《傭兵と壊れた世界》第百四十七話:赤く染められた空
戦場が熱を帯びている。北の戦場と主塔部。二ヶ所から発せられる熱をイヴァンはじ取った。
「ミシャ、急ぐぞ。戦いが終わりそうだ」
「……戦っているのはソロモン?」
「ああ、それとナターシャだ。通信機で報告できないほど切羽詰まっているようだな」
「……了解。私達も頑張る」
二人の周りには中毒部隊(フラッカー)の亡骸がずらりと並んでいる。たった二人で生み出した慘劇。それでもまだ亡者の集団は殘っていた。忌まわしき慣習をここで絶つべく、二人は決意と共に銃を握る。
「傭兵どもに任せてられねえ!」
「俺達も続くぞ!」
中毒部隊(フラッカー)に立ち向かうのはイヴァン達だけではない。二人の闘志が周囲を巻き込み、恐怖に屈したローレンシア兵を起させた。
戦いが加速する。旗頭ユーリィは敵軍の揺らぎに乗じて攻め立て、ラトリエ団長が傭兵を率いて支援をし、それらをアメリアがまとめて抑える。勝敗を分ける瀬戸際だ。ホルクスのきが封じられ、アーノルフが欠けた今、あと一人でも英雄が倒れれば戦況がく。
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○
熱気の中央でソロモンは笑った。戦場の空気を生で味わうのは久しぶりだ。仮面を被っていたときよりもずっと熱くじられる。焼夷砲の炎が自らも焼いてしまいそうだった。
「そんなに俺と戦えるのが嬉しいかよ?」
「ええ、嬉しいですとも。あなたは苦しそうですね。最期になるんだから笑ったらどうですか?」
「ハッ、誰の最期になるって?」
言葉の応酬。銃と炎の応酬。
二人が爭うたびに廃墟が崩れる。あまりにも激しい戦いが、誰も近付くことのできない、二人だけの世界を作る。もしもイサークが生きていれば遠距離から援護ができたかもしれない。されど副は消え、育て上げた仲間も切り離され、ホルクスは一人で戦うことを強いられた。
「速さを封じられたあなたは子犬のようですよ!」
焼夷砲が薙ぎ払われる。普段のホルクスであれば近くの瓦礫や廃墟を伝って容易に回避できるだろう。しかし足場に使えそうな建はことごとく破壊されており、炎からを隠せる場所は限られていた。
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(撤退するか、せめて場所を変えないとまずいな……!)
出するにもソロモンが隙を見せない限り難しい。そして彼が敵を前に油斷する可能は無い。ならば賭けるしかないだろう。リスクを負わずして勝利はあり得ないのだから。
「俺を封じたァ? 勘違いすんな!」
ギアが一段階上がった。ホルクスが加速する。逃げるためではなく、攻めるための速度。彼は焼夷砲の炎に正面から突っ込んだ。
「気が狂いましたか――」
と訝しむソロモン。彼はすぐに間違いだと気付く。
炎の中からホルクスが躍り出た。彼は散弾銃を盾にしながら、炎が燃え移るよりも速く駆け抜けたのだ。
「がら空きだぜソロモン!」
「馬鹿げていますよ……!」
この男、底知れぬ。軍団長でありながらまだ長過程。追い詰められた狀況がかえってパフォーマンスを引き上げる。
予想外の反撃を食らったソロモンは勢が整っていない。今度こそ、彼の頭に散弾銃が向けられる。仮面はない。回避も間に合わない。
(取った……!)
ホルクスが引き金の指に力を込める。極限の視力による引きばされた時間の世界。銃口と標的がピタリと重なった。
剎那、ホルクスは亡霊を見た。
ソロモンのから溢れる怨念の渦。見知った顔、見知らぬ顔、戦場で散った命、その一つ一つがホルクスを死に手招いている。まさに本能的恐怖。
(完全に裏をかいたんだ、てめえに何ができる――)
そう思いながらも、ホルクスはあと一歩というところで踏みとどまった。その直は正しい。進んでいれば次の一撃を防げなかっただろう。
ソロモンのがぶれた。
強制解除(パージ)だ。義手の左腕を切り離した反で弾道を避けたのである。さらに焼夷砲を軸にしてを捻ると、ホルクスに向かって急接近。鋼鉄の蹴りを橫凪ぎに放った。
「ぐっ……!」
なんとか左腕を差し込んで防ごうとするも、衝撃を逃しきることができず、ホルクスはけすら取れずに地面を転がった。
直後、激痛。恐らく骨が折れたのだろう。脳が痛みに支配され、地面の熱気もじられぬほどにが麻痺をし、指先一つかそうとするだけでも全が軋んだ。
(うめ)くホルクス。だが、立たねばならない。痛みに耐えねば死を待つのみ。見ろ、炎が迫っているぞ。立て、立て。
「くそがァアア……!」
ホルクスは走った眼で炎の嵐に飛び込んだ。激痛で速度が殺されているため、仲間の死を盾にして炎を防ぐ。窮地でのみ生まれる埒外の腕力。
狼は走った。回り込んだ炎がを焼こうとも、踏み込む度に激痛が走ろうとも、彼は足を止めない。活路は前にしかないのだから。
「なんというしぶとさ!」
飛び出すホルクスと待ちけるソロモン。今度は正面からの激突。散弾銃と焼夷砲が差する――。
「ハッ、誰が馬鹿正直に戦うかよ!」
ホルクスから放たれたのは牽制の一発のみ。彼はすれ違うようにしてソロモンの後方を目指した。
一時撤退だ。不利と察したホルクスは戦わないことを選んだ。生きてさえいれば再戦できる。生きてさえいれば、敗北ではない。
そうやって彼は強くなったのだ。獣と呼ばれるならば、獣らしく生存本能に従うまで。今は勝てずとも次で勝てば良い。
(どこかに炎の切れ目があるはずだ。じゃねえとアイツも逃げられんだろ)
ホルクスの行く手を炎の壁が塞いだ。廃墟もほとんどが崩壊しており、建を伝って跳び越えることはできない。炎の向こう側が確認できるならば腳力で突破するのだが、どこまで燃えているかわからない以上は流石のホルクスでも二の足を踏む。
(どこかに……)
痛む脇腹を我慢しながら出路を探す。あふれ出した汗が軍服を濡らして気持ち悪い。進めば進むほどが焼かれそうだ。
(どこ――)
延々と続く赤の世界。嫌な予が徐々に現実味を帯び始め、別種の汗が背中を伝う。
ついにホルクスの足が止まった。
「どこへ行こうと言うのです?」
彼を囲むは火の。絶え間ない炎の壁が逃げ道を塞いでいた。カシャン、と背後で音がする。追いつかれたか。苦々しい表で振り返ると、片腕の乙が自らの炎に煌々と照らされながら立っていた。
「最初から逃げ道を塞ぎながら戦っていたのか……このままじゃてめえも蒸し焼きだぞ」
「私だって仮面を失わなければ生きて帰るつもりでしたよ。まあでも、あなたを逃がさないためには、こうするしかなかったでしょう」
「ハッ、無傷が前提の策なんて、自滅覚悟の特攻と変わらねえだろ」
ソロモンが焼夷砲を構えた。何十、何百と命を屠ったが最後の炎を蓄える、そのあまりにも軍醫からかけ離れた姿にホルクスは笑ってしまった。これが自分の手によって生まれた怪か。
「ふざけただ。生きてこそだろうが。善も悪も、夢も復讐も、すべて生き殘った者の特権だ。復讐を完遂したって、てめえが死んだら意味がねえだろ」
「それは復讐以外の生き方を知っている人の考え方でしょう。この手で命を奪った日から私は軍醫ではなくなった。國も醫師団も、する夫も消えた。殘ったのは鋼鉄のと焼夷砲だけ」
引き返す道はとうの昔に捨てている。軍醫であるはずの彼が、その手で命を奪った日から、彼の生き方は決まった。復讐こそが夢であり贖罪なのだ。
「ふん、理解できねえ生き方だ」
「そうでしょうね。だから我々は爭っているのです」
今度こそ逃げ場なし。
これは最後の足掻きだ。ホルクスは力の限り大地を蹴った。
素早く二丁の散弾銃を構える。されど、すでに銃口を向けられている焼夷砲のほうが圧倒的に早い。
「さあ眠りなさい狼よ。あなたは間違いなく天才でしたよ」
ホルクスが炎に包まれた。萬全の狀態であれば避けられたかもしれない。されど戦場に「もしも」は無し。
狼の斷末魔が響いた。數多の戦場を駆け、大國の若き軍団長として活躍し、有り余る戦の才能によって反と尊敬の両方を浴びた男、ホルクスが墜ちる。
(ちくしょう……悪いなイサーク、あとは任せたぜ――)
最後に浮かべたのは小言の多い副の姿。それも炎に焼かれてすぐに消えてしまった。
ゴツン、と焼夷砲の先端が地面にぶつかる。力なく片腕を下げたソロモンは靜かなる高まりをじた。
達と安心。この手でホルクスを討つと決めた日から隨分と時間がかかってしまったが、どうにか間に合ったようだ。
仲間には謝をしている。鋼鉄の、ホルクスと戦う機會、そして何よりも、かけがえのない時間を過ごせたことに。大切な仲間と出會えたのは數ない幸せだった。ミラノ水鏡世界への旅路も終わり、ようやく彼らの夢も葉い、あとはこの炎を鎮めるだけだった。
「ナターシャを悲しませてしまうのは、申し訳ないですね。イヴァンは納得してくれるはず。ミシャも、今さら言葉は要らないでしょう。ベルノアは怒るかもしれません。彼は、ああ見えて仲間想いですから」
炎が徐々に狹まっている。肺に送られる空気も薄い。終わりの時間は刻一刻と迫っていた。
最後にあの星空をもう一度見上げたかったが、さすがに贅沢は言えないだろう。灰に染まった空こそ自分には相応しい。太く短く。ここが、鋼鉄の乙の終著點。
ソロモンは炎の向こう側で戦っている仲間に「ごめんなさい」と謝りつつ、どうか思うがままに、そして満足のいく選択ができるように祈った。
「任務完了。傭兵に……いえ、我らが第二〇小隊に幸(さち)あれ」
やがて狼の亡骸に炎が燃え移り、灰だった空がわずかに赤く染められた頃、燃え広がった炎は一本の柱となってソロモンを飲み込んだ。
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