「スライムキング…………どこにいるのかしら」

濃い緑に包まれた森の中、レインは木々の合間に目を凝らしながら呟いた。高い木々は互いに枝を絡め合わせ太のを遮り、大きな影を地表に落としている。薄暗い視界の中で遠くを見通すことは難しく、レインの心にじわじわと焦りが広がりだす。

お晝までに集合場所に戻らなければならないことを考えると、リミットはすぐそこまで近づいていた。特に目印を殘してこなかったレインは分かってはいたがとうの昔に迷子になっていて、帰るのにはそれなりに時間がかかりそうだった。

「流石にしつかれたわね…………」

もうかれこれ一時間は歩きっぱなしのレインである。深い森の中は苔むした巖や太い木々のっこが好き放題にうねり合っていて、歩くだけでもかなりの力を消費した。白いにはじんわりと汗が浮かび、顔には疲労のが見え始める。

（あれは…………何かしら？）

休憩したいが、時間に余裕はない。逸る気持ちに任せてをかしていると、レインは遠くの方にぼんやりと明るい空間があることに気が付いた。どうやらそこだけ太のが降り注いでいて、それで明るくなっているらしい。

レインは吸い寄せられるようにの方へ足を運ぶ。

ぱあっと視界が開け────そこには幻想的な景が待っていた。

「…………きれい……」

レインの目の前に現れたのは────しい泉だった。

泉の水は明でありながら、微かな青みを帯びていた。太のがその水面に反し、レインの目には煌めくの粒が舞っているかのように映った。まるで泉自が生命を宿しているかのような輝きに、レインは知らず知らずのうちに泉のそばに近づいていた。

「…………」

レインはしゃがみ込み、泉に手をれる。清らかで冷たい覚が指の間を抜けていく。清涼が全に広がり、のしかかっていた疲労がすーっと溶けていくのをじた。

（…………さっきは言い過ぎたかしら……あの子、迷子になってないわよね）

そよ風をけゆらゆらと揺れる水面を眺めていると、レインの心中でしの変化が起こり始めた。心の奧底で燃え燻っていた黒い炎が、段々と小さくなっていくのだ。

どうして私はあんなにムキになっていたんだろうか…………ついさっきまでそうだったのに、他人事のように実がない。

（…………きっと、先生の所にかえっているはず。私を追ってきてるなんてことないわ）

自分を追いかけて迷子になるリリィの姿が、消しても消しても浮かび上がってくる。リリィは私より一回りは背が低い。もし追いかけてきていたら、大変なことに────

「…………帰ろう。ルールを破るなんて、どうかしていたわ私」

レインは立ち上がり泉に背を向ける。不思議と、憑きが落ちたように心は楽になっていた。にもすっきりとした活力がみなぎってくる。

「戻ったら、あの子に謝ろう。先生にも謝らなくちゃ」

そう決心するレインの背後で────奇妙な現象が起こっていた。

まるで空から吸い上げられるように泉が宙に持ち上がっていき────大きな影がレインを暗く染めた。

◆

────急に周りが暗くなった。

レインの背後で起こった出來事は、そういう形でレインに認識された。そしてこの覚をレインはよく知っていた。

それは日中に外を出歩いている時によく起こる。自分の背後を歩いている大人が、不意に太を遮り大きな影を作る時がある。その影に飲み込まれた時、急に夜になったような錯覚をけるのだ。

つまり────

「────ッ！？」

背後に強烈な気配をじて振り向くと────そこには衝撃的な景が待っていた。

「う、噓でしょ…………？」

レインの視界一杯に広がる青の球。それは奇妙なことに、さっきレインが手をれていた泉と同じをしていた。さらに不思議なことに、さっきまでここにあった泉が、蒸発してしまったかのように忽然と姿を消していた。

夢でも見ているのか、と頬をつねろうとするレインを────球は待ってはくれなかった。

「ボオォォォォォオオオォォォォ！！！！」

「きゃっ！」

今までの人生で全く聞いたことのないの音が、衝撃波となってレインを襲った。レインは大きく吹き飛ばされ、太い樹木に強かに背中を打ち付けた。

「うう…………痛た」

強烈な痛みにレインの視界が一瞬フラッシュする。中が雷に打たれたように麻痺し、背中だけが焼けるように熱かった。

「はあ…………はあ…………」

苦痛に顔を歪めながら、ぼやける視界の中で捉えたのは────球に浮かぶ二つの目。ぎょろりと大きな瞳がしっかりとレインを見據えていた。

（…………これが…………スライムキング…………？　とりあえず、立たなきゃ…………）

途切れ途切れの思考をなんとか繋げ合わせ、一本の線に撚り上げていく。絶的な狀況にも関わらず心の芯は落ち著いていた。レインはそのことが不思議なようで、その一方でそうだろうなという確信もあった。自分がパニックになるという覚がどうしても想像出來なかったのだ。

レインはまだ六歳────普通ならパニックにならないとおかしい年齢だ。命の危機にあって水面のような神の落ち著きは、クラスの他の誰にもない、レインだけの天の才能だった。

レインは背中の樹に重を預け、ゆっくりと立とうとする。だが、下半の踏ん張りが効かずずるずるとり落ちてしまう。その間にも、スライムキングは地面を侵食するようにゆっくりと近づいて來ていた。

（立つのは無理…………か。それなら────）

レインは痺れる右手を何とかかしポケットから杖を取り出すと、それを真っ直ぐスライムキングに向ける。

（スライムキングの弱點は────雷。私の屬だわ…………！）

レインは意識を杖先に集中させる。瞬間的にレインは自らが置かれている絶的な狀況と、眼前に迫る巨大なスライムのことを頭から消し飛ばしていた。

────今、レインの世界にあるのはＳ級素材『雷獣シルバー・ファングの頭骨』を使用した最高級の杖と、痛みで痺れる右手の覚だけ。何十何百と練習を重ねてきたレインの右手は、こんな最悪の狀態でも最高の魔力を杖に送り出した。

（……………………いける────ッ！！）

ふわ、と花が咲くように、大きな黃の魔法陣が音もなく杖先に出現した。そこには授業で習っていない槍狀の形狀変化が記されている。

…………レインにとって槍狀の形狀変化は、コーラル・クリスタルに負けリリィに話題を攫われた嫌な思い出のある記述。けれどレインはこう考えた────嫌な思い出は、功験で上書きしてしまえばいいと。

形狀変化の外側に────あの時はなかったもう一段が存在する。それは本來上級生で習うはずの『加速』の記述。レインは獨學でそれをマスターしていた。

（これが…………今の私の全力…………ッ）

スライムキングは、既にレインの目の前まで近づいていた。あと數秒もすればレインはその大きなに飲み込まれてしまうだろう。それはすなわち死を意味していた。レインはそれを理解した上で、に殘った全ての魔力をしっかりと魔法陣に伝えきった。

────魔法陣が、一際強くり輝く。

レインはその瞬間を決して見逃すまいと先に瞬きをし────終わる頃には、雷槍は既にスライムキングのを貫通し終えていた。

レインの放った渾の魔法はスライムキングのを貫くだけでは足りず────丸く刳り貫かれたのから、十數メートル向こうまで樹木が抉られているのが確認できた。

（…………やった…………の、かしら……？）

の大部分を失ったスライムキングがぼとぼとと地表に墜落するのを確認し、レインはそこでやっと呼吸が出來た。ふう、と大きく呼吸をして目を閉じると、じわじわと腹の底から大きな達が込み上げてくる。死から開放された安堵と共に魔力を使い切った疲労も襲ってきて、なんだかこのまま眠ってしまいたい気分になった。

（…………って、ダメダメ。お晝までに戻らなきゃいけないんだから）

首を振り、気合をれるように頬を叩く。新鮮な空気を思い切り肺にれる。重たい瞼をごしごしとって…………カッと目を見開いた。

「────え」

すっかり元通りになったスライムキングが、樹ののような暗い瞳でレインを見下ろしていた。