《傭兵と壊れた世界》第百四十六話:二つの戦場
かつてする人に言われたことがある。君は笑顔が似合うだ。その優しさで患者の心を照らしてほしいと。その日からソロモンは笑顔を絶やさなくなった。悲慘な戦場でただ一點の太となる。彼にとって醫師団は誇らしい救世主のような存在だった。
「ふふ」
「なに笑ってんだ」
「いえ、懐かしい記憶を思い出しました。私がまだ世間知らずだった頃の話ですよ」
「ずいぶんと余裕そうじゃねえか!」
ホルクスが地面を転がりながら手榴弾を投げた。彼にしては珍しい中距離での攻撃。それだけソロモンに近づくのは危険だということ。されど彼はお構いなしに突撃した。
手榴弾を片手間にはじいて前進。炎の中から躍り出ると、ホルクスめがけて拳を振り下ろした。
「軍醫は何のために存在すると思いますか?」
「そりゃあ人を救うためだろ?」
「いいえ、人のためではなく、國のためです。軍事力を維持するために、兵士の傷を癒して戦場に送るのです。そこにはも誇りも介する余地はない」
ホルクスが紙一重で避けながら散弾銃で反撃。やはり鋼鉄の腕にはじかれる。
銃弾も炎も、鋼鉄の前では無力だ。冷たい鎧がすべてを覆ってしまう。じるはずの痛みも、熱も、命を奪う罪悪も、醫師の尊厳すらも。
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「ですが我々は……醫師団は、耐えました。たとえ命の価値が軽くなり、ときに仲間から疎まれても、命の選別者ではなく、人を救う醫師であり続けようとしました」
「ハッ、大層ご立派なことだなァ!」
「ええ、立派でしたよ。これからも多くの人を救うはずでした。あなたが、醫師団を襲わなければ!」
拳を振るうたびに廃墟が崩れた。ソロモンの能力は戦場の形をも変えてしまう。耐火と防弾に特化したの鎧、そして対象を燃やし盡くすまで消えない焼夷砲の炎。個人が発揮できる力の次元を超えている。
「だから俺を殺すってか! 醫師様が笑わせる! その炎で俺の仲間を何人焼いたんだよ!」
「今の私は傭兵です! もう醫師ではない!」
「それは言葉遊びだぜ!」
再度、放たれる散弾銃。正確無比にソロモンの頭部を狙われたが、彼の左腕が間に合った。超人的な反神経。拮抗するが故に決定打が欠ける。
互いに冷靜さを捨てていなかった。激しい戦闘を繰り広げながらも、決して敵陣に孤立してしまうような愚はおかさない。一瞬の隙が死に繋がる極限狀態において、目の前の戦いに集中しながら戦況を把握していた。いかに単騎戦力が高い両者といえども、たとえば砲弾が命中すれば死んでしまう。圧倒的な數の暴力に襲われては歯が立たない。
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両者が敵陣で孤立しないように立ち回った結果、戦場の真ん中で時代遅れな一騎打ちが発生した。
「そう言うあなたは、なぜ國を裏切ったのですか?」
「最初に裏切ったのは俺じゃなくてシモンだ。シモンが敵っつうことは、軍が、國が俺達を捨てたんだ」
炎が薙ぎ払われた。ホルクスが飲み込まれないように地面を蹴る。ひらけた視界の先に待ちけるはソロモンの拳。彼は予想ではなく反で避ける。天賦の才と呼べる能力が不可能なきを実現させる。
「第三軍は力でのし上がった連中だからよォ、舐められたらおしまいだ。やられたらやり返す。たとえ國を敵に回したとしても。じゃねえと一生、負け犬だ」
「お似合いですよ」
「言ってろ!」
ホルクスが懐に潛り込んだ。焼夷砲が意味をなくし、散弾銃が猛威を振るう間合いだ。至近距離での戦いはホルクスが有利。
「俺達は生き殘ることだけを考えてきた! 戦場では大志も夢も関係ねえ! 誰かのためじゃなく、自分のために命を奪う、それの何が悪いってんだ!」
「奪い合いの因果はいつか自らの首を絞めますよ!」
「そんなもんは破壊すればいいのさァ!」
「……っ!」
地を這うような後ろ蹴りがソロモンのを打ち上げた。仮面の下で驚愕する彼。よもや鋼鉄のを浮かすとは。ソロモンに初めて隙が生まれる。
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ホルクスが獣の如く笑った。
ようやく、見えた決定打。
「てめえが頭を庇ってるのはわかってんだよォ!」
ソロモンの頭部に散弾銃が撃ち込まれた。
鋼鉄の鎧を纏っていても、衝撃を防げるわけではない。ソロモンがあえて義手で銃弾をけ止めているのもそれが理由だ。たとえ弾が貫通せずとも、生の上からけた衝撃は力の行き場を失って臓を傷つける。
頭部に銃弾をけた場合は更にまずい。脳が揺さぶられて失神する可能が高いだろう。ただの銃弾であれば耐えられても、ホルクスの散弾銃であれば破壊力は段違いだ。
ソロモンのが傾く。戦場で一度も倒れなかった鋼鉄の乙が、初めて地に背中をつけようとする。
(意識を失えばてめえを殺せるだろ……!)
ホルクスは勝利を確信した。揺らぐソロモンに薄し、追撃をしようとする――。
否。
彼は本能的な直によってその場を離れた。直後、あふれ返った炎が大地を走る。鋼鉄の乙は倒れていなかった。彼は地面に向けて焼夷砲を放ちながら勢を立て直したのだ。
迸(ほとばし)る火炎。れずともホルクスのが熱気に焼かれる。たまらず後退。これほどの業、これほどの熱量、とても人のに収まるものではない。
「チィッ、不死かよ……!」
ホルクスは表を歪ませた。不死鳥の如く立ち上がるソロモンに初めて恐れを抱く。が熱い。目が焼かれてしまいそうだ。覇気の混じった炎が青を帯び始めた。
「まだ、終われませんよ。終われるはずが、ないでしょう。第二〇小隊を甘く見ないでください……」
ソロモンの仮面が砕けていた。金の髪をなびかせ、額からを流し、顔に痛々しい火傷を負ったが殘骸の上で仁王立つ。純然たる復讐の瞳。と力を現した乙。
「簡単に諦められないからこそ、我々は命を燃やして戦っている……あなたも同類だと言うならば見せてください。命の煌めき、殺した醫師団に見合う生き様を!」
彼は數多の亡霊を背負った。醫師団の仲間やする夫、手にかけたローレンシア兵が怨念の炎となって周囲に燃え広がる。これぞ第二〇小隊が誇る最強の傭兵。彼こそがルーロの亡霊だ。
◯
戦場の余波は主塔の部にまで伝わった。だがしかし、激しい戦闘を繰り広げるナターシャはそれをじる余裕がなかった。
銀の拳が迫る。ただ避けるだけでは間に合わない。見えた瞬間にを捻り、回し蹴りをアーノルフの義手に放つ。さらにマリーの反重力を上乗せすることで、格差がありながらもアーノルフの義手を弾き飛ばした。
「今のあなたはどっちかしら。元帥? それとも結晶憑き?」
「私は元帥だ。天巫様の守護者であり、私が、私だけがおそばに――」
駄目そうだ。そもそも結晶憑きになった時點で手遅れ。言葉を介しているだけでも奇跡に近い。例えばラフランの三兄弟のように特別な加護があれば別だが、足地で暮らしているわけでもない人間が結晶に抗うことはできない。
きっと天巫への想いだけがアーノルフをい立たせているのだろう。とっくに亡者とり果てていてもおかしくないはずだが、彼は守りたい一心でナターシャを略奪者と認識し、襲いかかっていた。
結晶憑きを相手に弾戦を挑むのは自殺行為だ。一撃でもければ傷口から結晶化現象(エトーシス)が起こる。だがアーノルフのはによって改造されており、おまけに結晶によって守られているため、並の銃弾では通用しない。
「そうまでして守りたいなら私を見逃してほしいんだけど! 天巫をパルグリムに奪われてもいいの?」
「奪わせんさ! 何一つ、彼の笑顔を曇らせる者はすべて、私が排除する!」
「それが不可能だと言ってるのさ! この戦爭は負けるわ! ただでさえ不利な戦況だったのに、総指揮のあなたまで欠けたんだから!」
白拳銃を構えて発砲。二発の弾丸がアーノルフのに命中した。されど彼は結晶憑き。の下まで進行した結晶化現象(エトーシス)が鎧のように弾丸をはじく。
アーノルフは避ける素振りすら見せずに直進した。化けとなった彼の腳力は凄まじい。抉れた地面がその証拠。圧倒的な速度は圧を生む。
「私が欠けた? 何を言っている。元帥は不滅だ。天巫様がおられる限り私は戦い続けよう!」
大きく跳躍。これは避けねば、まずい。隕石のごとく迫る拳が大地を破壊する。さらに追撃。アーノルフは筋の斷裂を無視して足に力を込めた。
獣のようなラッシュだ。しさはなくとも、敵を殺すために最適化されたきが最高速を生み出し、拳が、蹴りが、必殺の威力をもってナターシャを襲う。
ナターシャは限界まで集中した。まともにければ潰される。アーノルフが打ち出す瞬間を見極め、互いのがれる瞬間に反重力を起こし、威力を軽減して耐えるのだ。それでも數発をければ骨が砕けるだろう。以前に戦ったときとは段違いの力だった。
(痛い……けど、まだ……!)
ただの痛みならば我慢できる。相手は人を捨てた化けだ。こちらも相応の覚悟を持たねば勝てない。
戦いとは先に弱さを見せた者が負ける。意志で、力で、覚悟で、負けた者が死ぬ。
「ねえ、本當に私がわからないの? もうあなただけでは守れない。天巫を大國から引き離さないといけないの」
「おかしなことを言う小娘だ。大國よりも安全な場所がどこにある? 街が消え、國が滅び、あぶれた人民が限られた資源を奪い合う世界で、大國よりも強大な國が存在するとでも? 人の世は壊れたのだ。だからこそ、私はローレンシアを大きくした! 我がローレンシアだけが、天巫様をお守りできる!」
「それがもう限界だって言ってんの!」
ナターシャは猛攻に耐えつつ反撃の機會を待った。正面から戦えば勝機はない。狙うは急所。
「限界など何度も抗った。今さらなのだよ!」
しぶとく耐えるに対して焦ったのだろう。アーノルフが大きく振りかぶる。我慢の末に見つけた活路。
ここだ。結晶化現象(エトーシス)が彼の判斷能力を鈍らせた。ナターシャはを反らしつつ、反重力をのせた拳でアーノルフの義手をはじいた。そのまま流れるような作でを沈め、直後、進。鋭い蹴りがアーノルフの元を捉える。
本來ならばの腳力で大人の男を浮かばせるのは不可能だ。されどがれる瞬間、マリーの反重力がアーノルフのを軽くした。
故に、地面から足を離したアーノルフ。
ナターシャの白拳銃が無防備になった眉間を撃ち抜く。狙いは正確。結果は――。
「……すぎるでしょ!」
アーノルフ、健在。弾丸は彼の脳を破壊するに至らなかった。
ナターシャも一撃で無力化できるとは本気で考えていない。銃が通じないならば別の手段だ。
アーノルフがよろめいた隙に距離を離し、遠巻きに見ていた天巫のもとへ駆け寄ると、彼の腕を引いて走り出した。
「逃げますよ天巫様!」
「でもアーノルフが……!」
「諦めてください!」
未練が殘る天巫を無理やり昇降機に乗せた。多遠回りでもアーノルフが追いづらい道を選ぶしかない。高低差のある構造は幸いだ。反重力を活かしやすいから。
「ぐっ……ああ、天巫様……」
アーノルフは遠ざかる天巫を見上げた。瞳に焦燥のが浮かぶ。
結晶化現象(エトーシス)は著実にアーノルフの脳を侵食しており、ナターシャのことはおろか、自らの國が戦爭中であることすら記憶から薄れつつある。それでも天巫だけは忘れない。
アーノルフは誓った。どれだけ犠牲を積み上げてでも天巫を自由にする。そのために元帥となって國を変えると。
「誰にも、無駄だったとは言わせんぞ。私の努力も、天巫様の願いも、すべて、私ガァ……!」
の結晶が広がっていく。明滅するを帯びる様は、まるで宿主の想いに呼応しているかのようだ。
男はさらに墮ちる。人のを失い、願いのために戦う化けへ。
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