《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》29
薄暗い地下通路の上から、ぱらぱらと砂埃が落ちてくる。どうやら地上で作戦が始まったらしい。一瞬足を止めたが、すぐさまカミラたちは走り出した。
「ほんとにこっちであってるんだろうな、じいさん」
等間隔に燈りがあるだけで代わり映えのない通路にもう飽きたのか、ジークが背中におぶった後宮の管理人――本當にロルフという名前らしい――に尋ねる。
「いいから言うとおりに走れ、そこ右じゃ! いいか次も右じゃぞ、その次は三つ目を左、四つ目を右、三回回って左じゃ」
「覚えられるか! あとなんか変なのまざってただろ!」
「ここまできて追いかけっこは勘弁してよ、ロルフおじいちゃん。ここ迷ったら出られる自信ないわ、アタシ。なんでこんなり組んでるのよ」
の通路とか、隠し部屋があるとは思っていたが、ここまで大規模なものだとは思っていなかった。
ふん、とロルフが鼻で笑う。
「代々の竜妃が後宮すべてを網羅するために作らせた通路じゃからな。普通の人間では突破できん。魔力で見分けないとわからん道もある。罠もな」
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「え、何でそんなもの作ったの竜妃……」
「そりゃ竜帝とよろしくやっとる皇妃を監視するために決まっておろうが。皇妃が増える度に建て増ししてより複雑になったというわけじゃ」
竜妃怖い。黙ったふたりをロルフが嘲笑う。
「なんじゃ、怖じ気づいたのか。當然、竜妃の騎士も関わっとるぞ。お前らの仕事だぞ。ほらそこ、左じゃ!」
「どれくらいなんだ、前皇帝のところまで」
「もうしじゃ。間に合うよう走れ! こういうのは演出が大事なんじゃ!」
ばしばしとロルフがジークの頭を叩いて走らせる。カミラは斜めうしろを追いかけながら、慎重に尋ねた。
「なんでいきなり協力的になったの、おじいちゃん」
「起こる可能のなかったことが起こった。その清算じゃ」
「陛下の毒殺未遂か」
「そうじゃ。誰がどういたかはともかく、おおよそ実現するはずがない計畫じゃ。――おそらく竜帝にはめられたんじゃろうな、儂は」
カミラは首をかしげる。ジークの走る速度も落ちた。すかさずロルフの怒聲が飛ぶ。
「いいから気にせず走れ! おそらく竜帝は、毒だとわかって飲んだはずじゃ」
「え!? そんな馬鹿なこと――しかねないわね、陛下なら……」
ジルに心配してほしかった、とかいう理由で飲みかねない。ジークも遠い目になっている。
「また何か気にらんことがあったんだろうな……」
「竜帝がこれは毒だと捨てるなり無視すれば、騒ぎになることはなかった。――儂はな、罠にはめるのは大好きじゃが、はめられるのは大嫌いなんじゃ!」
かっとロルフが両目を見開いて宣言する。そうですか、としか思えない。
「こうなったら竜妃にことをおさめさせるしかない。前皇帝の居場所を教えるのもそのためじゃ。ここでマイナードが前皇帝を殺しでもしたら、ますますややこしくなるじゃろうが。儂ののんびり後宮管理人ライフがぱーじゃ! あと十年は引きこもるぞ、儂は!」
「マイナード殿下は監視されてるはずだけど……抜け出してもおかしくないか」
「竜妃が後宮に乗りこんで暴れれば、その隙に後宮にりこんで父親をさがす。だから急げと言っておる、儂が立てた策に文句を言うな! 竜妃にもそう言われたじゃろうが!」
「毆るな俺は馬じゃねえんだぞ、このクソジジイ!」
「誰がクソジジイじゃ、ロルフ様と呼べーーーーーーーー!」
「耳元でぶなうるせーーーーーーーーーー!」
うるさいのはこっちだ。地下通路にふたりの怒聲が反響している。
それにしてもこの老人、何者だろうか。頭が回る。それこそいつぞや共闘した、あの貍坊やに劣らないのではないか。ジルもこの老人が立てた作戦を信じているようだった。ジルの祖父を知っているらしい人――。
(……ジルちゃんのお祖父さんが現役の世代って……それこそ二、三十年前?)
そういえば、あのサーヴェル家を翻弄しろくに戦わせなかった軍師がレールザッツにいたとか、聞いたことがあるようなないような。
「止まれ。ここじゃ、返し戸になっておる」
考えていると、靜かな制止がかかった。足を止めたジークの背からおり、ロルフが石造りの壁をさぐる。
「ここって……まさか地下にいるの? 監?」
「竜帝を怖がって自分から閉じこもったんじゃよ。そうでないと殺されると信じておる。自分は竜帝の最大の敵で、脅威じゃからな」
まばたいたジークと、ついつい目配せし合う。
「最大の敵って……陛下から父親の話なんてろくに聞いたことねえぞ。なんでそんな大袈裟なことになってんだ」
「でなければ自分がもたんからじゃ。――いいか、今から余計なことは言うな。竜妃に判斷をまかせろ。できるな、竜妃の騎士ども」
理的で靜かな目は、竜妃への信頼も問うている。ジークもカミラも、頷き返した。
「わかったわ。――我らが竜妃殿下の名にかけて」
「黙ってあんたに従う。それでいいか」
「ならば儂もお前らを、竜妃を信じてやる。結局、策なんてもんはな、どこまで信じられるものがあるかで功率が変わるのよ。竜帝が竜妃を信じて毒を飲んだのがいい例だ」
鼻で笑ったロルフが、そっとる手のひらで壁をでた。すっとの線が壁にはしり、大人ひとりぶんが通れるくらいの長方形を描く。
音も立てず、扉が開いた。
地下とは思えない明るい部屋だった。天蓋付きの寢臺、応接ソファ、書き機、本棚などもなめらかな沢を放つ上等な品だ。それだけ家を置いても、まだ十分な広さもある。続き部屋もあるのか、扉もふたつほど見えた。
部屋に踏みこんだ瞬間、開いた壁は音もなくただの壁に戻る。ロルフが寢臺を挾んで向こうにある影を目線で示した。
男がひとり、こちらに背を向けて座っていた。
何かを熱心に読んでいるのか、こちらには気づいていない。
「――メルオニス様でらっしゃいますね」
男が立ち上がり振り返った。白髪の頭には金の冠飾をつけ、長く重たそうな外套を羽織っている。上等な部屋に見劣りしない立派な裝いで、玉座にそのまま座れそうだ。
だが、くぼみ気味の目は落ち著きなくきょろきょろしており、どことなくあやうい空気を醸し出していた。
「どこからった」
それでもしゃがれた聲は、それなりに迫力があった。堂々とロルフが進み出て、跪く。遅れてカミラもジークもそれにならった。
「お迎えにあがりました。ハディス様が毒を盛られた一件で」
それを言うのかとぎょっとしたが、それ以上に大きな聲が部屋に思考を遮斷した。
「そうか、やはり死んだか……! だから余を迎えにきたのだな!?」
――その歓喜に満ちた聲を、どう思えばよかっただろう。
余計なことは言わないため、顔を伏せたままでいるのが一杯だった。
「カサンドラは難しいなどと言うておったが、どうだ! やはり余の作戦に間違いはないだろう。竜妃も守れなかったか。あの文、い竜妃ならさぞ心ゆれたであろうからな。それで、どうだ。あやつは苦しんだか。余を脅して皇帝になぞなるから苦しむのだ!」
ぎゅっと拳を握って耐える。
「しかしまあよい、いよいよ余の代が本當に始まるのだ。ラーヴェ皇族として葬ってやるのはやぶさかではない。竜妃も申し開きによっては後宮にれてやろう。余の和平を臺無しにした三公はどうだ。皆、慌てているだろう!」
「あいにく説明している時間がございません。ついてきていただけますか」
「ああ、玉座に戻るのだな。よかろう」
――何もできやしない。ロルフが言った言葉を思い出していた。その通りだと思う。あの稚拙な手紙を最初からジルは相手にしていなかったし、この男の言っていることはそうであってほしいという本人の願で、ほとんど妄想に近い。
ろくに説明も何もしてないのにはしゃいだ足取りで自分たちについてくる愚かさも、してやったという稚さも、何もかもが耐えがたかった。こんな男の目論見、ハディスが協力して毒を飲まなければうまくいくのは奇跡に近かっただろう。
なのにこいつがすべての元兇で、この男に連座して後宮の妃たちも裁かれるのだ。そうでなければ示しがつかない。
(――これはきっついわ、ジルちゃん……)
このままひそかに亡き者にして、すべてを有耶無耶にしたほうがいいのではないか。そんな考えを振り払う。
自分たちは竜妃の騎士だ。竜妃を信じて、この男を送り屆けるのが仕事だった。
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