《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》36話 ゴブリンの王様(イアン視點)
自分のしたことがけれられず、イアンは呆けていた。大勢のゴブリンに囲まれ、服をがされ、のを落とされても、されるがままになっていたのである。
──俺は食った。そして回復した
その揺るぎない事実はイアンを戦慄させた。戦慄させるだけではなく、底深い心の迷宮へと連れて行ってしまった。
その間にゴブリンたちはせっせとイアンのを清め、メガロス※の皮を著せた。巖山の下、大きな焚き火をこしらえになる。イアンはクッションを數個重ねた皆より一段高い所に座らされた。
子供の食植たちがヨチヨチとイアンのをよじ登り、頭の上で繋がり丸くなる。彼らは生きた冠となった。
ドンドコ、太鼓が打ち鳴らされ、歌が始まる。イアンの前で薄にを包んだゴブリンの娘たちが舞を踴り始めた。なんだか、境に住む部族の祭りのようだ。
そのころになると、イアンもやっと自分の置かれた狀況がわかってきた。ぼんやりするイアンの前に、ゴブリンたちがやら酒やら寶石やらを置いて順に挨拶していくのである。そのさまといったら、ひれ伏して拝み崇めるもんだからイアンは変な妄想をしてしまった。イアンは死んで霊魂だけになっており、ゴブリンはその霊をなだめようとしているのだと。
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「ギョ、レギュルーズ! レギュルーズ!!」
ゴブリンは“レギュルーズ”という言葉を何度も繰り返した。
──おかしな夢でも見ているのかなぁ。それとも、ここはあの世??
「イアンサマ、オウダッテイッテル」
ダモンがわかっているのか、いないのか、ゴブリンの言葉を訳した。
「そうか、魔族語でレギュルーズは王の意味だな……てか、王!? 俺のこと!?」
そこで、イアンは自分が素に皮を引っ掛けただけの姿だということに気づいた。おまけに食植たちが頭の上で冠になっている。ゴブリンたちはクロチャンを棒に縛り付け、焚き火の中、グルグル回してあぶっていた。ソースのようなものもかけているし、丸焼きにして食おうとしているらしい。
「なんてことだ!!」
イアンは嘆いた。以前、王になろうとしたことはある。だが、こういうイメージではない。
「ちがう……ちがうんだ……俺がなりたかったのはこういう王じゃない。人間の王なんだ。もっと文化的な……これじゃ、まるで獣の王じゃないか……」
イアンはそう言って、泣いてしまった。イアンは自分を人間と同じように思っており、今の狀態がそれとあまりにも乖離していたため絶したのだ。
「ううう……これは神様が與えた罰なのだろうか。俺は人でありたいのに、どうしてこんな……」
ゴブリンたちは呆気にとられている。太鼓や歌もやみ、息を呑んでイアンを見守った。
「神様、ごめんなさい。もう誰彼かまわず、口説いたりしません。會うなり、ぺぺのケツを蹴るのもやめます。おもしろがって、ダーラを転ばせるのもやめます。クリープのを勝手に使うのもやめます……だから……だから、人間に戻して……」
イアンは泣きながら天に懇願する。しーんと靜まり返ってしまった。
ラキが近づき、イアンの肩に手を置いた。言葉は通じなくても、嘆きは伝わるのだろう。
「すまないな、ラキ。俺は人間として生まれ、人間として生きてきた。俺たちは決定的にちがうんだ。人間はなんでも食べるわけじゃない。戦うにしても、食べるにしても、するにしても、なんにしても理由が必要なんだよ。それはな、飢えているからとか、獣の本能的なものじゃダメなんだ。人間には複雑な語が必要。おまえたちには絶対理解できないだろうが。俺は今、人間として越えてはいけない一線を越えてしまったから、苦しんでいるんだよ。」
険しい顔でうなずくラキに、イアンは人間とはなんたるかを説明した。
「俺たち人間はおまえら異形とちがって、知恵の実を食べてしまったからすべての罪が見えてしまう。生きていくために必要な罪なら仕方ないとあきらめもつくだろう。しかし、絶対に犯してはならない罪というのも存在する。俺は絶対に犯してはならない罪を犯してしまった。クロチャンを食うという行為だ」
言葉がわからないのにラキは真剣な面持ちでうなずいている。反してダモンはイアンの肩から降り、前に置かれた謎を突っついていた。
「クロチャンを食った時點で俺は人間ではなくなってしまった」
「グングン、グギヮ、グギゥ……」
ラキは優しく微笑み、他のゴブリンから瓶をけ取る。イアンの頭にトロリと油を垂らした。心地良い香りの油には鎮靜作用がある。イアンはおとなしくを任せた──と、ここまではいい。
ラキの合図で、イアンの前にズラリとゴブリンの娘たちが並んだ。
見た目は雄のゴブリンとほぼ同じである。ちがうのは長い髪を束ねたり、編んだりしているところだろうか。それと、ゴブリンは防をに付ける以外はほぼなのだが、娘たちも例にもれず。腰回りにエプロンのような布切れを巻いているだけである。ゆえに発達した房は剝き出しであった。
ラキは顎でしゃくって、どの娘がいいか選べと。
「ぐぬぬぬ……俺が今言ったことが何一つ、伝わってないじゃないか……あのなラキ、ちがうんだ。そういうんじゃない」
頭を降るイアンに、ラキは肩を落としてあからさまに落膽した。
「ラキ、おまえと俺とじゃ、種族どころかのサイズがまるでちがうだろう? がデカいってことはあっちのサイズもちがうんだよ。を貢ぎに捧げるのはいいが、俺がこいつらとやったら貓やイタチとヤるのと同義だからな? 壊れちまう」
「グンドロボズ、ギギギギ……」
「そう、人間(アントロポス)じゃないと駄目なんだ。それかエルフ。俺はもともと、人間族とエルフのハーフだからな。それ以外の種族はけ付けない」
「グンギャ、グギグギ」
ラキは地面にうねった髪のを書いた。そして両手の小指を絡ませる。つまり、人かと。
「イザベラ?? いや、あいつは人でもなんでもないよ。むしろ、そういうのとはほど遠いところに位置する……ん? イ、ザ、ベ、ラ、だと!?……待てよ、今、俺何してる?……すぐに帰るつもりで拠點を離れたんだよな?……こんな所で歓待をけている場合じゃないぞ! 今頃あいつら、俺を探してるかもしれん。早く戻らなくては!!」
「グギャ?」
「ラキ、どうしよう? すぐに帰らねば殺される! 服は? 俺の服! こんな格好じゃ、帰れないよ!」
それはそう。今、イアンはにメガロス、巨大猿の皮を羽織っているだけなのだから。イアンのパニック狀態はゴブリンたちにも伝染した。可哀想な小人たちはあたふたとイアンの服を持ってきた。幸い、イアンの服はを洗い流され、焚き火に當てられていたため、生乾きでもなんとか著られる。四の五の言う余裕はない。イアンは大慌てで著替え、早々にゴブリンたちへ別れを済ませた。
行きと同じく、先導してくれるのはラキと食植だ。ラキは無言。食植たちも來る時とちがい、しょげ返っている。行きはよいよい帰りは怖い。イアンは帰途についた。
黒だった空がわずかに発して、薄灰に変わっている。著くころはもう朝になっているだろう。それにしても味気ない空だ。魔國の外では今頃、地平線が赤く染まり始めているはずだ。赤からオレンジ、紫へとしいグラデーションが広がっているにちがいない。それとも、可らしい薄ピンクが雲を染めているのかも。
──イザベラは勝手に外へ出たことと、行方知れずになったことでカンカンだろう。でも、サチの居場所がわかった。そう、実の父親の所、ザカリヤの所にいるんだ。これは大収穫だからな。あいつもそれを知れば、怒りを靜めるだろう。
しかし……
「ザカリヤの居場所がわかんないじゃないか!」
道の途中、イアンはんだ。
※メガロス……アニュラス北部の山岳部に住む大型の類人猿。
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