《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》24話 アンジェリーヌ夫人(ユゼフ視點)
老婆のしゃがれ聲に振り返ったその人は、とてもしい人だった。どことなくふんわりしていて、人でも親しみやすい印象だ。目が合うなり破顔されたので、ユゼフの張はスッと解けた。
「奧様、お客様をお連れしました」
「ありがとう。ソニア、やっぱり強盜じゃなくてお客様だったでしょう?」
「ええ。今回は奧様の勝ちです」
「ふふ。じゃあ、イザベラの部屋へ行ってお札を取ってきてちょうだいね。お客様にお茶をお出ししてからでいいわ」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、アンジェリーヌ夫人はユゼフに向き直った。夜だからだろうか。髪を下ろしている。クルクルしたボリュームたっぷりの黒髪は魅力的だ。実年齢はもっといっているだろうが、三十前後にしか見えなかった。顔立ちはイザベラに似ている。
「ああ、ごめんなさいね。イザベラの部屋へを取りに、どちらが行くかでめてまして……行くまでに不気味な標本が並ぶ所を通るから、一人で行くには々覚悟がいりますの。あ、失禮しました。私(わたくし)、この屋敷の主のアンジェリーヌと申します……あら? ミリヤちゃん? 久しぶりね!」
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底抜けにノー天気。婆さんに拍子抜けした以上だ。ミリヤとキャッキャッして再會を喜ぶ夫人に、ユゼフは唖然とした。
「ミリヤちゃん、こちらの方は??」
「ヴァルタン宰相です」
さすがに名乗れば、このアホみたいな態度は変わると思いきや……
「あら、びっくり!! とても素敵な方ね! 背も高くて男前で……やだ、年甲斐もなくドキドキしちゃったわ」
変わらなかった。
しかも、ストレートな褒め言葉。からかったり、おだてようとする気配はいっさいなし。なんの思もない純粋な褒め言葉である。こんなことを言われたら、ユゼフのほうが戸ってしまう。
「あら? あらら? うしろに背負われているのは、もしかしてディアナ様??」
ディアナの存在に気づいたアンジェリーヌは目を丸くしている。ミリヤが説明した。
「おば様、突然で申し訳ないのですが、ディアナ様をしばらく預かっていただきたいのです」
「まあ!」
「今や、グリンデルからも、主國からも命を狙われるような狀況でして……安全にお預けできるのが、おば様の所しかなかったのです」
「まあ! まあ! まあ! それは大変だったでしょう。わかったわ。お預かりいたします」
夫人は即答。まあ!まあ!と驚きながら、親戚が骨折したぐらいの深刻さしかじられない。
──大丈夫か……この人に預けて
ユゼフは不安を募らせた。この間抜けなやり取りの間にミリヤはささっと、ロープを解いた。ユゼフの背から下ろし、ディアナをソファーに寢かせる。
「よくお眠りになって。可いお顔ね」
「まもなく、起きられると思います」
と、そこで、いなくなっていたソニアという老婆が甘い香りを漂わせ、部屋にってきた。
盆に載っていたのは湯気を立てるホットジンジャーと數刻前に見た夕焼けと同じのオレンジピール、フラン《エッグタルト》。
「わたし、この時間にホットジンジャーを飲むの大好き! あ、お夕飯はまだだったかしら? ご用意しましょうか?」
「お気遣いは不要です」
素っ気ないユゼフの態度にも、夫人はまったくじない。
「いえいえ。ご遠慮なさらないで。末なしか用意できませんけども……狹くてごめんなさいね。広間は広すぎるから客間の一室を居間として使っているの。今、用意させますね。ソニア! ダフネとマリンを呼んできて。お食事の用意をさせて!……使用人が三人しかいないから総員させないと」
「あの……本當にお気遣いは……」
「そうだわ! 寢の數が足りるかしら? ちょっと確認して參りますね」
アンジェリーヌ夫人は部屋を出て行ってしまった。人の話を聞かない人だ。遠ざかっていく彼の足音を聞いてをなで下ろしつつ、ユゼフは思った。夫人はユゼフまで泊まっていくと思っているかもしれない
「ここに預けて大丈夫だろうか……」
一人ごちたところ、ミリヤが反応した。
「大丈夫だ。保証する。他のどんな場所より安全だ」
「心配だ」
「アンジェリーヌ夫人は純真な人だ。だから信頼できる。絶対に裏切らない」
「ことの深刻さを理解してるのか? なにも考えてないような……」
使用人がスープのった鍋を運んできたので、ユゼフは口をつぐんだ。苦手なの香りがする。
そうはいっても腹ペコだった。墓參りのあと、ミリアム太后に呼び出されたから、晝食もとり損ねている。ユゼフは朝からなにも食べてなかったことに気づいた。
それまでまったく気にならなかったのに、認識したとたんグルグルと腹が鳴る。
鍋の中にっているのは白濁したスープ。浮かぶクコの実、鶏、人參やレッドペッパーが見える。
ユゼフのすきっ腹にホットジンジャーが染みた。
食事の準備が整うまでにディアナは目覚め、ユゼフと共に溫かなテーブルを囲むこととなった。
「アンジェリーヌ夫人、けれてくださったことに謝します」
ディアナは禮儀正しく、夫人に頭を下げた。ユゼフはといえば、ディアナの隣に座り、従者だったころの名殘だろう。パンやを食べやすいように切ってあげたりしていた。ミリヤは廚房で使用人たちの手伝いをしている。
──そういや、こうやって一緒に食事をする機會ってあまりなかったな
六年前、旅をしていた時と王城で何度かお呼ばれした時ぐらいか。もちろん、隣に座ることなどなかった。
それ以前の従者時代は食事が終わるまでうしろで待っていて、終わってから殘りをしもらったような──
「お二人、とっても仲良しなのですね。素敵! お似合いですわ」
アンジェリーヌ夫人が平然とそんなことを言うもんだから、ユゼフは赤面せざるを得なくなる。
「もう一人、お預かりしている娘さんがいるのだけどね、ユゼフ様がいらっしゃると聞いて姿を隠してしまったの。ディアナ様にはのちほど、ご紹介いたしますわね。とても、かわいらしい子です。良いお友達になれると思いますわ」
「楽しみだわ。どんな子かしら?」
「クルクルした栗の子でして、まるでお人形さんみたいなの。そして、なんと……家出なのですよ! お父様との折り合いが悪かったようで、見た目に反してなかなか、おてんばさんだったりして」
アンジェリーヌ夫人は脈絡ない話をダラダラ話した。人の話を聞かないところと、延々と話し続けるところはイザベラと似ている。
「もう、イザベラったら、いつも行方知れずなのはいいとして、連絡ぐらいはよこしてほしいものですわ。今回はし長いんですの。もう心配で、心配で」
「イザベラなら大事ないです」
うっかり口をらせてしまってから、ユゼフは後悔した。夫人はすがりつくような目で見てくる。どこまで話すべきか──さらにディアナまでもが、
「イザベラはどこでなにしてるの?? 私も知りたい」
と言うもんだから、答えるしかなくなった。
「イザベラは魔の國にいます」
「なんですって!?」
ディアナとアンジェリーヌは同時にんだ。
「魔人に連れ去られたシャルル王子の行方を追っているのです」
ディアナの顔が怒りに転じた。眉間にいくつもの縦皺が寄っている。これは……癇癪を起こすまえの顔だ。
「なんてこと……私はなにも命じてないのに勝手なことを……」
「ディアナ様、申し訳ありません。我が娘ながら、勝手なことばかりして……」
「いいの、アンジェリーヌ夫人。居所がわかって良かったですわ。まだ安心はできないですけども。ここにいるユゼフが魔國へ行くようですから、お願いしましょう……ぺぺ、イザベラのこと、お願いしてもいい? 戻るように伝えるだけでいいわ。私がカンカンに怒ってるって伝えて」
優しいアンジェリーヌ夫人の前で癇癪は発されなかった。ユゼフはひとまず安堵する。
りスープが食べられないユゼフは、いライ麥パンをワインで流し込んでいた。でもなぜか、今日の食事はおいしいとじる。不思議なことだ。
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