《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》26
「……こねえな、嬢ちゃん」
ラーヴェのつぶやきを聞ける者は、ここにはいない。花冠祭用の裝の寸法確認を終え、著替えたハディスの橫で、ヴィッセルが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「さすが竜妃殿下だ、二度も竜帝との裝合わせをすっぽかすとは……! 何度してやられるんだ、學習能力がないのか」
「ま、まあまあ兄上。ジルだって頑張ってるわけで――」
「失禮致します。第一皇妃カサンドラ様がおいでです」
元兇がきた。ヴィッセルが嘆息し、室の許可を出す。
背の高いが、靜かにってきて、ハディスに深く辭儀をした。
後宮から出てこないこの第一皇妃とは、初対面に等しい間柄だ。會うのも、前皇帝が後宮に住まいを移すとき以來だった。そのときも深々と頭をさげていてほとんど顔が見えなかったのだが、まったく年を取っていないように見える。
「竜妃殿下はこちらにおいでではないでしょうか」
抑揚のない第一聲に、ヴィッセルと顔を見合わせた。
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「見てのとおりだがどういう意味だ、カサンドラ妃。あなたと一緒ではないのか?」
「いいえ。竜妃殿下は私にまかせるとおっしゃって出ていかれてしまい、それきりで……晝食後にお約束したのですが……」
言い訳と疑うにはカサンドラの困は本に見える。
つまり――ハディスのことを忘れている。ヴィッセルが呪詛のようにつぶやいた。
「嫌がらせでも行き違いでもなく本當にすっぽかしてどうする、あの馬鹿竜妃……!」
カサンドラの前だ。ははは、とハディスは笑ってみせた。
「何かに夢中になってるのかな。ジルらしいね」
「目が笑ってねえぞ、お前……」
ラーヴェがうるさい。溜め息まじりにカサンドラが肩を落とした。
「……さがしてまいります。々お待ちを」
「いや、いいよ。時間もない、パレードの確認に行こう。それに、ジルなら何を著ても可いからね。青いドレスだろうが、裾持ちもいなかろうが」
変更するという予定のデザイン畫を取って、ひらひらと思わせぶりに振る。カサンドラは素っ気なく口をかした。
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「竜妃殿下の裝いがご不満ですか。陛下にご希があればそのようにいたします」
「ないよ。判斷するのはジルだ。ジルはこれでいいって言ったんだろう?」
「……私にまかせる、とおっしゃいました」
消極的な責任回避だ。ハディスは鼻で笑う。
「なら君にまかせると言ったジルを僕は信じるよ。君のことはまったく信じてないけど、僕は妻にはひざまずく男だからね」
「ずいぶん、竜妃殿下を信頼してらっしゃるのですね」
「だよ。覚えておいてね」
牽制がわりに笑顔で言い足しておく。すると、カサンドラは居住まいを正してこちらに向き直った。
「……後宮にこのような言い伝えがあります。竜妃にはを、皇妃には理を。代々の竜帝が妃に求める振る舞いだそうです。――陛下もその例にれないようですね」
何か勘に障ったらしい。まったくのなかった聲が、わかりやすく冷えているのを、意外に思った。ヴィッセルも驚いたようにカサンドラを眺めている。
「竜妃殿下に事を確認してからと思っておりましたが、それだけ信頼関係があるのならば大丈夫でしょう。こちらを」
カサンドラの背後に控えた後宮が、目配せをけて靜かに進み出た。差し出されたのは手紙だ。宛先を見たヴィッセルが手をばすより先に、ハディスは取る。封をあけ、中を取り出す。ハディスの手元を覗きこみ、同じ文面を読んだラーヴェが仰天した。
「しの竜妃殿下……ってこれ、まさか嬢ちゃんへの文か!?」
「昨夜、フィーネの部屋で発見いたしました。他にもいくつか」
「いつから、どこで?」
冷えたハディスの表を見て、カサンドラの口元にわずかに笑みが浮かぶ。
「やはり、ご存じなかったのですね」
答えるかわりに、手紙を握りつぶした。
「出回っているのか」
い聲でヴィッセルが確認する。カサンドラは靜かに答えた。
「私のほうで厳重に管理しております。ご安心ください。――ですが、そのようなあからさまな手紙にわされる絆ではないのでしょう?」
艶やかに、しく、後宮の頂點に立ったが微笑む。
「こんな手紙ひとつ処理できぬまま、夫に隠してしまう。竜妃殿下はお可らしい方ですわね」
言い返す言葉が見つからない時點で、自分の負けだ。ヴィッセルが話題を変える。
「次の予定がある」
「パレードの確認でしたね。ご案致します。どの娘も竜帝陛下にお聲がけいただけるのを待ちかねているでしょう」
とどめに別のはどうだ、という遠回しな嫌みつきだ。もういつもどおり、淡々とした表に戻ったカサンドラは裳裾を返し、先に歩き出す。
ヴィッセルに目配せされ、手にした手紙を封筒ごと魔力で焼卻してから、ハディスも歩き出す。するりとラーヴェがハディスのにりこんだ。
(おい、わかってんだろうな。ありゃ罠だ)
(わかってるよ。ジルが隠したのも、僕のためだって)
この狀況下での文は、ジルを排除するため。すなわちハディスを狙うための罠に決まっている。
(どこの誰かわからないから、泳がせるつもりで放置したんだろう。僕に報告しなかったのも何も報告できることがないからだ)
(いやあ、それは見せたときのお前の相手が面倒で――)
(何か言ったか)
(わ、わかってんなら何を怒ってんだよ、そんなに)
(勝ち誇られたから。ジルをなめてる、あの)
三公といい、わかっていたことだが、こうして骨に煽られると苛つく。
(どいつもこいつも、僕が命令すれば従うしかないくせに)
本當は後宮を力ませに解することも、三公を無視することもできるのだ。でもそれをしないのはジルがいるからだと、あの連中はわかっているのだろうか。
いや、わかっているから、ジルを盾にするのだ。それが気にらない。
ジルはハディスの弱點。そう評価した三公はある意味、正しい。それが気にらない。
パレードの準備は中庭で行われていた。回廊から出てきたハディスたちを、とりどりの裝をきたたちがめきだった聲をあげる。なんの偶然か、三公までそろっていた。
ブルーノは警備の確認をしており、イゴールはし離れたところで他の貴族――パレードに加わる娘の親や後見人たちだ――から挨拶をけている。ハディスたちに気づいたモーガンが片手をあげた。
「ヴィッセル、ちょうどいい。お前も確認にきなさい」
迷うヴィッセルに、ハディスはうながす。
「いっておいでよ、兄上。警備でしょ」
「……大丈夫か」
「大丈夫。ここにいるから」
ちょうど近くにあった、木下の小さな丸テーブルと椅子を示す。誰かが休憩用か置に設置したのだろう、同じようなものが大なり小なりあちこちにあった。ヴィッセルは頷き、早足でモーガンの元へ向かう。必然的に殘ったカサンドラが、周囲を見回し、判斷した。
「では裾持ちの娘たちを呼んで參ります。陛下はこちらでお待ちください」
頷き、椅子に雑に腰かけて空をあおぐ。
立ち去るカサンドラとれ違いのようにやってきた小姓が、待っていたように丸テーブルの上に飲みや果を置き、一禮した。
竜が空を飛んでいる。そういえば竜の問題もまだ解決していなかった。
(……後宮、竜の花冠祭、親善大使に竜に……あとなんだっけ。ああそう、ラキア山脈の魔法の盾に匹敵する伝説だっけ? 竜妃なんだから、僕を守ってるだけでいいはずなのに……)
(まー嬢ちゃんがいちばん強いのは、お前を守るときだよなあ)
そう言われるとちょっと恥ずかしいような、どきどきするような。
そわっとした気持ちを落ち著かせるため、先ほど置かれたカップを手に取る。口元に運ぼうとして、鼻をつく妙な匂いに手を止めた。テーブルの果をしようと出てきたラーヴェがまばたく。
「どうした」
「……何かってる」
毒だろうか。それにしては臭いからあからさますぎる。何より、今まで何度も毒殺が失敗に終わっていると知られているはずだ。多調不良になることはあっても、ラーヴェが分解してしまうため、本気でハディスの命を狙うなら毒殺は愚策である。
何かの手違いか、ただの嫌がらせか。靜かにハディスは周囲を観察する。ふと、し離れた場所でこのカップを持ってきた小姓を呼び止めているカサンドラの姿が見えた。
「……ラーヴェ。分解できるな」
「は? できるけど――まさか飲む気かお前? なんで」
顔を変えたカサンドラがこちらを向く。決斷は一瞬だった。
これは、カサンドラのミスだ。
一気にカップをあおり、苦いのだかなんだかわからない飲みを飲みこむ。舌がしびれて、味がすぐにわからなくなったのは幸いだった。
悲鳴があがった。
「この馬鹿!」
ラーヴェがんでの中に飛びこんでくる。斜めになった視界で、真っ青になったヴィッセルの顔が見えた。三公も、そろいもそろって慌てて駆け寄ってくる。だが平衡覚を失ったはもう地面に落ちていた。
(そんなに僕が大事なら、最初から素直に大事にしてくれればいいのに)
でも、それができない。みんなそれぞれ、んなものを大事にしてるから。そういうことを、ジルから教わった。
「ハディス……っハディス、醫者を!」
「ヴィッセル、どけ! 水を持ってこい、吐かせる!」
「――陛下! 陛下、しっかりして、なんで、どうして」
お嫁さんの聲が聞こえた。ああもう大丈夫だと、ハディスは意識を手放す。
だって、自分を守るときのお嫁さんは、世界でいちばんかっこよくて、強いのだ。
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