとだめですね……意味深なことも言ってたし」

「いつもなら花畑にお客さんがくる時間、ね。やっぱり第一皇妃のことかしら」

「おいハディス! 外に出ろ!」

唐突に空から降ってきたのは、竜神の聲だった。焦った様子に、ハディスが目を細める。

「どうした、ついに神のお出ましか?」

「違う。竜だ。誰か乗ってる。――たぶん、ここにおりるつもりだ。いいから早く外に出ろ、逃がしちまう」

「どうしたの、ジルちゃん」

「ラーヴェ様が、外に出ろって言ってます。誰かが乗った竜がきてるそうです」

いつもなら、花畑にお客さんがくる時間。

カミラとジークが表を引き締め、武を持って先に歩き出す。ジルが見あげると、ハディスも頷いて、廚房を出た。そのかたわらをラーヴェが飛んでついてきた。

「竜には誰が乗ってる」

「わからない、竜が答えないんだ」

「お前に答えないのか? 竜が?」

最低限の燈りがあるだけの薄暗い廊下で、ハディスの聲が低く張り詰める。

「ああ。まるで聞こえてないみたいだ。気配もなかった。俺が気づいたのは、たまたま外で見かけたからだ。――なんかおかしいぞ、あの竜」

そんな竜に乗っている人も當然、ただ者ではない。

先導していたカミラが玄関をあける。外に出た。先に出たジークが、大剣の柄をつかんで、正面を見據えている。ジルもハディスよりし前に出た。竜が舞い降りる風で、正面の花畑が円の形にへこんでいる。

ざあっと、白い花弁が夜風と竜のはばたきに翻弄されて、舞い上がった。

放置された竜妃宮付近に、燈りはほとんどない。唯一、ジルたちが立っている玄関のかがり火だけが、煌々と夜の花畑を照らしている。

舞い降りた竜から飛び降り、花畑を踏んだ長の影は、すぐこちらに気づいた。

「――おや、これはまた意外な先客だ。竜妃宮はまだ使われていないと思ってましたが……はめられましたかね?」

竜の鞍につけたカンテラに照らされたその笑顔を、ジルは知っていた。

かつての未來で、妹の死を盾にクレイトスに迫り、ラーヴェ帝國の皇位継承権を主張した。

つい最近、ライカで竜笛を作らせ反を煽るだけ煽り、姿を消した。

大して魔力はない。武蕓に勝るという噂もない。かつての未來でも、神輿に擔がれただけでいつの間にか退場していた人だった。今も、ライカで反功せず、竜笛も使えなくなっている。何もし遂げられていない。

なのに、ここぞという時運を逃さないような、そういう不穏さがある。

あっとラーヴェが聲をあげた。竜が飛び上がったのだ。そのまま夜にとけるように、飛んでいってしまう。

「竜帝陛下、そして竜妃殿下でお間違いないでしょうか?」

飛んでいった竜をしも省みず、話しかけられた。

丁寧な質問には確信の響きがある。ハディスは答えない。かわりに、カミラが応じた。

「そういうあなたは誰かしら?」

「これはこれは失禮いたしました。私はマイナード・テオス・ラーヴェ」

かがり火が照らす場所まで進み出たマイナードが、に手を當て、その場で跪く。中的な顔立ちや細めのの線も相まってか、優しい所作だ。

「予定とは違いますが、竜帝ご夫婦にお會いできるとは恐悅至極。この度、クレイトス王國より親善大使の任を賜り、參上いたしました」

「親善大使? お前が?」

「こちらを。任命狀でございます、ご確認ください」

懐からよどみない仕草で差し出したのは、クレイトス王國でよく見る書狀だった。

署名は――フェイリス・デア・クレイトス。

「遊學中、王に拝謁する機會を賜り、両國の橋渡しをと願われた次第です。僭越ながら、私もラーヴェ皇族の末席に名を連ねる。祖國の平和のため、盡力したいと思っております」

流暢な臺詞も聲も、まるで舞臺のように作りものめいていた。

「許されるなら、ぜひ、なつかしい家族の顔も見たいと思っておりますよ」

すべてが演技がかった中で、たったひとつ。薄めの金の前髪に隠れた青の瞳だけが、含みをもってきらめいた。

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