《傭兵と壊れた世界》第百四十八話:因果の

アーノルフと一緒に居られるだけでよかった。もちろん普通の暮らしをんだのは本心だが、隣にアーノルフがいることが大前提である。天巫の役目は重くて辛い。投げ出したくなる日もある。だが、今にも倒れそうなほど疲れた日に、アーノルフと並んで祭壇の花を眺める時間は嫌いではなかった。

彼がいたからこそ頑張れた。多くはまない。裕福な暮らしも、地位や名聲もいらない。ただアーノルフと普通の毎日を送りたい。

「待ってナターシャ! アーノルフを助けないと!」

「手遅れですよ! 結晶憑きが治った事例がないのは知っているでしょう!」

「でも彼は意思があった! 普通の結晶憑きじゃない!」

背後で床がぜた。現れたのはアーノルフ。昇降機を待つのではなく、柱をよじ登って床ごとぶち抜いたのだ。

「あれを助けるって? むしろ助けてほしいのは我々です!」

アーノルフのは先ほどよりも結晶化現象(エトーシス)が進行している。脳のリミッターが解除された彼は紛うことなき化けだ。天巫は悲痛な顔をした。彼もわかっているのだろう。脳が結晶化した者は遅かれ早かれ亡者と化す。むしろ理があるうちに殺すのが慈悲かもしれない。

アーノルフの義手がナターシャに向いた。來る。今の彼は拳ひとつで街の構造を変えるほどの破壊力を有しており、かすっただけでも致命傷になりかねないため、ナターシャは全力で回避に専念した。

「天巫様、摑まってください!」

「きゃっ!」

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ナターシャは天巫を橫抱きにした。ここでも反重力の力が活きる。

迫る拳。右、叩きつけ、さらに引き戻した拳での薙ぎ払い。紙一重で屈む。瞬時に放たれるアーノルフの膝蹴り。これも背面跳びの要領で躱す。腕の中で天巫が目を回したが気をつかえる狀況ではない。

「ガァアア!」

「ついに理を失ったか! 天巫様がいるってのに容赦がない……!」

地に著く瞬間を狙って義手が振るわれる。これは避けられない。ナターシャは左足を軸にしてをひねると、アーノルフの拳に橫から叩きつけるような蹴りを放った。れる瞬間に反重力。瞬きすら許されぬ絶技によって、化けの巨をはじく。

「見たでしょう、天巫様! 彼は我々を認識していない! 人は結晶に勝てないのです!」

「でも……でも!」

「あなたの肩に乗っている命はひとつじゃない!」

天巫に強く握り締められ、彼の爪がナターシャのに食い込んだ。されど一喝。覚悟を決めよ。

アーノルフがよろめいたのは一瞬だ。すぐさま勢を立て直してナターシャを襲った。目にも止まらぬ連撃。ただの一凪ぎが轟音を起こす。

ナターシャは思考を極限にまで沈めた。脳が悲鳴を上げるが構っていられない。あっという間に水晶の瞳が充する。それでも人のの限界を超えねば化けと渡り合うのは不可能。

「あなた、目からが……」

天巫の頬を赤い水滴が濡らす。ナターシャも、アーノルフも、互いにを削り合っていた。出し惜しみはない。本気も本気。彼らは神の青い覇気をまとう。

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化けが足に力を込めた。一瞬の収、からの強襲。あっという間に目の前まで迫り來る。

先ほどと同じく、反重力の蹴りで軌道を逸らすが、今度はけた角度が悪かった。はじかれた反で二人が宙に飛ばされた。

「ひゃぁああ……!」

「大丈夫です! このまま上に逃げますよ!」

常人であれば地面に叩きつけられるだろうが、反重力を持つナターシャにとっては好機。宙に投げ出されたナターシャは、その勢いを利用して上階を目指した。天井から吊り下がる家の柵に飛び乗り、さらに別の建を足場にして、上階に繋がる吹き抜けを目指す。流石のアーノルフも追っては來られないだろう――。

「私がァ、天巫様を守ォル……!」

ナターシャが反重力の力で跳んだのに対し、アーノルフは純粋な腳力で同じきを再現した。

追いすがる化け。ラスクの街並みを破壊しながら強引に上階を目指す。そして彼は見た。自らを歓迎する細長い銃口を。

「……!」

ナターシャが結晶銃を構えながら上階で待っていた。いかにアーノルフが俊敏であろうとも、空中にいる狀態ならば避けられない。照準が彼の頭を捉える。

発砲。

弾丸が脳天に吸い込まれた。走り続けた後とは思えぬ完璧な狙撃だ。彼の沒的な集中はまだ続いていた。

「こいつは効くでしょ。なんたって私の相棒なんだから」

アーノルフの結晶が大化した。ナターシャのが結晶化現象(エトーシス)を促進させたのだ。彼は急長する結晶に苦しみながら落下する。そのまま落ちろ、今度こそ止まれ、とは願う。

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「邪魔をするなッ、亡霊ィ……!」

元帥はまだ墜ちない。結晶弾が脳にまで到達しなかったのだろう。彼は天井から釣り下がる家屋の階段を摑むと、振りかぶるようにして再度迫った。狙撃されないように左腕で顔を庇いながら。

「もういいんだよアーノルフ! これ以上戦うとあなたのが壊れちゃう!」

「駄目です天巫様、行きますよ!」

は駆け出した。が重い。過度な集中と反重力を使い続けての戦闘、そして純粋な疲労が彼力を奪う。それでも走らねばならない。天巫を救い、大戦を防ぐと決めたのだから。

結晶憑きは學習する。ましてや意思を殘したアーノルフとなればその速度は未知數。急速に長した結晶が彼の意識とせめぎ合い、浮上したかと思えば沈むような微睡みを繰り返していた。

「ここは私の深層心理か。明晰夢のようで奇妙な覚だ」

アーノルフはの海に立っている。直接、ないしは彼が命じて殺した者達だ。

「私のが……やってくれたなイサークめ。いや、大事なときに揺した私の失態か。アメリアに迷をかけてしまったな」

彼は水面に映る自分を見つめる。半が結晶化した姿。確認するまでもなく手遅れだ。もっとも、いつかこうなると覚悟していた。算の時が訪れたというわけだ。罪に対する罰としては妥當なところだろう。

因果は巡る。

夢のためにイサークの父を排除し、夢を目前としてイサークに阻まれた。もしもイサークの狙撃が失敗していたとしても、遅かれ早かれ自分は死んでいた気がする。運命とはそういうものだ。

「ナターシャが天巫を連れている、ということは……そうか。第二〇小隊はその道を選んだのか。奴は相変わらず損な役回りばかりをする」

彼はナターシャたちの選択を察した。その多大なる覚悟に敬意と謝罪を抱く。自らの不甲斐なさが彼らに大犯罪者の道を選ばせたのだろう。本當は自分の手で天巫を幸せにしたかったが、こうなった以上は彼らに任せるしかない。

「私の旅路はここまでか」

の海で獨り、慨に耽(ふけ)る。隣に立つ者はいない。あの優しいれることは二度と葉わない。驕っていたわけではないが、思っていたよりもあっけないものだ。所詮、人ひとりが手をばせる距離は決まっているのだろう。

このまま冷たい海に沈むのも悪くない。だがアーノルフも男だ。守るべき者を決めた以上、最後まで足掻いてみせるのが戦士である。

再起せよ。ここはまだ道半ば。夢を託すならば、相応の誠意を見せろ。

「フッ、せめて元帥らしく振る舞うとしよう」

墮ちた鷹が再度、舞い上がる。たとえが朽ちようとも、最後まで――。

ナターシャは異変をじた。撃ち落としたにも関わらず力技で追いついたアーノルフだが、急にきが止まったのである。発しそうな覇気も穏やかになり、戦場に靜けさが戻った。

「あなた、まさか意識が……」

アーノルフの瞳に理が宿る。

「存外、私はしぶといようだ。貴様との戦闘は良い眠気覚ましだったよ」

「アーノルフ……!」

天巫が今にも破顔しそうな聲を上げる。彼からすればまさに奇跡。星天の神々に祈りが屆いたような錯覚を覚えているのだろう。

されど現実は非なり。一度始まった出來事を無かったことにはできないのだ。

「申し訳ございません、天巫様。ずっとあなたの元帥で居たかったのですが、どうやら限界が來たようです」

「なんでそんなことを言うの……? 一緒に逃げようよ。それでもう一回、國を立て直そう?」

アーノルフは首を振ってからナターシャを見た。今もしずつ結晶化現象(エトーシス)が進行しており、時間はあまり殘されていない。

「私が出來ることはただ一つ。最後まで天巫様に忠を盡くすこと。構えろナターシャ。亡霊らしく私を止めてみせよ」

「やっぱりこうなるのね。さっきと変わらないじゃん」

「なに、私の死を貴様らの筋書きに加えようというだけのこと。天巫様が奪われたという事実を、皆に知らしめる手伝いをしてやるのだ。どうせ結晶によって朽ちる。せめて有効に活用しようじゃないか」

天巫をさらう、という思にアーノルフが乗った。そ(・)の(・)ほ(・)う(・)が(・)映(・)え(・)る(・)か(・)ら(・)。もしもアーノルフがこの場で死に、天巫を奪ったとしても、戦場の兵士達はその事実を知らずに戦い続けるだろう。それでは意味がないのだ。「天巫が第二〇小隊に奪われた」という事実が伝わらなければ、天巫の行方を探すために、さらなる戦いが起きてしまう。人は疑い深い生きだ。たとえローレンシアが天巫の不在を主張しようとも、パルグリムは素直に信じないだろう。

だからこそ、戦場から見えるように天巫を奪う必要がある。後から事実を知るのではなく、今すぐに、大々的で、兵士たちの心に刻み込まれるような略奪を演じることで、無為に流れるなくする。

「言っておくが私は本気だ。手加減ができるほど今のは自由じゃない」

「なんで……君達は、戦いでばかり解決しようとするの?」

「我々が弱いからですよ天巫様。他國に、結晶に、世界に、力以外で抗う(すべ)を知らないから銃を握るのです。平和とは爭いの延長線上に存在するもの……散りゆく命はすべて、平和への礎(いしずえ)となるのです!」

アーノルフが地を蹴った。再度激突。今度は化けの皮をかぶった元帥として立ちふさがる。

ナターシャは天巫を橫抱きにして避けた。両腕が塞がっているため正面での戦いは不利だ。しかもアーノルフの意識が戻ったことで戦況は悪化。下手に反重力で跳べば容易く落とされるだろう。

直撃を免れたにも関わらず、風が二人を吹き飛ばそうとする。ただの一撃でこの威力。続く回し蹴りがの頭を正確にとらえる。目で追える速さではない。故に本能。戦場でつちかった勘だけが頼り。

「なにが有効活用よ! 殺しにかかってるじゃない!」

「私のわがままも含まれているからな! 天巫様を託すのだ――私が納得のできる力を見せたまえ!」

「相変わらず上から目線の男ね!」

達が戦っているのは主塔西の連絡塔三階だ。この塔を出ればアメリア軍とホルクス軍がぶつかる戦場に出られるのだが、あとしの距離が果てしなく遠かった。

アーノルフは地面に生えたパイプを引き抜くと、手頃な大きさの得として叩きつけた。轟音。ナターシャは後ろに跳んで避けるも、飛び散った破片に襲われる。彼一人ならば問題ない。だが、とっさに天巫をかばったナターシャは複數の破片が腕に刺さった。

「天巫様がいるのに暴ね……!」

「貴様を信頼しているのだよ! 言っただろう、私は本気だと!」

痛みにうめいている場合ではない。アーノルフが大振りの隙を見せているうちに天巫を抱えて走り出した。今は逃げるが得策。とにかく距離を稼ぐしかない。

「貴様こそ本當に良かったのか? 大國から天巫を奪えば、たしかに最悪の事態は避けられるだろう。だが世界が許してくれんぞ?」

「第二〇小隊はね、そういう汚れ仕事の専門なの。それに第二〇小隊がバラバラになるぐらいなら、無理にでも闘う理由を作ったほうが良い!」

「ハッ、夢(エゴ)のために仲間を巻き込むと言うのか!」

「そうやって悲観的な解釈をするから、あなたは孤立したんでしょ! 個の力には限界があるというのに!」

「笑止!」

アーノルフがぶ。そのたびに結晶が舞った。一挙一が命を削る。

戦場において死兵とはかくも恐ろしい。捨てとなった戦士は恐怖を忘れ、自らが傷つくことも厭わず、そして、最も命が輝く瞬間を戦いに費やすのだ。

「夢を見つけたとき、人は孤獨になる! 脳にこびりついた憧れが、誰も追隨できぬ狹き道に背中を押す! 孤獨とは恐れるものではなく、背負うものだ!」

アーノルフの理不盡な一撃が振るわれる。反重力による相殺が間に合わない。ナターシャは足に鈍い痛みをじながら吹き飛んだ。

だがナターシャもただでは転ばない。

「わかっているわ、そんなこと! でもね、孤獨の道を進み続けて、すべてを失った裏切り者を知っている! 積もりに積もった寂しさは無自覚に人を殺すのよ!」

痛みに耐えながら手榴弾のピンを抜いた。はまだ空中。視界が反転する中、片方の腕で天巫をかばい、もう片方で手榴弾を投げる。

「あなたの願いは背負っても、あなたの二の舞にはならないわ!」

炎がアーノルフを包んだ。まだ結晶化をしていない生が焼かれる。されど耐えた。ただの手榴弾では彼を止められない。

(この程度……!)

塵の奧で背中を向けるナターシャが見える。當然ながらアーノルフは追う。灰暗い煙を抜けたとたん、眩しいほどに視界が明るくなった。

「外壁を破壊したか……!」

ナターシャが投げた手榴弾は二つだったのだ。アーノルフに投げたものは囮であり、外壁の破壊が本命。ナターシャが天巫を抱えて飛びおりた。外壁の向こうはちょうど戦場だ。二人のがラスクの塔から飛び出した。

「私から逃げられるとでも!」

後を追いかけて外壁から飛びおりる。そしてアーノルフが気づく。罠だ。

ナターシャは空中で結晶銃を構えていた。天巫が必死な表でナターシャを止めようとしがみついている。両手が自由になったナターシャは反重力で落下を軽減し、まるで彼の周りだけ時間の流れが遅くなったかのように、悠々とした作で結晶銃の引き金に指をかけた。

「これは……まいったな」

アーノルフは眼下を見た。必死に戦うローレンシア兵達が、驚愕した表でアーノルフを見上げている。彼らは何も知らずに「第二〇小隊とアーノルフが爭っている」と信じるだろう。これで大犯罪者の烙印が押されるのは確定した。「天巫を守りたい」というアーノルフの意志は、結果的に第二〇小隊へ託された。

悪くない幕引きだとアーノルフは思う。天巫の守護者として最後に戦えたのだから。

「待ってナターシャ! まだ撃たないで! 私達はまだ話し合う時間が――」

「さようなら、偉大なる元帥」

アーノルフの頭部から結晶が咲きれた。今度こそ、脳が完全な結晶化現象(エトーシス)を起こす。

元帥開花。

「見事」

アーノルフは稱賛を送った。それは自らを討ったこと、そして彼達が今後歩むであろう道に対して。未練は殘る。天巫の隣で同じ道を歩みたかった。

彼は手をばす。あまりにも眩しく、儚い二人に向けて。きっとこの手は汚れすぎた。巡った因果、ここが引き際なのだ。

アーノルフは薄れゆく意識の中、彼の腰にしがみつく天巫と目があった。澄んだ瞳だ。ああ、やはり口惜しい。悔やむ心も闇の中。天巫の涙が空に軌跡を殘す。

業にまみれしアーノルフ、ここに散る。

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