《【書籍化】碧玉の男裝香療師は、ふしぎな癒やしで宮廷醫になりました。(web版)》終ー3 芙蓉宮
「月英様!」
「リィ様!」
芙蓉宮の一室に飛び込んだ月英は、そのまま目の前にいた亞妃に抱きついた。亞妃も月英をけれ、同じく背中に手を回す。
「もう……っ、心配させないでくださいませ」
「はは、すみません」
最後にもう一度力強く抱きしめると、二人は一時の抱擁を解き、あるべき距離に戻る。
「必ず戻ってくると信じておりました」
「萬里から聞きましたよ。々と助けていただいたようで……おかげで、また香療師としてここに立つことができました」
亞妃はゆるゆると首を橫に振った。
「わたくしはあなたに教えられたことをしたまでですわ。困っている者に手を差しべるという、當たり前のことを」
「リィ様……」
「月英さまあああああ! ごめんなさいいいいぃん!」
當然の橫からの衝撃に、月英はをくの字にして吹っ飛んだ。亞妃や萬里が「月英様!?」「月英!」と慌てふためいている。
「わだじがぁ……っ、移香茶を売ろうだなんで言い出じだぜいでぇ……!」
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「鄒鈴さん、大丈夫ですから。落ち著いてください、ね?」
床に転がったまま、鄒鈴は月英に抱きついて、涙とも鼻水ともよく分からないで醫服を濡らす。
「それに、僕の方こそ茶心堂には迷をかけてしまったわけで」
「あ、それは大丈夫ですう。それまでにたんまり稼がせてもらったらしいですから」
さすがは商売人。取りっぱぐれはしないようだ。
ズビと鼻をすすりつつ、どこか誇らしそうに鼻をツンと上向かせる鄒鈴。するとその鼻先を細い指でピンと弾く者が。
「何すんですかぁ! 痛いじゃないですか、明敬さん!」
「あんたか威張ることじゃないでしょ」
明敬だった。
「明敬さんも李陶花さんも、々と手伝ってくださったようで、ありがとうございます」
「そんな月英様、あたしたちは亞妃様の言うとおり、自分のやりたいことをやっただけですから」
「そうですよ。それに、私は全くの無関係ではありませんでしたし」
亞妃の侍が今回の件で、どう関係があるのだろうかと、月英は首を捻る。
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「刑部尚書は、私の兄なんですよ」
これには月英だけでなく萬里も、驚きの聲をらした。
言われてみれば似ている気もする。切れ長の瞳や、纏う凜とした空気が。
「月英様が収監されたと聞き、兄には々と言ってみたのですが……お力になれず申し訳ないばかりです」
そこで月英は、もしかしてと思うことがあった。
李庚子は『々な方面から苦があった』と言っていた。てっきり、刑部に苦をれる者など燕明くらいのものだと思っていたが、まさか本當に々な方面だったとは。
「いいえ、力になれなかったなんてまったくありませんよ。おかげで僕は自らの潔白を証明するための一週間をもらえたんですし。李陶花さんの助力がなければ、もしかすると僕は未だ牢の中だったかもしれません」
「そう思っていただけるのでしたら幸いです」
知らないところで自分はたくさんの人に救われていたのだと知る。
「そうですよぅ。明敬さんなんて、春萬里様の隨伴侍さんが來るのを、毎日楽しみにしてましたからね。あんな意気揚々と喋る明敬さんなんて初めて見ましたよぅ」
「あっ、あれは! 春萬里様から遠ざけるために仕方なくでしょう!? 気を引くには、おしゃべりするのが一番じゃない!」
「その『気』ってのが、何の気なのか分っかりませんけどねぇ~」
鄒鈴は日頃の仕返しとばかりに、鬼の首を取ったような顔で、當時の明敬の様子を事細やかに述べていく。それにつれ、明敬の顔も赤くなったり青くなったりするのだが、これが見ていて面白い。
「李陶花様ぁ、鄒鈴に何とか言ってくださいよ!」
ガクガクとを前後に揺すられても口を閉じない鄒鈴相手に、明敬はとうとう李陶花に助けを求めた。
「そういえば、明敬は侍様のどなたでしたか……えっと、一番よく來る方が格好いいだの何だのと言ってませんでしたか?」
「もしかして、その侍って昆《こん》《よう》ですか? 俺の同期なんですよね」
「ええ、その方ですね」
「李陶花様!?」
あっさりと裏切られ、明敬は恥が滲んだ聲を上げた。顔を覆う手の隙間からは紅に染まったが見える。
「はっ! というか今日のお二人の隨伴はどなたです!? もしかして昆様では……!」
顔を上げた明敬は、すぐさま部屋の外へと目を向ける。これだけ騒いでいたのだ、下手したら聲がれている可能もある。
ふるふると、生まれたての子貓のように、顔どころか指の先まで赤くして震え始めた明敬。もうしばらく彼の様子を眺めていたかったのだが、恥に泣き出してしまいそうなところを見て、月英は大丈夫だと手を振った。
「それは安心してください。きょうの隨伴は――」
「私です」
扉を自ら開けてってきたものに、亞妃達は驚愕に口を大きく開ける。
「ろ、呂侍!?」
実に良い瞬間でってきたものだ。やはり會話は外までれていたのだろう。
「なぜ、侍省長の方が隨伴などと……何かわたくしに用があったのでしょうか?」
「いえいえ。たまたまそこの月英に話があって探していたところ、ちょうど後華殿の前で遭遇しましてね。自分たちは忙しいし、ちょうどいいから隨伴してくれたら話を聞くと言われましてね」
呂阡の鋭い視線が月英に向けられる。
「長を隨伴にする怖い知らずは、コイツくらいのもんだろうな……」
萬里も隨分と軽妙な態度をとってきた自覚はあるが、さすがに換條件を突きつけることなどしたことはない。ましてや、下っ端の役目である隨伴などと。
元上司へのすまなさに、萬里はを一回りすぼめた。
「僕もちょうど呂侍にお禮が言いたかったもので。あの札の件、ありがとうございました。上手くいきましたよ」
「私の案ですから當然です。でなければ、あなたと再び會話などできていなかったでしょうし」
呂阡はを反らし、得意げに鼻をならす。
「それで、呂侍の用件とは?」
呂阡の目が輝いた。
「定期的にあの貓たちを侍省へ派遣なさい! それで春萬里の件と今回の助言は手を打ちましょう」
「え、俺、貓二匹と引き換えられた?」
「多分、三匹いたら萬里が負けてたよ」
萬里は「呂侍……」と恨みがましい目で元上司を見やるが、相手はやはり長。全力で無視して涼しい顔をしている。
「そうですね。あと一月ほど待っていただければ……」
月英は窓へと駆け寄り、芙蓉宮の庭園を眺めた。
「貓が寄ってくる香りの花が、それくらいで咲くんですよ。油にできるので、作ったら陶板と一緒にお渡ししますね。油をしみこませた陶板を窓辺に置いておけば、貓太郎たちはすぐにやってきますよ」
「なるほど。油にはそのような種類のものもあるのですね。生きを引する香りですか……興味深い」
「ちなみに、その植はハエが嫌う香りでもあるので、衛生的にもいいですし」
「なるほど! いやぁ、私もあの小さなハエというものはとても嫌いでしてね。仕事をしようとしたら紙にとまるわ、筆先に乗るわ、しまいには墨の中に浸かっているわで、特に夏場はその數も増えて本っっっっ當にイライラしていたところだったのですよ。まったく、ただでさえ暑いのに視界を悠々と飛ばれてごらんなさい。武に命じてこの國中のハエをたたき切ってもらおうか悩むほどでしてね――」
「ろ、呂侍……?」
初めて見る上司の饒舌かつ庶民的な喋りに戸う萬里の聲で、呂阡は我に返り、気まずそうにゴホンと咳払いをする。
「えー……ということで、私の用件は済みましたし、私は長々と隨伴などしてられるほど暇ではありませんから……」
呂阡はぐるりと部屋を見回した。
「……かと言って、今すぐお二人を連れ戻すというわけにもいかないようですから、私一人先に戻るとしましょう。別にこの顔ぶれで変なことは起きないでしょうし……」
小猿ですし、とぼそりと呂阡が呟く。
「それに、元侍の春萬里もいますから大丈夫でしょう。分かっていますね、春萬里。任せますよ」
「もちろんですよ、呂侍」
へらっと緩くした表で拱手を構える萬里に、呂阡は溜め息をついた。
「まったくその緩さ……相変わらずですね」
こめかみを押さえる格好をとりつつも、しかし、呂阡の聲に批難のはない。一応の格好というやつだろう。萬里もどこか嬉しそうだ。
「では、門の衛兵には伝えておきますから、存分に再會を喜んでください」
呂阡は言うべきことだけ言うと、颯爽と芙蓉宮を出て行った。
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