《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》27話 熊を食らう(イアン視點)

熊のは部位ごとにきっちり分けられていた。アニュラスの貴族はいころから狩猟を嗜むことが多く、こういった解も自ら行ったりする。狩りはいわば課外授業。命を取るということと、哺類のの仕組みを學ぶのだ。どこの筋を切れば関節は簡単に外れるか、太い管の位置、筋の部位、急所……バラバラにしてみれば、どこが弱いかよくわかる。こういった知識は當然戦いにも応用される。

イアンは大嫌いな義父とも狩りをしたし、親戚のヴァルタン家の叔父、従兄弟たちの狩りに同行することもたびたびあった。しめ方も抜きも、イアンはよくわかっている。こういうことに関しては熱心に學んだ。だから、イザベラが素直に言ってくれれば手伝ったのだ。

イアン、クリープ、イザベラの三人は切り分けられたや臓を地下の冷暗所へと運んだ。長期保存用に干したり燻したりするのは明日の作業だ。

のイザベラが狩猟にまで通じているのは、今さらながら驚きであった。彼が一人っ子だったこと、守人(ガーディアン)という特殊な使命を背負って生まれてきたことが関係しているのかもしれない。を運ぶ間、イザベラとイアンは々雑談した。

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「父はいうちから私を狩りに連れ出したわ。主國の狩りじゃ、大は熊と狼くらいよね。鹿、狐、兎、貍、豬といったところかしら。カワウに隣接するヴァルタン領の草原と森林では獅子やバイソン、大蛇、象なんかも出るって聞いたけど」

「そっちのほうは貴族の狩場じゃなかった。カワウ人は大を好んで狩ると聞くがな。主國では象、獅子を食べる風習がない」

「クリープ、グリンデルはどうだったの?」

「イアンさんの所と似たようなじです。北部ではマンモス狩りもするそうですが」

「へぇ……マンモスねぇ。食べたことないわ。筋が多くてまずそう」

「煮込んで食べることが多いでしょうか。グリンデルではパーティーの時や式典などで食べられたりします。鼻の部分は獨特の食でおいしかったかと」

當初、最悪かと思われたイザベラの機嫌は落ち著いていた。食糧を確保できたことが良かったのだろう。イアンとクリープが食事の用意をしている間、イザベラは湯を沸かして行水した。イアンが煮炊きしている場所から、目隠し板一枚、十數歩離れた位置だ。

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よく考えたら、うら若き乙が目と鼻の先で素っになっているとは艶っぽい話である。しかし、今のイアンにとっては熊の調理のほうが重要であった。共同生活にすっかり慣れてしまったのかもしれない。今はより食

イアンはらかそうなモモを選び、パン焼き釜で焼くことにした。肩、辺りは煮込みに適している。焼き料理はシンプルに塩だけ。煮込みは香辛料をふんだんに使う。鉄鍋がぐつぐつ踴り、まな板と包丁が軽快な音をたてる。油が火の上に滴り落ち、バチバチッとぜる音も合わされば見事な三重奏だ。菜、香辛料の香りが一帯に漂った。おいしい証拠に香りだけで唾が湧いてくる。焼きにはこんがり焦げ目が付き、明ながあふれ出る。羮(あつもの)※はから溶け出したゼラチンと脂肪でトロリとする。途中からイザベラが肝臓と心臓も食べたいと言うから、イアンは串に刺して追加した。食べきれるだろうか。

ごちそうは外で食べた。焚き火を囲み、地面に胡座をかいて食うのは悪くない。星が見えたらもっと最高なのだが。あいにくここは魔國。空は常に曇っている。

をナイフで刺し、または手づかみで直接豪快に食らう。滴るは大量のゼラチンと脂質を含んでいる割にサラッとしている。歯応えは丈夫な歯を持つ者にとってご褒だ。極めて野的。王族と貴族令嬢の食事風景とは到底思えなかった。

パン焼き窯についてイザベラは一言。

「悪くないわ」

貶(けな)されないだけ上々と言うべきか、イアンとしてはもっと褒めてもらいたかった。だが、イアンが貯蔵庫にあったワインを開けても、イザベラは何も言わなかった。ということは、それなりに評価したということなのだろう。

満腹になるまで食べたのは何日ぶりか。と香辛料はを溫める。の巡りを良くし、気持ちまで高揚させる。夢中で食べ、イアンは饒舌になった。

「クリープはアスターから指導をけていたんだな?」

「ええ。ほんの短い間ですけど。六年前、旅の途中でカワラヒワのアナン殿のお世話になったんです。城に滯在中、やることがないから指導してくださったんですよ。教えていただいたのは、ごくごく基礎的なことだけです。子供のころ、習うには習っていたんですが、忘れていました」

クリープは王子だったのだから、城で剣の指導をけていてもなんら不思議ではない。

「王家は剣指導と言っても、貴族とちがってそんなに熱心ではないだろう?」

「ええ。嗜み程度です」

「アスターの指導はどうだった?」

「うーん……丁寧でしたけど、サチと戦わせられたのは嫌でしたね」

「ああ、覚えてるわ。サチが大ケガをしたのよ」

イザベラが口を挾んだ。二人の話だと、クリープは目隠しされ、相手はダーラと噓をつかれて戦わされたそう。知らなかったとはいえ、兄弟同士を戦わせるとは酷い。

「クソ親父らしいエピソードだな。最悪」

イアンは呆れた。あのクソ親父は人の嫌がることを見つけて突っつきたがる。

「イアンさんとは、指導の仕方がまったくちがいます」

「え?……そ、そう?」

今日は曲蕓ごっことバレエをして遊んでいただけで、指導という指導はしていない。例によって夢中になってしまい、なんの目的で始めたことか、イアンは忘れてしまったのだ。

「アスター殿はをそんなに見られなかったと思います。何度も繰り返しさせられたのは、燕返しです」

「燕返し? 技か?」

としても教え込まれました。倒れたとき、打ち損じたとき、対応できるようにと。勢や剣の向きを即座に整えたり、変えたりする練習です。よくわざと転ばされました」

「確かに瞬間的にを反転させる訓練は有効だな。俺のほうでも取りれよう。あとな、普段の練習リストにの他、指と掌の鍛錬も加えようと思う。手は重要だからな。は普段からやってた?」

「ええ。怠ると固くなってしまいますから」

「俺もだ。筋トレはサボってもは絶対やる」

こんなところでクリープと話が合うとは。イアンは嬉しかった。

「アスターの指導方法は目に余るものがあったわ。あんなやり方で、よく主國の騎士どもはついて行くわよね?」

イザベラが話を戻した。ワインのアルコールが回ってきたのか、目が據わっている。

「厳しかったのは事実ですけど……教え方は丁寧で的確でした。イアンさんはそれに比べると優しいですよね」

クリープの言葉にイアンが歓喜したのは言うまでもない。

「それ、ユゼフにも言われたんだよ! 優しいし、教えるのがうまいって。俺って教師の才能もあるのかなぁ?」

バレエに熱中してまだ教えてもいないのだが、それは置いといてこの評価は嬉しすぎる。かたくなだったクリープがここまでイアンに心を開いてくれたのだ。

「クリープ、おまえ、俺のことをよくわかってる。家來として認めてやるぞ。さあ、飲め飲め」

「お酒は一滴も飲めないのです」

「飲んだら死ぬわけじゃないだろう? アニュラスの民はガキのころから皆飲んでる。し舐める程度で酔っ払うとか言うんじゃあるまいな?」

「ええ。そのとおりです。舐めただけで酔ってしまうほど弱いのです」

「なぬ? それぐらいで酔えてしまうとは便利なだ。よし、飲め飲め。俺はおまえが酔っ払うところが見たい。いつも、オートマトンみたいでつまんないんだよ、おまえは。もうちょっと楽しそうにしろ」

「いえ……本當に飲めなくて」

「飲め! これは命令だ。主の命令に逆らうのか、おまえは?」

イアンは強引に飲ませた。クリープは顔をしかめ一口。ワインはゴクリと音を立て、クリープのへ落ちた。

「ほら、飲めたじゃないか」

「意外といけますね。おいしいです」

「そーだ、そーだ。ただの飲まず嫌いだ。もっと飲め、飲め……そうそう、いい飲みっぷりじゃないか」

「……ゴクゴク」

「……へ!?」

クリープが突然イアンのマグにったワインまで飲み始めたので、イアンは喫驚した。それだけではない。口を拭うと、ワイン瓶に直接口を付け、ラッパ飲みし始めたのである。

イザベラも目を剝き凝視。イアンは揺しつつ、クリープの手をつかもうとした。

「ふれるなっ!! 無禮者!」

「ふぇ!?」

「ふれるなと言ったのだ! この無禮者めが!」

クリープはイアンの手を払いのけ怒鳴った。瞳は爛々とり、悍な顔つきへと変わる。口調といい別人だ。あまりの変容ぶりにイアンは狼狽した。人格の変わってしまったクリープが眼鏡を取ると、さらに別人となる。

「直接、口を付けて飲まれるのが嫌なら注げ。気がきかない猿人間め!」

「猿人間!? 俺のこと??」

ここまでくると、イザベラはケタケタ笑い始めた。

「きゃははははは……クリープ、あなた面白いじゃないの」

「ぐぬぬぬ……クリープのくせに。なら、どっちがたくさん飲めるか勝負だ! 貯蔵庫に火酒があっただろ? 持ってこい!……いや、俺が取ってくる!」

イアンがろくでもないことを思いつき、その場に止める人が誰もいない場合、とことん突っ走るのは常である。クリープの飲み方は酒のそれであった。イアンたちは酔いつぶれるまで飲んだ。

※羮……と野菜を煮込んだ

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