《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》37話 サチと角の魔人(サチ視點)
(サチ)
意識が戻った時、サチは薄闇の中にいた。
は頭部以外、包帯でグルグル巻き。壁にもたれかかり、藁を積んだ上に座っている。どこかの地下か。壁も地面も剝き出しの土だ。表面がなだらかに加工されていることから、人工的に造られた場所と思われる。
奧にマーコールらしき螺旋狀の角が見えた。クルクルと螺旋を描く角は大きく立派だ。このマーコールは南部の山岳地帯で見られる。特徴的な角を持つ山羊である。角は縄張り爭いで使われる兇だから、大きければ大きいほど強さの象徴となる。この角の主は群れの長だろうとサチは思った……と、その角がいた。
──生きている!?
角の主はバサァッと白い翼を広げた。フワリ浮かび、サチの前に著地する。
「気がついたか」
澄んだ低い聲が問う。角の下にはしい顔があった。目、鼻、口……全部のパーツが細かく計算されたかのように絶妙なカーブを描き、形となっている。それらは完全に左右対稱で寸分のズレもじさせない。その顔にピッタリの白い翼がまぶしくてサチは目を細めた。長くしっとりした黒髪は的だ。だが、簡易なローブを羽織った前がはだけて、均整のとれた筋がのぞいていた。これが彫像だったのなら、創造主が命をかけたのだと思うだろう。存在自が蕓品であった。
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ただ、ただしい。別や種族など関係なしに見とれてしまうほどであった。サチは思わず呟いてしまった。
「天使様……」
「天使……様……だって!?」
それを聞いたしい角の主はをかがめて、派手な笑い聲を立てた。サチはなぜ笑われるのか、わからない。死んで天使様が迎えに來てくれたと思ったのだ。
「くくく……天使様だって。悪魔と言われるなら、わかるがな?」
サチはそんな角の主をぼんやりと眺めていた。視線に気づいた角の主はピタリ笑うのをやめ、真顔になる。攻撃的な目つきに変わった。
サチは目をそらさなかった。さきほどの大笑いは獣じみていたが、悪い者とは思えなかったのだ。それに、彼は見たこともないしさだった。ただ、見とれていたというのもある。
「さて、と。どうしようかなぁ」
角の主はサチから目を離さず、獨りごちた。
「ドゥルジにおまえを引き渡せば、かなりの報酬がもらえる。なにせ、この魔國を仕切ってる元締めだからな。そのつもりで、おまえをさらわせたわけだし……」
ドゥルジというのはエド(クリープ)を従屬させていた魔人か。サチは襲われた時のことを思い出した。木のうろにある蟲食いにろうとした時、急に黒いが降ってきたのだ。
黒い鏃(やじり)が容赦なく全を貫いた。サチは隣にいたイザベラを守るので一杯だった。その後、痛みをじる間もなく、に似た魔人がサチのを切り裂いた。突然のことでまったく抵抗できず。サチはそのまま意識を失ったのである。
──あのあと、イザベラはどうしたのだろう? ジャンは? エドは? イアンは?
心は不安に塗り潰される。思わず口を開いていた。
「俺と一緒にいた仲間は? みんなはどうなった??」
「は? 知るか、そんなこと。死んだんじゃねぇの?」
角の主の言葉にサチは愕然とする。そこで初めて、目の前にいる魔人が敵だったのだと気づいた。サチをドゥルジに渡すため襲わせたのだ。
「勝手にしゃべるんじゃない。おまえは俺の質問に答えるだけだ」
角の主の指から鋭く尖った爪がニュッと出てきた。それをサチの首元に當ててくる。貓と同様、出したり引っ込めたりできるらしい。爪は指と同じ長さがあり、錐のようだ。
「おまえ、名前は? なんでドゥルジに狙われている? を半分食われて死なないってことは人間じゃあないよな? 何者だ?」
「名前はサチ・ジーンニア……他のことはよくわからない」
「おい、噓はつくなよ?」
錐の爪がサチのを突っつく。チクチクと嫌な痛みが走った。サチは目で訴えていたのかもしれない。訴えるというよりか懇願。角の主の瞳に一瞬、憐れみがよぎった。
「まあいい。質問を変えよう。おまえはどこから來た?」
「主國の王都から。騎士団にいた」
「騎士団だって? 従騎士か何かか?」
「いや、騎士として……」
角の主はふたたび嘲った。こういうの反応には慣れているので、サチは無反応だった。短軀だし、どこからどう見ても騎士っぽくないから笑われるのは當然だ。角の主はサチの反応が面白くなかったのだろう。また真顔に戻り、サチの首をチクチク爪で刺した。
「つまらんな。かわいげがない。出は? 海か?」
「リンドス島という所だ」
「聞いたこともない。おおかた、貴族でもないんだろう?」
サチは正直にうなずいた。何一つ噓はついてない。サチが堂々としているのが角の主は気にらないようだった。
「ふぅん。で、ただの騎士のおまえをどうしてドゥルジが狙うんだ? 依頼者に心當たりは?」
サチは首をかしげた。本當のことは言うべきでないと本能が伝えている。依頼者はグリンデル王家、サチが王子だということは。
「しらばっくれるんじゃない。助かりたかったら、本當のことを言え」
爪が首に食い込む。サチは目を閉じた。これまでかと観念する。このまま蘇ったところで周りに迷をかけるだけだ。政治に利用され、存在するだけでが流れる。この呪われたに価値などない。唯一の心殘りは一緒にいた皆の安否。また、守れなかった。サチの中にいるランドルが責める。母上のことも守れやしなかった。
あの時も、あの時だって……いつだって無力。イアンが謀叛を起こして魔國へ逃げた時も、夜の國でカオルたちに襲われた時、剣大會の時、グリンデルから逃げる時だって、ずっと助けられてきた。一人では何もできやしないんだ──
食い込む爪が途中で止まった。
サチは目を開ける。角の主は爪に付いたを舐めながら、サチを眺めていた。その薄茶の瞳は憐憫に満ちており、わずかな怯懦も含まれていた。
「死んだ目をしやがって……生きたいか? 助けてほしいか? それなら、助けてやってもいい」
サチは耳を疑った。どういう気まぐれか。理由はわからないが、角の主はサチを助けてもいいと言っている。
「そうだ、地面に伏して懇願しろ。助けてくださいってな。そうしたら、考えてやる」
絶の底に突如として希の糸が垂らされた。平伏(ひれふ)すぐらい楽勝だ。ここで命拾いできるなら、地面を舐めたっていい──サチはそう思った。六年前まで誰にも跪かないと豪語していたのに……
サチはいとも簡単に平伏した。地面に額をこすりつけ哀願する。
「死にたくない……助けて、ください」
「もういい。顔を上げろ」
サチが顔を上げると、角の主は怖い顔をしていた。嘲笑されるとばかり思っていたのに意外だ。
「そんな目で見るな。あの方の顔でみっともない真似をするんじゃない」
つい數秒前までは助けてもいいとまで言っていたのが豹変する。
──平伏せと言ったのはそっちなのにどうしてだ? 機嫌を損ねてしまったから、これは助かるかわからないぞ
サチは目を伏せて、審判が下されるのを待った。
コトン。い金屬が地面に置かれる。中には赤いがっている。
「ほれ、餌だ。食え」
角の主が地面に置いたのだ。今度は嗜的な笑みを浮かべ、こちらを見ている。
それまでなんともなかったのに、サチはとてつもない飢に襲われた。犬にでもやるように餌だと出されて気分は悪い。しかし、それを飢はゆうに上回った。
のった皿はすぐそこ。歩いて數歩。サチは前に進もうとして前傾姿勢から起き上がろうとした。
──あれ?
起き上がれない。手をついてを起こせばいいだけだ。なぜ?
サチは首をかす。視線は自の肩へ移する。
──へ? ない!?
肩から先が何もない。反対も同じだ。両腕がない。じゃあ、足は?? 蹴っても蹴っても、空を蹴っているようだ。サチはゴロリ、仰向けに転がった。視線の先は腹から下。
──え? なんで?? どうして?? こんなに蹴ってるじゃないか
腹から下も、何もなかった。
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