《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》42話 働きたい(サチ視點)

ザカリヤの家に來てから四週目、サチは歩けるようになった。リハビリに要したのは一週間。最初の一週間はほとんど再生されなかったことを考えると、驚異の回復である。

「診療所を手伝わせてください」

足が再生して七日目、朝食の席にて。サチはメグに頼み込んだ。

「うーん、気持ちは嬉しいけど治ったばかりだし、もっとゆっくりしてていいよ」

「何もしてないのが嫌なんです」

メグの視線は自然とザカリヤのほうへ向く。ザカリヤは視線をともせず、朝っぱらからワインを飲んでいる。メグは視線をサチに戻した。

「じゃあ、明日からにしようか。まだ足を引きずっているし、意気込まなくていいよ。サチには考える時間も必要だと思うしね」

「……わかりました」

不満。でも、メグを困らせたくないからサチは素直にうなずいた。

食事の片付けはサチがやる。メグが出勤し、居間に殘されたあとは掃除をすることにした。

ザカリヤの家は屋敷というほど大きくなく、三人で暮らすには広過ぎた。だが、ザカリヤは常にを四、五人連れているので、大家族で生活しているのと同じ覚だ。

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暖爐一つで充分暖まる広さの居間と寢室が四つに置が一つ。たちがするのは食事の支度くらいで、掃除は気が向かないとやらない。メグも家事をまったくやらないし、家の中は埃だらけだった。類や本は出しっぱなし、ワイン瓶で転びそうになる。

その居間で晝間っから、ザカリヤはたちとボードゲームに興じていた。一回負けるごとに一枚げと、ワインを回し飲みしながら大騒ぎだ。三角巾を頭と口に巻き、完全武裝したサチはその橫を過ぎていった。

「お、ファルダード。なんだ、その格好は? おまえもゲームにれ。楽しいぞ?」

サチは無視した。ファルダードとかいう名前ではないし、答える義理もない。ザカリヤも無視に慣れているので、それ以上突っ込んでこなかった。

塵、埃を払い棚を拭く。ゴミを捨て服をしまい、床を磨き──居間が終わったら寢室だ。

祖父母として育ててくれた人たちの亡くなったあとが思い出される。サチは王都に住む養父と妹と暮らすようになった。あとでわかったことだが、この養父はサチとの繋がりがない。サチは追い出されないための努力をしなければならなかった。家を綺麗にし食事を作り、外で働いた金を借金に充てる。寢る暇もないほど、毎日働いていたのである。

黙々と掃除をし続ける。あのころに比べれば、今の境遇など生易しい。またはグリンデルでの囚人のような日々を思い出せば……

は一つ一つ埃を拭き取る。臭気を発する花瓶を綺麗にして花を生ける。メグの部屋には遠慮してるのをやめた。他の寢室は気にしなくてもいいだろう。

ザカリヤの寢室へったところ、案の定ベッドはれたままだった。ベッドの橫に大きな袋狀のハンモックが吊してあるから、そこで寢ていると思われる……となると、ベッドはたちとする時に使っているわけか。

サチはベッドから目をそらした。

──うーん、でも洗ったほうがいいよな。りたくないけど……

サチはしばし悩んだ後、ベッドカバーを剝がした。いつも同じようなローブをまとってるだけだから洗濯はない。服は數枚、ベッドの天蓋に引っ掛けてあるだけだ。

──不潔だなぁ。風呂もあんまりらなそう

サチは潔癖なので、いつも綺麗にしている。ザカリヤからしたらケチな奴に見えるのだろう。そうだ、徹底的に部屋を綺麗にしてやろう──ちょっとした嫌味のつもりでサチは片付け始めた。

ベッドの次は他の家だ。小テーブルの上に散するアクセサリー類が邪魔だった。チェストにしまえるだろうかと、サチは引き出しを開けた。

──ああ……やっぱりか

中も雑然としていた。しまえるスペースはなさそうだ。落膽しつつも念のため二段目を開ける。

──ん?

キラリとが偶然、目にはいってしまった。グリンデル王家の紋がったロケットだ。

──王家の

サチは手に取って開けたことを後悔した。ロケットの中には母クラウディアの肖像畫がはめ込まれていたのである。サチはしばらく固まってから、それを元に戻した。

「なにをしている?」

開け放した扉の向こうから、聲が聞こえたのはその數秒後。サチは飛び上がらんばかりに驚いた。ザカリヤは気配を消していたのだ。

「別に……掃除をしていただけだよ」

「それはそれで構わんが……勝手に引き出しを開けるなよ? 大事なってるからな」

「わかった。それよりあんた、たまには風呂にれよ。ときどき臭い」

「余計なお世話だ。一昨日ったし。たちが上から下まで全部洗ってくれたから問題ない」

「あっそ。じゃ、俺はくっさいシーツを洗濯してくるわ」

部屋をあとにしてから、嫌な汗がサチの頬を流れた。

──クズはクズらしくしてればいいんだよ。なんで母のロケットなんか……

高貴な母とクズ魔人ザカリヤを結びつけたくない。サチは元にしまったブローチを握り締めた。

桔梗の花をあしらった金細工は母の形見。百日城のの図書室で見つけただ。これはずっと、上側に留めていた。著ていた服は地下の蔵に無造作に置かれていたので、サチはあとで回収したのである。

その後、サチは上の空で洗濯し、ザカリヤの部屋にはもう戻らなかった。

掃除の次は夕飯の支度だ。食糧庫には魔獣のが吊してある。サチは普段のマズい食事に対して鬱憤が溜まっていた。今夜は凝りに凝った夕食を作るぞ、と意気込む。あるでどれだけ作れるか、腕の見せ所だ。

その日の夕飯は豪華な料理が並ぶこととなった。

「すごい! こんなの食べたことない! 煮凝(にこご)り?」

「テリーヌです。野菜があまりないので、苦労しました」

「うぅん、これもおいしい!野菜をで巻いたやつ! スープもいつものと全然ちがう! ね、ザカリヤ?」

「うむ……」

はしゃぐメグの前で、普段はワインしか飲まないザカリヤが食べていた。話を聞きつけ、娼館からたちも食べに來ているから狹い居間は賑やかだ。サチは追加で作るため、廚房と居間を行ったり來たりした。その間もザカリヤはずっと食べ続けていた。

──魔人って、普通の食事も食べるんだな

あのザカリヤが文句の一つも言わないなんて。作り甲斐があるというものだ。

「サチは本當にすごいね。家の中も見違えるようにピカピカになって……もうビックリだよ」

メグは涙しそうな勢いである。サチは追加の料理を並べたあと、やっと食べ始めた。腹が減っていても、こんなに喜ばれるなら自分は食べなくてもいいかな、とまで思えてくる。

ふと、フォークを持つザカリヤの手が止まった。地下室での習慣がまだ殘っていたのか。上機嫌のサチは褒め言葉を期待して、ザカリヤの顔をうかがった。褒められるのは嬉しい。だが、ザカリヤから出た言葉は思いがけないものだった。

「おまえ、どこで掃除や料理を覚えた?」

「は?」

譽められると思っていたサチはポカンとする。ザカリヤは責めるような口調だ。

「おまえ、貴族だろう? 使用人のスキルを持ってるのは、どっからどう見てもおかしいんだよ」

「オレは貴族じゃないし……庶民だし」

「庶民は命など狙われない」

サチの機嫌は上から下へ急降下した。せっかく気分良く食事していたのに臺なしだ。いったい、何が気にらないというのだろう。

「おまえ、げられていたんだろう?」

憐れみの目を向けるザカリヤに怒りは発した。

「だまれ、クソ魔人。俺はあんたみたいな元貴族じゃないし、ずっと庶民として生活していた。皿洗いのバイトもしてたし、針仕事の職もした。料理は毎日朝夕作ってたんだよ、家族の分をな。遊び暮らしてるあんたにはわからん生活だろうが」

ザカリヤは言い返さなかった。また黙々と食べ続ける。はっきり言ったことで気持ちがすっきりするどころか、サチはますますモヤモヤした。

──なんだろう? 憐れまれるのは不快だ。

食事の味がしなくなり、サチは食べるのをやめた。

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