《【書籍化決定】公衆の面前で婚約破棄された、無想な行き遅れお局令嬢は、実務能力を買われて冷徹宰相様のお飾り妻になります。~契約結婚に不満はございません。~》第二王子の行方。

ーーー數十年前、サガルドゥ廃嫡直後。

コツ、コツ、と靜かな足音が響いて來て、シルギオは薄く目を開けた。

魔力封じの石材で、部屋の周囲を囲った貴族牢。

新月の闇の中、幽閉の塔を準備する間に一時的に放り込まれた牢の方に向かってくる足音がして、シルギオは薄く目を開いた。

そこにランタンを片手に現れたのは……予想通りに、先ほどシルギオを斷罪した、兄だった。

來ると思っていた。

來ない理由が、なかったからだ。

「兄上、やってくれたな」

シルギオの言葉に、ランタンの明かりが照らし出した紅い瞳に冷たいを宿したサガルドゥが答える。

「何の話だ」

「惚けるなよ。まさか貴方が、自分を廃嫡に追い込むなどと誰が思う」

シルギオは、兄と同じをした瞳で彼を睨みつける。

「今からでも考え直せ、兄上。貴方は、この國に必要な人だ」

「沙汰は降った。父が前言を翻すことはない」

兄とシルギオは、異母兄弟である。

シルギオの母は側妃であり、第二王位継承者ではあるものの、帝王の座を得る目はそもそもなかった。

全てにおいて自分を上回る兄、サガルドゥがいたからだ。

もし彼がおらずとも、筋を加味すれば、正妃の子であるセダックを支持する者の方が多いだろう。

母の生家であるロンダリィズ侯爵家(・・・・・・・・・)は、その悪辣さ故に評判が最悪なのである。

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それでも財力と手段を選ばないが確実に勝ちを取る戦場での勲功で、側妃を輩出するまでにり上がった家だった。

シルギオは、そんなロンダリィズ侯爵家の傀儡となる為に生まれ落ちた存在だった。

「これでは、俺がわざわざ手を汚した理由がなくなるだろうが」

ロンダリィズは幾度も、サガルドゥやセダックの命を狙っていた。

まだくあまり外に出ない末の弟モンブリンも、同じように狙われるだろう。

「何故、こんな愚かなことをした?」

兄の今更すぎる問いかけに、シルギオは鼻を鳴らす。

「俺が邪魔だからだ(・・・・・・・・)。分かりきった話だろう」

言いながら、自分の目元をなぞる。

「この忌々しいの瞳がなければ、俺とてこんな真似はしなかった」

対外的に公表はされていないが、バルザムの王位は、『紅玉の瞳』を持つ者のみが継げるという定めがある。

この瞳を持つ者以外が王位を継ぐことになれば、この帝都の奧深くに封じられているという災いが目覚めるという伝承があるからだ。

その伝承も、『紅玉の瞳』を持つ者と近しい者のみに言い伝えられるものであり、危険なロンダリィズの筋でありながら、帝王がシルギオを放置していた理由だった。

だからーーー放置出來ないようにしてやったのだ。

兄はシルギオの放った言葉にはれないまま、話を変える。

「君の母君が死んでいるのが、先ほど見つかった。どうやら毒杯を煽ったようだが」

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「おやおや、自分の悪事がバレて息子が幽閉の憂き目に遭い、世を儚みましたかね?」

とぼけてやると、兄は表を険しくする。

「……君が、殺したのだろう」

「何の話だ?」

シルギオは、兄の表が歪んだのを見て、逆に笑みを浮かべる。

『貴族たる者、悪辣たれ』。

あのも、ロンダリィズの縁戚連中も、そんなクソふざけた家訓の通りに、腐ったを持っている連中だった。

正妃の子を皆殺しにしてシルギオを王位につけようと畫策する程に悪辣なが、自殺などという殊勝な真似をするなど、誰も信じはしないだろうが……どうせ表向きはそう処理される。

が。

「何が事実であろうと、いずれ陛下や貴方によって奴らは粛清された。遅いか早いかの違いでしかない」

「ならば、何故待てなかった。ソレアナを犠牲にする必要などなかった筈だ」

「あったから、やったのだ。ロンダリィズの連中は、北と通していた。北の要である侯爵領を素通りさせられ、ロンダリィズの兵と共に帝都を襲われれば、いかに陛下と兄上とて苦戦を強いられるだろう?」

「……!!」

その言葉に、兄は顔を変えた。

「事実か」

「噓なら、俺がく理由がないだろう」

その通を任せる為の捨て駒が、オーソル男爵家なのだ。

そもそもシルギオからすれば、兄サガルドゥを廃してシルギオを王に立てるなど、愚策中の愚策。

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自分と兄、どちらがより帝國を発展させうるか、王として優れているかなど、比べるべくもない。

シルギオは、兄には劣っても、ロンダリィズの中では能力的に優れている自負がある。

い頃から呪詛のように吐き出される『帝位を狙え』『民から富を搾り取れ』という言葉の愚かしさが、理解出來てしまう程度には。

「『貴族たる者、悪辣たれ』だ、兄上。愚か者に嫌気が差した俺が、ロンダリィズの家訓とに従って、そう振る舞った。それだけのことだ」

すると兄が、憐れむような、あるいは寂しげな表をして、くように口にする。

「……何故、ソレアナを犠牲にする必要があった」

「犠牲になどしていない。兄上は、それが分からない程愚かになったのか?」

ソレアナの出自が貴族の娘でないことなど、調べない訳が無い。

自分のオモチャとして充てがわれた彼は、元々娼婦として暮らしていたのだ。

あのまま『好きに抱け』と言われたシルギオが手を出さなかったところで、役立たずとして元の生活に逆戻り。

もしくは戦爭が始まってロンダリィズの悪事が表沙汰になれば、オーソル男爵家ごと無事では済まなかっただろう。

最悪、一族郎黨処刑の憂き目に遭う。

それが、もうしの間男に抱かれる仕事をするだけで、心優しい兄上から一生生きるに困らないだけの財産を與えられるのだ。

「帝國に害をなす愚鈍どもに利用された、哀れなだ。あれだけは、命まで奪う程の罪がなかったからな」

ちなみに母だけでなく、ロンダリィズの當主であるロンダリィズ側の祖父も、既に始末している。

「ああ、彼籠った子に関してだけは安心しろ。形ばかり抱いたが、は吐いていない。俺だけでなく、テナルファスもな。ほぼ確実にチーゼの子……紅玉を持って生まれることはない」

アレだけは、本気でソレアナに惚れていた。

イントア伯爵家はロンダリィズ派だったので、息子の不祥事で勢いを削ぐのに好都合だったから、こちらに引きれたのだ。

ーーー罪悪で苦しむくらいなら、最初からいに乗らなければ見逃してやったがな。

選んだのはチーゼ自である為、そこに関してはもう知ったことではない。

だから、自らとロンダリィズを表舞臺から退場させようと畫策したシルギオの誤算は、ただ一つ。

「國とは王だ、兄上。優れた為政者がいなければ、國は沈む。そしてこの帝國において、貴方ほど優れた為政者足り得る者は、この先百年現れぬだろう。セダックには務まらん」

王族の務めは、帝國を繁栄させること。

その為に邪魔なモノは、全て排するのだ。

母も、ロンダリィズもーーー自分自も。

「ソレアナという民ただ一人の為に、兄上が己を盾とする必要はない。それは帝國を見捨てると同義だ」

「後ろ盾は、必要だ。彼が宿したのが君の子ではないとしても、それは君たちにしか分からない。掟を知らず、野心に曇った者達が、必ず彼を利用しようと現れるからだ」

兄は、引かなかった。

「それに、シルギオ。國とは王ではない」

彼は、悲しげな表のまま、シルギオを否定する。

「國とは、民だ。いかに上に立つ者が優れていようと、民なければ國はり立たない」

「では、その民を誰が『國』として纏めるのだ? 優れた為政者がいなければ、それは國ではない。ただの〝人の群れ〟だ」

「いいや。いずれ國は、民自の選んだ者の手で、國を治めるようになるだろう。民を侮るな、シルギオ」

兄は、さらに予想外の言葉を口にした。

「そして、我はいかに優れていようと王足り得ぬ。民の信なき者であることを、君自が証明したのだ」

「何だと?」

「そして、幽閉で自己満足に浸ることは、君には許されない。間違っていると思うのなら、君が正せ」

「何の話をしている? 俺が証明したとは、どういう意味だ?」

シルギオは話を戻そうとしたが、兄はそれに関して答えず、勝手に話を続ける。

「子爵に降爵されるロンダリィズの當主は、傍系のオリンズ・ロンダリィズが継ぐことになる。あの家で、我が唯一信頼に値すると思った人だ」

「オリンズ……?」

苛立ちながらも、シルギオは話に付き合うことにした。

兄が口にしたのは、知らない男の名だった。

シルギオは傀儡として帝位を継ぐことのみを求められていた為、ロンダリィズの家で會ったことがあるのは分家の當主までだからだ。

兄がどうやってそのオリンズとやらと知り合ったのかが、分からない。

それを尋ねる前に、兄がさらに言い募る。

「宦となり、名を変え、瞳のを隠し、オリンズに仕えよ」

「……俺を自由にし、外に出すというのか? 兄上。貴方たちの考え方なら、それはソレアナに対する裏切りではないのか?」

「王族の務めは、帝國の未來を考えることだと、君が言ったのだろう。帝國の未來を思い、行したというのならーーー擬似的な『死』に逃げることは、許さぬ」

兄が、あの前での斷罪の時と同様、有無を言わせぬ覇気を纏う。

「その優れた力を、帝國の為に生かし、盡くせ。我は慈悲を與えようと口にしているのではない。その生涯、老い朽ちるその瞬間まで帝國の為に生きよと口にしているのだ。それが、君への罰だ」

「……!」

覇気が消え、そのまま背を向けて去ろうとする兄に、シルギオは焦る。

「待て、兄上。……俺が帝國の為に生きるのは構わん。だが、考え直せ! 帝國の未來に、帝王である貴方は必要なのだ! 民の信がないとは、どういう……」

「……シルギオ」

足を止めた兄は、首だけ振り向いた。

ランタンで照らされたその瞳に、今までで最も悲しげなが宿っていた。

「我が王に相応しいと言うのなら……何故、大義の為に外道に墮す前に、相談してくれなかった?」

その言葉に、シルギオは絶句した。

ーーー俺、が?

民の信なき、というのは。

『シルギオ自がサガルドゥという人を信頼していない』という意味に、兄は取ったのだ。

「違う、兄上、俺は! ロンダリィズの問題に貴方を巻き込むつもりがなかっただけだ! ーーー兄上ッ!!」

今度こそ、兄が去るのに、シルギオはベッドに腰を落とす。

ーーー何が、民だ。

シルギオという民が信頼して相談しなかったから、王として立たない。

「……何よりの罰じゃないか、クソが……!」

シルギオのみは、兄の覇道から邪魔者を排すことだった。

兄が帝位を継がぬのなら、それらを全て無駄だったと、言われたに等しい。

ーーー俺は間違ったのか?

相談し、正攻法でロンダリィズの罪を明らかにしたところで、ただ反逆されるだけだったのは目に見えていた。

油斷している隙に、殺してしまうことが最良だと思った。

ーーーそれでも……それでも、相談すべきだったというのか?

に沈んだのは、ほんのしの間。

「……テナルファス」

意」

聲が聞こえた方を見ると。

おそらくは、近くの貴族牢に囚われていた筈のテナルファスが、當たり前のように格子の嵌まった窓の向こうに立っていた。

ハルブルトの家は、〝影〟の家系だという。

本來なら帝王にのみ仕える筈のその家の中で、テナルファスもまた異端だった。

『自らの仕える主人は、自ら定める』と。

何故かハルブルトのを貴族學校で仲良くなったシルギオに明かし、生涯シルギオに仕えると口にしたのだ。

今回のロンダリィズ當主及び正妃の暗殺に関しても、彼の手を借りた。

「……俺はロンダリィズの家の執事になるらしい。お前に死を命じながら、自分は生き永らえるようだ」

シルギオは自嘲の笑みを浮かべる。

「すまないな」

「謝る必要はありません。貴方が決めたことに、私は従うだけです」

シルギオはこの件を実行する時に、自分が幽閉された上で、これ以上利用されぬよう自殺するつもりだった。

そして後のことを、彼に託したのだ。

おそらくは奴隷兵士に落とされるだろうテナルファスに、軍部で帝國に不満を持つ者を探り出し、時間をかけてその信頼を得てから……『貴族の地位を剝奪された恨み』という名目で連れ出して軍を離反しろ、と。

離反した後、わざとその報を上層部に流し、追撃をけて一網打盡にする。

今のように、最後まで仕えると言った彼に、死までの道のりを命じたのだ。

既に斷罪された後であり、今更テナルファスだけ罪を帳消しにしてやることは出來ない。

「生きたければ、生きていい」

「特に、命に執著はありません。ご命令通りにきます。……我が主に、ご多幸を」

それだけ告げて、テナルファスは姿を消した。

後に。

彼が軍を離反してイントアに討たれたと聞いた。

その為に襲ったのが、兄が留守にしているタイア領だったと聞いて、最後の最後まで恨まれ役として手を抜かなかった彼を差し置いてのうのうと生きていることに、葛藤を覚えた。

だが、こうした苦しみをじることこそが兄の與えた『罰』である以上、シルギオに死という選択肢は殘されていない。

「そうして……この歳まで生きてしまいましたよ。オリンズ様。テナルファス」

シルギオは。

抹殺されたソレアナの父、ラトニ・オーソルの名を與えられて、未だロンダリィズ伯爵家に仕える老執事は。

領地にいる間は毎日欠かさず、先代主人の墓と、その近くに小さな石を置いただけの、亡骸すらっていないテナルファスの墓を掃除し。

最後に、ロンダリィズ邸の庭で摘んだ花を添え、昨日置いたものを片付ける。

ーーーやはり、優れた為政者は必要ですよ、兄上。

辣腕の先代と、破格の今代當主によって再びり上がったロンダリィズ伯爵家と、主人である自分が不甲斐ないせいで死んだテナルファスを見れば、その思いは揺るがない。

ーーーですが、國とは民であるという言葉の意味も、今なら分かります。

オリンズ・ロンダリィズ、そしてグリムド・ロンダリィズという、誰よりも領地の民の為ににする主人らの姿を長年見ていれば、その意味するところは嫌でも悟らざるを得なかった。

『やぁ、君がラトニかい? 君の兄から事は聞いているよ』

いグリムドを腕に抱いたオリンズは、最初に出會った時にそう口にし、規模を小された領地にシルギオを案した。

そこにあったのは、度重なる重稅と領民の逃亡によって、荒れ果てた領地だった。

『これから、この土地を立て直すのはひどく骨が折れるけど』

的な狀況を前にしても、オリンズは笑っていた。

『僕はね、ロンダリィズの家訓に、誰よりも従ってやるつもりなんだ』

『貴族たる者、悪辣たれ。ですか?』

『そう。ただ、最後に々付け加えさせて貰おうとは思っててね?』

屋敷に戻って、當主の部屋に飾られていた家訓を外したオリンズは、手にペンを持って余白にサラサラと言葉を足す。

『どう?』

『……なるほど』

『凄く良いだろう? ロンダリィズの家系は代々悪だから、悪になるなと言っても無駄だと思う。だから、こういう方向で思いっきり、貴族的な意味の悪(・・・・・・・・)に育てるんだ。ラトニには、末長くその手伝いをしてしい』

『仰せのままに』

ラトニが慣れない姿勢と言葉遣いで頭を下げると、オリンズは満足そうに頷いた。

『宜しく頼むよ、未來の帝國を、より良くする為にね』

ロンダリィズの家訓の第一條は、その時からしだけ変わった。

『貴族たる者、悪辣たれ! ーーー労働を行うことは最大の悪である! 働け!』

に。

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