《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》107話 また髭と爭う

(イアン)

一つのことで頭が一杯になってしまうのは毎度のこと。

イアンはどうしてもこのグリフォン、クレセントがしくなってしまった。クレセントもイアンを好いてくれている。だが、彼は魔獣。素のまま町中を連れ回すわけにはいかない。連れ歩くなら、魔瓶に封じる必要がある。

降下は浮上する時より、スリルがあった。最初、クレセントは用心深くしずつ降りていたのだが、イアンは「一気に下降しろ」と命じた。

剎那、急速に景が移り変わった。イアンの腰はフワリ、中に浮く。手綱をつかんでなければ、空に放り出される危険もある。は固定されていない。

にもかかわらず、イアンはびながら両手を上げた。

──楽しい!!

急降下はオーガズムに近しい悅楽をもたらした。頭の中は真っ白になり、膨らんだ快楽質が破裂する。これは麻薬にも似た効果がある。イアンが危険行為を好むのは、この快が癖になっているからであった。

バサバサバサバサ……

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暴な著地は木々を倒し、葉を舞い上がらせる。イアンは上機嫌でグリフォンを降りた。

楽しい時間は一時。

殘念ながら、悅楽の余韻に浸ってはいられなかった。サチとイザベラの冷ややかな視線に當てられたのである。

なにを遊んでるんだと──特にイザベラはオーガの形相。

「いやに楽しそうだけど、もっと靜かに著地できないわけ?」

「まだ縦に慣れてないんだ。仕方ないだろうが」

イアンは言い訳しつつ、グリフォンを木につないだ。グリフォンは馬と違う。つないでも、木の一本や二本、こそぎ持っていってしまう力がある。これは気休めだ。

「おとなしいんだな。イアンによく懐いてる」

「そう思うか?」

サチに言われ、一度下がったイアンの気分はまた上がる。

「こいつの名はクレセント。今日會ったばかりなのに、俺を主人として認めてくれたんだ。だから、ユゼフに譲ってもらおうと思ってる」

「しかし、どうやって連れ帰るんだ? イアンも魔瓶に封じられるのか?」

「いいや。ユゼフを呼んだ」

「?? 呼んだって、どうやって?」

「カッコゥ、いるだろ? あいつは超高速移できるんだ。數時間で王都に戻って、ユゼフを連れてきてくれる」

「え!?」

「俺はここでユゼフを待つから、おまえらは先に帰ってていいよ」

サチとイザベラは目をパチクリしている。イアンは二人が、怖い顔に変わるまで平然としていた。

「なにを言っているの! 危ない所から命からがら逃げてきたところでしょうが! グリフォンなんてどうでもいいから、さっさと帰るのよ!」

「だから、おまえらは先に帰ってていいって。もう國境越えたし、安全だろ?」

「馬鹿じゃないの! いつもそう。自分の都合で勝手な行取らないで!! ユゼフもユゼフだわ! 一國の宰相のくせに、呼びつけられるなんて!」

イザベラの怒りは、なにもしていないユゼフにまで飛び火する。イアンも相手がなので、むくれるしかなかった。

「まあ、まあ……二人とも」

間にったサチは落ち著いていた。激しやすい格でも、誰かが怒り狂っていると落ち著けるらしい。

「イザベラ、落ち著け。イアンはこうと言い出したら、テコでもかない格だ。言うとおり、危険はしたし、好きにさせてやろう」

話している間に緩い風が吹きつけ、グラニエとクリープが著地した。

蟲食いへは歩いてすぐだ。ここは住み慣れたローズの地。イアンはこの森を知していた。今はディアナ派から取り戻しているし、完全に自分のテリトリーである。

腐葉土、地類、苔……菌の匂いに瑞々しい樹や香ばしい木の実の香りが混ざる。夏には葉や草の青々しい香りも加わるのだ。懐かしい森の香りはイアンを守ってくれているようだった。

この郷愁う優しい空気をサチもじ取ったのだろう。顔つきも口調も穏やかになる。

「でもな、イアン。俺たちはユゼフに用事があるんだよ。ことの次第をすぐさま報告しなけりゃならない。君の用事でここにユゼフを呼びつけたんなら、俺たちもここでユゼフを待つことにする」

「わかった」

サチは満足そうにうなずき、両手を広げて森の霊気を豪快に吸い込んだ。一方、イザベラは膨れてそっぽを向いている。イアンのわがままがれられたのが、気にらないのだ。

不服な人はもう一人──

「どういうことです??」

ジャン・ポール・グラニエ。

ほうき……ではなく、ロングスピアから降りたばかりのインテリ髭は、飛行中にれた髭をさり気なく直しながら近づいてきた。

「うん、こういうことさ。イアンがユゼフを呼んだから、皆ここで待つ」

「は!?」

ヤバい……厳格な保護者にサチが々怯んでいる──この場合、どうすべきか。イアンはいつも通り、ゴリ押しで行くことに決めた。

「どうして、サウル様がこの人のワガママに付き合わないといけないんです??……まったく、何様のつもりなんだ?」

「えっと……それはだな……どのみち、イアンはもうユゼフを呼びに行かせてしまったんだ。仕方ないだろう? 俺たちだけで帰っても、行き違いになってしまう。ここでユゼフを待ったほうがいい」

「仕方ない?? この人が個人的な理由で宰相を呼びつけて、どうして我々がそれに合わせないといけないんです?……ふざけるな、知能の足りない類人猿め」

「ゴチャゴチャうるさいな! 黙れ! 嫌味なインテリ野郎が!」

グラニエのひどい口調にイアンも聲を荒げた。もう上役ではないんだから、敬語を使う必要はない。言われたら言い返す。

「サチがそれでいいって言ってんだから、腰巾著は大人しく従えばいいんだよ! いつまでも子離れできない母親みたく、サチに干渉するんじゃない!」

「迷をかけておいて、不遜にも人を貶めるのか。自分の一挙一で、他人がどれだけ迷を被るのか考えたことはあるのか?」

「たいして迷かけてないし。ここで待てばいいだけだ。嫌ならどっかへ行け! 優秀なエリート様はどこへ行っても引く手あまただろ。そうやって、偉そうに髭を尖らせてればいいさ。悪役野郎のそばとかぴったり……」

「イアン、もうやめろ。ジャンも言い返すんじゃない」

終わりの見えぬ罵り合いに終止符を打ったのはサチだった。イアンはまだ好戦的であったが、空気と思われたクリープまでもが怒気を発していたので黙った。

「ああ、わかりました。ここで馬鹿の相手をしても不快になるだけですから、もうやめます。ですが、甘い態度はこういう不遜な人間をつけあがらせるだけですよ。サウル様には、もうし付き合う相手を考えていただきたい」

グラニエはそれだけ捨て臺詞を吐くと、暗闇へ消えてしまった。同じくクリープも離れていき、イザベラもスルスルっと木の上へ行ってしまったので、イアンはサチと二人殘された。

「やれやれ……」

サチは苦笑する。さっきグリフォンが倒した倒木にイアンたちは腰掛けた。グラニエもクリープも、気配はじるので近くにいる。姿を消したのは、イアンをれたサチに対する最大限の抗議なのだろう。

「イアン、皆で行するときは周りも見てくれよな。カンカンに怒る人もいるんだから。あとで小言をたんまり言われるにもなってみろよ?」

「ごめん……」

「まあ、いいさ。ここでゆったり待つのも悪くない。これから、いくらでも自由を満喫できる」

「サチ、あのさ……」

イアンは言いかけ、口ごもった。サチに聞きたいことは山ほどある。でも、なにから聞いたらいいのか……

「そうだな、せっかくだから話の続きをしよう。イアンにも無関係な話じゃないから、これからどうするのか、俺なりに考えたヴィジョンを聞いてもらおうかな」

かしたように話し始めたサチの橫顔は六年前としも変わらなかった。い丸顔に聡明なアーモンドの目。きつい口調を顔立ちが和らげるのは否めない。だが、月に青白く照らされた頬がどこか悲しそうで、イアンは妙な騒ぎを覚えた。

その瞳はわずかな笑みと深い憂いを含んでいた。

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