《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》39話 知ってしまう(サチ視點)

その日もサチは藁の上で眠っていた。角の魔人に構われる他は寢るだけの生活だ。思考もほとんど停止している。ほとんど犬である。玩である。

玩となったサチはすっかり従順になり、逃げようとか逆らおうとかそういう気持ちをいっさい持たなくなっていた。藁の上や使い古した布はかろうじて寒さを凌げるし、飢や激痛に襲われることも減った。

起こされたのは微かな音のせいだ。サチは角の魔人が下りてきたのだと思った。しかし、妙な時間である。時計がなくても太じていなくても、なんとなくわかるものだ。人のには時計というものがある。魔人は決まった間隔を置いてやって來る。今日はそのリズムがれていた。

不審に思いつつ、まどろみのなかにいるサチはこうとしなかった。やがて、魔人とはちがう気配と匂いをじるまでは……

──何者だ!!

軽い足音が響く。暖かいランタンの燈りが地下を照らした。

相手が害を為す可能もある。ここは魔の國。魔人の住処だ。しかし、サチは逃れるを守るも持たなかった。全にギュッと力をれ、構えるだけである。

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「おや??……何かいると思ったら……そーゆーこと?」

の聲。低く大人びたじの。ランタンに照らし出されたの顔を見てサチは息を呑んだ。

白いエプロンに長めのスカート。桃の髪を三つ編みにして前に垂らしている。丸い眼鏡の奧の大きな目は優しく笑んでいた。

「あたしはメグ。君、名前は?」

「さ、サチ……サチ・ジーンニアです」

がしゃがむと、側頭部にくっ付いているものがよく見える。渦を巻いたそれは髪飾りではなく、羊の角であった。

「君はいつからここにいるの?」

「わからない……」

「まあいいや。そこら辺はだいたい見當つくから。ちょっとケガの合を見せてもらってもいい? あたし、こう見えて醫者なの」

サチはコクリ、うなずいた。前にいるかわいらしいからはまったく邪気がじられない。メグと名乗ったは手際よくサチの包帯をほどき始めた。

「んもぉ……包帯の巻き方が雑。ちゃんと消毒はしてるのかしら?」

ぶつくさ言いながら、を確認するメグのことをサチは凝視していた。

顔の造作が飛び抜けてしいわけではない。鼻は丸いし、目も離れ気味。上も厚すぎる。だが、個的なパーツがうまく調和して、なんともくるしい雰囲気を醸し出しているのだ。とても魅力的だった。

「ふむふむ。手と足は再生し始めているわ。この場合、あまりキツく包帯で縛りすぎてはダメなのよ。それにこの不衛生な場所! すぐに明るい部屋へ移しましょ」

「……でも、勝手に移したら……」

「ああ、いいの。気にしないで。ザカリヤは怒るだろうけど、あたしからキッパリ言ってやる。勝手なことしないでって」

サチが気にしたのはマーコール角の魔人のことだ。も心も飼い慣らされてしまったサチは移するのが怖かった。メグはそんなサチを優しく抱きかかえた。久しぶりにれると溫もりはサチを安心させる。薬の匂いはしも気にならない。

だが、メグが立ち上がる時にサチは気づいてしまった。頬に當たるらかい房だ。とても落ち著くが、恥ずかしくて彼の顔が見られなくなってしまった。

「ザカリヤったら……最近コソコソと何かしているから怪しいと思っていたのよ。痛み止めの薬や注、醫療品を勝手に持ち出すし」

サチが顔を熱くしている間、メグは階段を上った。話の容から彼は角の魔人の同居人と思われる。

「まったく、どういうつもりだったのかしら? こっそり、犬でも拾ってきた覚?……あ、ごめんなさい。君のことを犬みたいって、思ったわけではないのよ。あんな地下室に隠して保護していたのは、なぜだろうって」

「別に構わないです。事実、犬みたいに扱われてましたし……」

「やっぱりそうだったのね。ひどい奴……でも、もう安心よ。ちゃんと適切に手當てする。食事も栄養のあるものを食べれば、すぐ元通りになるわ」

「逃げたら殺すって言われました」

その言葉にメグは目をパチクリさせた。これには意外があったようだ。

「それ、彼が言ったの?」

「マーコールの角と白い翼の魔人が」

「なんでだろう? 君に執著する理由がわからない……とりあえず、部屋に著いてから話を聞くわ」

地下室から出ると、トーチに照らされた廊下を進んだ。シルクの刺繍を施したえんじの絨毯が敷いてある。壁の煉瓦は剝き出しで窓には格子がはまっている。裝は古びているが、趣味が悪いわけではなかった。窓から淡いが差し込んでいるので、早朝か夕刻かもしれなかった。

された部屋はベッドの他に箱が重ねられたり、足の取れた鏡臺が置かれたりとゴチャゴチャしていた。

「ごめんね。いらないを置いているから、ちょっと汚いけど。あとで片付けるわね」

サチはらかなベッドの上に寢かせられた。その後、腕や足の切り口に薬を塗られ、軽くガーゼを被せられる。に負った切り傷もほとんど完治していたので、そちらも同様にされた。一通り手當てが済むと、メグは食事を運んだ。生ではなく、パンやスープといった人間らしい食事だ。さらにスプーンやフォークでそれを口まで運んでくれる。

まともな待遇にサチは涙までこぼしそうになってしまった。

「ありがとうございます」

食後、サチは心から禮を言った。このかわいらしい人はサチを暗い牢獄から助けてくれた恩人だ。

「いいえ。いいのよ、禮なんて。それより、今まであんな所に閉じ込めてしまってごめんなさい。もっと早く気づいてあげればよかった」

「手足が治ったら、恩返しさせてください」

「ふふふ。そうねぇ……じゃ、診療所の手伝いでもしてもらおうかしら」

「診療所?」

「この家に診療所が隣接されているの。そこで、あたしは醫者をやってるのよー。モグリだけどね」

こともなげに言い、メグは白い歯を見せた。そんな何気ない作にもどぎまぎしてしまう。サチは頬がほてるのをじ、うつむいた。

「うん、じゃ、サチ君だっけ? 君のことをいろいろ教えてくれる? 君もそうだろうけど、私も腑に落ちない點がいくつもあってモヤモヤしているの」

サチはローズ領と魔國との國境近くを歩いていて、突然襲われたことから話し始めた。もちろん、王子ということは伏せている。自分の経歴を洗いざらい話すほど不用心ではない。幸い、メグは深く突っ込んでこなかった。

「ふぅん……のカラスみたいな魔人ねぇ……で、黒いやじりを飛ばしてきたと。それはたぶん、クロチャンよ。ドゥルジに仕えてはいるけど、ザカリヤのことが大好きだから、ときどき仲間の仕事を掠め取ってザカリヤにあげるの」

「角の魔人もドゥルジがどうとか言ってました」

「じゃあ、君はドゥルジに狙われてたってことか。心當たりは……言いたくなさそうね。なら、あえて聞かない。話したくなったら教えて」

「一緒にいた仲間のことが心配なんです。死んでいるかもしれないけど、安否を教えてもらいたい……」

「いいわ。それはクロチャンに聞けばわかる。でもね、あの、最近姿を見せないのよ。どこにいるのやら……ザカリヤにも聞いてみるわね」

「あの……さっきからザカリヤって……マーコールの角の魔人のことです?」

「ええ。そうよ。もともと、人間だったんだけど。アニュラスではちょっとした有名人。グリンデルの英雄って言われてたみたい。ザカリヤ・ヴュイエ。グリンデル王國騎士団長だった……どうしたの?」

サチは心臓が止まるかと思うほど、びっくりした。サチを飼い慣らそうとしていた角の魔人があろうことか、あのザカリヤ・ヴュイエだと。実の父親だというのだから。

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