《【書籍化決定】公衆の面前で婚約破棄された、無想な行き遅れお局令嬢は、実務能力を買われて冷徹宰相様のお飾り妻になります。~契約結婚に不満はございません。~》いつまでも、お慕い申し上げております。

「その仮説が正しいのであれば、常ならざる災厄が起こることは、ほぼ確実なのですね……」

帝國のみならず、世界各國で同様の災厄が起こるのであれば、多くの死者が出るだろう。

【魔銀(ミスリル)】の恵みにより実家が富むことを真に喜べるのは、この危機を乗り越えてからだ。

それこそウェグムンド領やロンダリィズ伯爵領程の防備を固めているのでもない限り、強大化した魔の行域が広がっていけば、小さな領地であれば滅ぼされてしまう可能だってあった。

実家のダエラール領も例外ではないけれど、その焦燥にを任せるよりも先に、アレリラにはすべきことがある。

災厄そのものが、そう呼ばれる程に危機的なものであるのに、古文書の最後にある一文はより不穏なのだ。

×××

常なる、獣ならざるモノ、人ならざる者。

王の名を騙(かた)り在ると知れ。

真なる滅びを前にして、人はそれを魔の王と呼ぶ。

×××

「常なる、から続く二つの存在は、魔王獣と魔人王を指し示す言葉かと推察致しますが」

が波打つのを抑え込みながら、アレリラは極めて事務的にイースティリア様に自の考えを伝える。

「ああ。続く一文は、それ以上の魔の存在がいる、という示唆に見えるな。王の名を騙る……魔獣の変異した魔王獣も、人に似た姿をした魔人王も、本來は『王』と呼べる存在ではないのだろう」

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常なる災厄がこの二種が生まれる災厄を指すのであれば、と、イースティリア様は言葉を重ねた。

「真なる滅び……真に【魔王】と呼ばれ得る存在が、その上に居ることになる。正確な記録としてでなければ、最古の災厄に関する伝承には『魔を統べるモノ』とだけ記されているな。今までの災厄で確認された、強大な『魔』である魔王獣や魔人王の呼稱は、後に付けられた呼び名だ。『魔を統べるモノ』は、本來これらを指す呼稱ではなかったのだろう」

「では〝霊のし子〟や〝神の祭司〟そして〝黃竜の賢人〟についても……現存する災厄の文獻上では、記述が違う可能がありますね」

「あるいは、長く出現していないか、だ。災厄にまつわる記述のある文獻で、アルが諳じているものは?」

「この古文書を除けば、聖教會教典、帝國前史、伝承総篇、近世界史録の4つになります」

「私はそれに加えて、帝室録を閲覧している。常ならざる三者と、仮稱【魔王】に関して、何か思い當たる點は?」

問われて、アレリラは記憶を思い起こす。

「……『神爵(しんしゃく)』でしょうか。聖教會教典の災厄の関する記述に、その名があります。〝桃の髪と銀の瞳の乙〟を凌駕する力を持つ、神の寵をもって傷ついた大地に癒しをもたらす存在です。聖教會の獨自位階の中に、教皇の上に位置する存在として記されております。が、その位階を授かったとされるのは聖教會の礎となった初代乙、聖テレサルノの代にいたとされる、聖ティグリの名を冠する聖人のみです」

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「なるほど。他には?」

「他二者に関する記述は、的な人名はないかと思われます。『し子』という記述は帝國前史、伝承総篇の中に幾つか出てきますが、現在、それらは乙と同一視されていますし、神話の類いです」

以上です、と告げると、イースティリア様は小さく頷いた。

「『し子』に関しても、魔王獣や魔人王同様、現代の解釈が間違っている可能を考慮しよう。その上で、賢人に関しては記録がない可能が高い」

「そう考える意図をお伺いしても?」

「賢人が私の考える通りにペフェルティ伯のような人である場合、歴史の表舞臺に立つことはあり得ないからだ。おそらくは、隠者に近しい存在だろう」

「……確かに」

ボンボリーノは、結果目立つことはあっても、名譽や金銭、権力とは対極に位置する存在である。

祭り上げられることもなく、イースティリア様や祖父のような慧眼をお持ちの方でもない限り、気にも留めないだろう。

彼の才覚は、あくまでも『結果として良い方向に事を転がす』という、功績として目に見えづらいものなのだ。

祖父が解読したこの古文書を記した人は、おそらくそうした慧眼の持ち主だったのだろう。

「では〝霊のし子〟について、閣下はどのようにお考えでしょうか?」

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「……帝室録の記述から、一つの類推は可能だ。だがこの存在も、賢人同様『し子』として記録されてはいない可能が高い」

容をお伺いしても大丈夫でしょうか?」

「詳細は伏せるが、霊は人の目には見えない。その寵の発は、賢人が『幸運を人に授ける存在』という形だとするのなら、『観測出來ない加護を一けた存在』という形であると考えられる」

「歴史上に名を殘しても、『し子』とは思われていない、ということでしょうか」

「そうだな」

「探しようがありませんね」

ボンボリーノが賢人であるという推察も、たまたまボンボリーノが知り合いであったからという點から導き出されたものだ。

常ならざる災厄が起こるという説の補強として『し子』を探し出すのは、労力が掛かり過ぎる。

『神爵』の方はまだ可能があるものの、神の寵による奇跡を目撃するのは、既に災厄が起こって大地が傷ついた時だろう。

それでは遅い。

しかしアレリラは、現狀でも、常ならざる災厄は『起こる』という方向で考えるには十分だと思われた。

「どうなさいますか?」

「陛下に早急に相談する必要がある。だが、旅行を中斷することは出來ない」

「オルブラン夫人にお會いする必要があるからですね」

隣國まで赴かなければ、かの夫人にお會いすることは出來ないからだ。

自國の貴族であれば多予定の融通は利くが、隣國の有力貴族となると、こちらの都合で訪問の予定を早める訳にもいかない。

ーーーしでも、イースティリア様のご予定を滯りなく進める手段は。

アレリラは、スケジュールと移手段を脳で総浚いし……即座に、思いついたことを提案する。

「飛龍便の予定を早められるか、ロンダリィズ伯に打診致しましょう。早めた分の時間で進路上にあるタイア領に一度立ち寄り、お祖父様の力をお借りしては?」

祖父は、移や連絡に関して距離を飛ばす手段を有している。

おそらく、陛下に直接お會いしたり、連絡を取ることも出來る筈だ。

これなら旅程を変えないまま、陛下に現狀をお伝えすることが出來る。

「やはり、君は有能だ。口にせずとも応えてくれる」

栄です」

おそらくは、イースティリア様も思いついていたのだろう。

けれど、彼がご指示を出す前に思う通りに行出來ることを、アレリラは自の數ない點だと思っていた。

「災厄に対抗する為、帝國にとっての最善手となるのは、やはり〝の騎士〟と〝桃の髪と銀の瞳の乙〟をこちらに招集する手段を探ることでしょうか」

本人達の意思が重要になるものの、伝承の記述に則るのであれば、それが最も重要な要素であるとアレリラは考えたのだけれど。

「いいや。この場合の最善手は、災厄を(・・・)起こさせないこと(・・・・・・・・)だ」

そう言われて、アレリラは思わずイースティリア様を振り向いた。

真剣なを宿した、靜かな青い瞳に、その言葉が本気であると理解する。

「災厄を、起こさせない……?」

「そうだ。最善手は、災厄そのものを起こさないこと。次善は仮稱【魔王】が生まれ落ちぬことだ。対抗手段を用意して備えるだけでは足りない」

「災厄が起こること自を防ぐ……そのような事が、可能であると仰るのですか?」

あまりにも荒唐無稽な話に思えた。

今までの歴史に災厄が記録されているということは、つまり『災厄そのものを防げた』という前例がないことを意味するのだ。

イースティリア様はよく、アレリラの理解の及ばないこと、理想が高いと思えることを口になさるけれど、この件に関しては困難以上のものであるように思えた。

時間もさほど殘されていないだろう。

そもそも【魔銀(ミスリル)】や寵けた存在がいるということは、『神が人の為に対抗手段を用意した』ということに他ならない。

今のイースティリア様の言は『神の想定すらも超える』と口にしているに等しいのである。

祖父もロンダリィズ夫人も、災厄そのものの発生を防ぐことを目的とはせず、発生した後にどう対処するかを考えていているように見えた。

「アル」

イースティリア様は、あくまでも靜かだった。

けれど、その瞳に厳しさが宿る。

「可能不可能ではない。それは我々の目指すべきことであり、為すべきことだ」

「ですが」

「これは不測の事態ではない。対処の機會が與えられている問題なのだ。であれば、我々は最善の手段を模索しなければならない」

橫向きに、イースティリア様の太ももの上にアレリラを座り直させ、彼は下からこちらの顔を真っ直ぐに見據える。

「我々は戦士ではなく、文だ。その役目は、平和を維持し、問題が起こらぬよう務め、あるいは問題が起これば迅速に対処し、被害を最小限に抑えることだろう。『何も起こらぬ』事が、我々の勝利なのだ」

「……仰ることは、理解出來ます」

「戦士に『命を捨てよ』と命ずる段に至るのは、全ての手を盡くし、それでもまだ及ばぬ時のみだ。魔の強大化、魔王獣や魔人王の出現の原因、仮稱【魔王】に関する報を突き止め、事前に解決策を見出して対処すること。問題を起こり得て仕方のないものだと諦めるのは、文としての敗北だ」

「閣下……」

「イースだ。君は、私の伴だろう。……大切なものを失うリスクを、許容してはならないのだ。私は君を失いたくはない。そして君が想う帝國が、友人が、家族が失われて、君が悲しむ姿も見たくはない。同様に、陛下にも、殿下がたにも、全ての帝國民にも、同じ思いをしてしくはないと思っている」

その決意の強さと真っ直ぐな言葉に、アレリラは震えた。

「ーーー為すのだ(・・・・)、アル。それが帝國宰相である私と、筆頭である君の責務だ」

「……畏まりました」

掠れた聲でそう口にして、イースティリア様の頬に無意識に手をばす。

ーーーこの方は。

何故こんなにも大きな想いを、その背に負えるのだろう。

人智を超えた災厄が起こっても、誰もこの方を責めたりはしないのに。

不可能と思えることであっても、それが最善であると思えば、決して目指すことを躊躇わない。

ーーーそういう方だから、わたくしは。

「……アル?」

気付けば、頬を涙が伝っていた。

それを見て、イースティリア様が戸ったように聲を上げるのに、アレリラはを噛む。

「わたくしが、淺慮でした。及ばぬではありますが……この命盡きるまで、お支え致します。イースが、そういう方だから、出來る限りお支えしたいと思ったことを、思い出させていただきました……」

イースティリア様なら。

イースティリア様だから。

きっと、誰もが思いつきもしなかった事がし得るのだと、アレリラは信じた。

全てを包み込むような、大きなをお持ちの方だから。

誰よりも、人々の営みを守ることを、大切に考えておられる方だから。

そんな方が……困難に立ち向かう為にアレリラが必要だと、同じ想いでいてしいと、求めてくれていることが、嬉しくて。

平穏の為、困難に立ち向かうのが『我々』の仕事だと。

「お慕いしております、しています、イース。ずっと。ずっと……ずっと、です……」

自分でも、気持ちが昂って、何を伝えたいのか分からないまま、アレリラはイースティリア様の首に手を回して抱きしめる。

「お守り下さい。わたくしの大切に想う人々と、帝國に住む民を……そんなイースを守れるように、わたくしは一杯、努めますから……!」

「アル……嬉しいが、どうして泣いている? 不安なのか?」

「いいえ。そうではありません……ですが、分かりません。分からないのです、自分でも……しています、イース……その気持ちと共に涙が、溢れて、くるのです……」

いながらも、イースティリア様は抱きしめ返してくれた。

その腕の安心に、ますます涙が止まらなくなる。

「泣くな、アル」

「申し訳、ありません……」

「謝る必要はない。が、私は君の想いがこれ程に喜ばしいのに、このままでは、今一番見たいアルの顔を見ることが出來ない」

「顔……?」

を離すと、し困ったような笑みを浮かべたイースティリア様の顔が見える。

を伝えてくれるのなら、どうか笑ってくれ、アル。私がを最初に伝えた時のような、君の晴れやかな笑顔が見たい」

そう言われて。

アレリラはイースティリア様が珍しく困っているのが、何だかおかしくなって、口元を綻ばせる。

「こう、でしょうか?」

「ああ。そうだ。……あの時に見た、私だけの、君の笑顔だ」

アレリラは、その時。

出會ってから初めて、イースティリア様の整った貌が、まるで年のような満面の笑みに染まるのを見た。

「共に守ろう、アル。君が居てくれたら、きっと私は、どれ程不可能に思える事もし得るだろう」

「はい……イース」

イースティリア様の指先で涙を拭われ、アレリラは目を閉じる。

そのまま、らかいれて。

アレリラは手から力が抜けてしまい、指先からすり抜けた古文書の寫しがパサリと床の上に落ちる音が聞こえた。

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