《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》31話 夜釣り(イアン視點)
イアンの釣りに付き添うのはダモンだけだ。騒がしくて魚が逃げるという心配はない。ダモンは獲を前にすると、意外にもおとなしくできるのである。狩りの時もそう。
「酷いと思わないか? 真面目に剣を教えていたのに、サボって遊んでいたと決めつけるのは」
湖のほとりにて、イアンは釣り糸を垂らす。ここで釣れるのはニジマス、鯉、ナマズなど。魔國といえども、普通の魚。イアンの腹はグルグル鳴った。特訓に夢中で晝飯を食べていない。
「たしかに縄跳びが面白くなっちゃったのは認める。々、線はしていた、うん……でも々だ。アレによって、クリープの意識が変わったことを考えれば、なんらムダなことではない。人の心を変えるのは、なかなかできることではないぞ?」
熱のこもったイアンに対し、話し相手のダモンは手頃な巖の上でコックリ、コックリ……舟を漕いでいた。
「くそっ……腹減った」
清水を湛えたしい湖も、魔國の夜では巨大な黒水晶に変わる。月も星も出ていない夜は寂しいものだ。フクロウ並みに夜目が利くイアンは燈りをつけなかった。
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腰掛けるのはアンデッド村にあったボロい椅子。釣れるまで拠點にはれてやらないと、王サマ──オーガのようなイザベラに叩き出された。空きっ腹で鼻水をすすり、ボロ椅子に座って餌のモツゴを手に取る。魚というのは不思議で、ぶつ切りにされてもくのである。ムニュムニュくそれをかじかむ手で針に付けようとして、スルッと落としてしまった。
みじめ──
いくら夜目が利くといっても、月も星もない夜だ。小石だらけの地面に落ちた小さな片を見つけられる視力はない。イアンはあきらめて別の餌を針に付ける。餌もそろそろなくなってきたから補充せねば。春なら魚も多いし、生き餌として有能な芋蟲や蛙がいる。冬の夜釣りはつらい。
──なんで俺がこんなことを
役立たず呼ばわりされ、食料を捕ってくるまで中にれてもらえないとは、まるで親戚に引き取られた孤児みたいではないか。しかし、よくよく考えたらイアンは親戚に育てられたわけだし、ヴァルタン家の従兄弟たちにイジメられていたから不遇な主人公である。
──俺って、なにげに苦労してるんだな……いや、俺はそんなキャラじゃない。いつでも皆の中心にいて、チヤホヤされるリーダー的存在なはず。その俺がどうして寒空の下、魚のいない湖で釣りをせねばならんのだ
だんだん腹が立ってきた。だからとイザベラに遠慮する必要はないのではないか。サチの捜索を手伝えないのだって、イザベラが結界を張ったせいだ。イアンはドロリ、闇を抱えた湖をにらみつける。
ズーーズルピーーーズーーー……ダモンのいびきがピタリ止まった。突如として、ダレていた空気がキュッと引き締まる。魔の気配がやってくる。
湖面がブルブル震えだした。湖の底からドドドドドド……と何かが湧き上がってくる。イアンは釣り糸を引き上げた。
大きな水しぶきを上げ、靜かな湖畔をかきす。アメンボ、蛍やトンボの蟲など水生は化けの登場にこまり、湖の端へ移する。姿を現したのはカルキノス。お化け蟹である。普段はこの一帯を取り囲む泥濘地に潛み、侵者を捕らえて食らう。守り神だ。その守り神がなぜか、この湖を気にってしまい、ときおり水浴びに來る。餌で手懐けているので、イアンたちには害をなさないのだが……
「魚が釣れないのはおまえらのせいだったか」
イアンはお化け蟹が恨めしかった。農村で見られる牛車くらいの大きさだから迫力はある。それがゾロゾロと二十匹ほど岸に上がって橫歩きし始めた。
──もしかしてこいつら、食べれるんじゃ
良からぬ考えが浮かび、イアンは頭を振る。ただデカいだけの蟹に見えても、一応こいつらは守り神である。魚數匹で道を空けてくれるようなお人好しとはいえ、この地を守ってくれているのだ。イアンたちが魔の襲撃をけず、安穏と日々を送れるのはこいつらのおと言っても過言ではない。足を取られる泥沼とおぞましい巨大蟹に恐れをなし、魔たちはって來ようとしないのだ。今はチョキチョキ、アホみたいなリズムでイアンの橫を通り過ぎていこうとも。
──しかし、どっからどう見ても蟹だよな? これだけの大きさなら一匹シメれば數日持つかもしれん……いや、ダメだ。そんなことを考えては……こいつらは村の守り神なんだし
飢からイアンはカルキノスたちを凝視していた。當の蟹たちはイアンににらまれていると思ったのか、カクカクとぎこちないきで退散する。最後の一匹がハタと止まって、イアンと向かい合った。
ジィィィ……
ゴクリ。イアンは生唾を飲み込む。カルキノスの小さな目はおびえていた。これは食われる側の目、獲の目だ。イアンは彼を完全にロックオンした。張が走る。
仲間のカルキノスたちは殘った彼のことを気にしつつ、そろそろと逃げていく。仲間たちの蟹味噌では我がの安全か仲間の命か、凄まじい葛藤が繰り返されていたことだろう。殘ったカルキノスは、恐る恐るハサミを振り上げた。暗いなか、振り上げたハサミの先っぽがキラリる。イアンは微だにせず。
ハサミはイアンの真ん前に振り下ろされた。
ガシャンッ!!
置かれたのはビチビチ跳ねるニジマスが一尾。それを置いた後、最後のカルキノスは両ハサミを下ろし、目を伏せた。雰囲気としてお辭儀をしているじだろうか。イアンがうなずくと、猛烈な速さでカシャカシャ橫歩きし、すでに離れていた仲間のもとへ逃げていってしまった。
「しょうがない。今日は勘弁してやるか」
イアンはニジマスを桶にれた。一難去ったところで釣り続行。釣り糸を垂らそうと、竿を振り上げた瞬間、別の気配をじた。今度はもっと小さな來客だ。
「ギ……ギ……ギギ……」
「カッコゥ!?」
背後の木の上から、ピョーンと落ちてきたのはカッコゥ……ではなくて、緑のをした小人族、ラキだった。
「ラキ、久しぶりだな!」
ここ最近、イアンはクリープとの特訓に熱中しており、ラキは姿を現さなかった。そういえば、パン焼き窯の次はエデンにあるような風呂を作ろうと、イアンは頑張っていたのである。
ラキは本當にいい奴だった。必要な材料を持ってきてくれたり、風呂桶の底部に金屬を張る難しい作業を引きけてくれたり。イアン一人では到底無理な工程も、ラキの助けで仕上がっていったのである。燃焼室はできあがって、桶もバッチリ嵌まったから、あとは煙道や階段など細かい所を作れば完だった。
「どうしたんだ? 今日は風呂作りはしないんだ。魚を五、六匹釣って帰らないと、家にれてもらえないんだよ」
ジェスチャーが通じたかはわからない。ラキは何も言わず、湖に飛び込んだ。ものの數分──
口に一匹、両手に二匹ずつ持って、ラキは湖面から浮かび上がった。
「グルグル……グギャッ、グギャッ」
「うう……ありがとう。おまえ、本當にいい奴だな」
これでやっと夕飯にありつける。空っぽの腹をさすり、イアンは笑んだ。
ところが、魚を桶にれ、さあ戻ろうとした時、ラキがイアンの腕をつかんだ。腕を引っ張り、丘の下を指差す。廃村があるのとは反対方向だ。
「ん? なんだ? そっちに何かあるのか? 行ってもいいけど、俺は外へは出れないぞ?」
「ギャン、グギギギ……」
「よくわからんが、ついて行ってみるか」
イアンが立ち上がると、寢ぼけ眼のダモンが肩に止まった。顔の橫でフギャーオと大欠をするもんだから、キツい口臭が漂ってくる。イアンにとっては病みつきになる匂いだ。
丘を下り、末な柵を越えたら、さっきのカルキノスの住処、泥濘地。この柵に呪札が間隔をあけて張られており、イアンは出られないようになっていた。
「グギャン、グギャン!」
ラキは何やら言いながら札をベリベリっと剝がした。イアンがれようとすれば、バチバチっと衝撃が走るそれをいとも呆気なく──しかし、無傷というわけにはいかなかったらしい。すぐ放しても、手からシューシューと煙がのぼっていた。
「ラキ、大丈夫か? 無茶すんなよ。酷い火傷じゃないか。それに札を一枚剝がした程度でこの結界が……」
イアンの言葉は続かなかった。れれば、弾き飛ばされた柵に難なくれられたのである。
「ギャ、ギャキ?」
ラキが顔をクシャクシャにして笑う。イアンは柵の向こうの闇を見やった。あっちの方角にラキの村があるのだろうか。柵はイアンの首までの高さしかない。簡単に乗り越えられる。
「行ってもいいけど……近いのか? あんまり遠いようだったら、イザベラたちが探すからな?」
“近い”という魔族語をイアンは何度も繰り返し尋ねた。ラキはうんうんとうなずくだけだ。結局、好奇心とラキの熱意に流され、イアンは柵を越えた。あんまり歩くようだったら、途中で戻ればいいさと軽い気持ちで……
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