《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》43話 診療所(サチ視點)
診療所の手伝い、料理に掃除。手足が回復してからサチの日常は一変した。役立たずの厄介者ではなくなり、しでも役に立てるのがサチは嬉しいのだった。なにより忙しいのがありがたい。悩んだり、考え込む時間を奪ってくれる。サチは國のことを忘れて働くことに専念した。このままズルズルと時が解決してくれればいいと、淡い期待を抱いて……
ザカリヤ邸に隣接する診療所は魔國がグリンデルと隣接する東側、國境近くにあった。國境近くだから、人間が魔獣に襲われることも多い。患者の半數は亜人ではなく人間だった。
メグは亜人も人間も分け隔てなく治療する。魔國に面するグリンデル側は奧深い森だ。數百スタディオン離れた町まで行かねば、治療がけられない。國境を越えて、わざわざやってくる人間も多かった。
最初はの消毒や付。やがて、醫療の知識もあったので、サチは注や傷の手當てもするようになった。なにせ、醫師一人に看護士五人では患者の數に追いつかない。毎日、てんてこ舞いだ。
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驚いたのは治療費をろくに払えない患者が何人もいるということである。
──これじゃ、商売上がったりだろうに。どうやってやりくりしてるんだろう?
薬や醫療品は高級品だ。そして、それに見合うだけの治療費はもらえていない。赤字は間違いなかった。
「メグさん、治療費ってもっと上げたりしないんですか?」
サチはつい聞いてしまった。これでは慈善事業だ。醫療品の費用や看護士の給料など、いったいどこから捻出しているのか。不思議に思うのは當然である。
この質問にメグは眉を曇らせた。いつも、おおらかな彼がこういう表をするのは珍しい。
「サチ、お金のことは言わないで。あたしは醫療に困ってる人を助けたくて、ここに診療所を開いた。赤字でもなんでもいいと思ってるの。治療費を高額にしたら、治療をけられない人が増えるでしょう。だから治療費は上げない。払える人だけ払えばいい」
メグの瞳は強い信念をめていた。サチは「でも……」の一言をグッと呑み込むしかなかった。
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──そんな目をされたら、否定なんてできないじゃないか
だから、余計にサチは働いた。がむしゃらに働くことが罪滅ぼしになる。メグの清廉な思いと反して、打算的な考えしかできない自分が嫌だったのだ。
人間とは弱く儚(はかな)きもの。の三割以上を失えば、死んでしまう。もげた手足は二度と元に戻らないし、傷口はすぐ膿んでしまう。
瀕死の狀態で診療所に運びこまれる人もなくなかった。戦闘能力を持たない普通の人が魔獣に襲われ、助かることのほうが珍しい。どこの誰かもわからない、金も持っていない哀れな重傷者をメグは白をだらけにして救おうとした。
なかには罵倒してくる患者もいる。メグが亜人だからだ。侮蔑や差別を彼は笑い飛ばす。彼の前では亜人だろうが人間だろうが皆同じ患者だ。サチからすれば、外へ放り出してしまいたい無禮者もメグにとっては大切な患者だった。
「メグさんはお人好しすぎます」
彼本人には言えないから、サチは共に働く看護士にこぼした。すると、エルという長の看護士は笑って答えた。
「みんな、最初はそう言うんですよ。でも、次第にあきらめて……最後には応援したくなる」
獣人の彼は貓耳の片方が千切れている。
「これね、ヘリオーティスにやられたんです。最初は私も人間なんか助けて……って思いました。でも、今はその人間を助けるのが當たり前になっている」
サチは複雑な思いでそれを聞いていた。サチの僕(しもべ)であるグラニエは人間だし、イアンもイザベラもそう。ユゼフやジャメル、料理人になったファロフは亜人。皆、亜人とか人間とか気にせず、仲良くやっている。だが、シーマが謀反を畫策したのは人間への憎悪が発端だし、ディアナは亜人全般に差別意識を持っている。
──蓬萊山はよかったな。天狗も河も種族など関係なしに酒を飲んで語り合えた
そんな世界が作れたら、なんて夢見た日もあった。だが、退場してしまったサチに出る幕はもうない。
──アスターさんは、俺にはなんだってできるって言ってたけど無理だったよ。俺は誰一人助けられなかった。マリィだって
グラニエの姉、キメラになったマリィのことを思い出すとが苦しくなる。サチは自分が逃げるために彼を犠牲にした。また城に連れ戻されただろうか。あの冷たい地下室で掃除人が運んでくる死を貪っているのだろうか。暗いことを考えれば底無しだ。クロチャンに襲われた時、一緒にいたエド(クリープ)、イアン、イザベラ、グラニエのうち、何人かは確実に死んでいるだろうし。
サチは考えるのをやめ、醫療に従事した。答えの出ない懊悩にかまけている暇はないのだ。目の前には足のもげた年や、息も絶え絶えの老人がいる。サチにできるのは止したり、痛み止めを打ったり、暴れる手足を押さえること。誰も助けられなかった役立たずも、ここでならしだけ役に立てる。
診療時間後。夜勤以外の看護士が帰り、誰もいなくなった診療所にサチは殘った。処置室でやりたいことがあったのだ。コソコソするのは悪いことをしているみたいで神上よろしくない。だから、燈りを消そうとメグがやってきた時、びっくりして息が止まった。驚いたのはメグも同じで、その場にもちをついてしまった。
「あ、あわわ……まだ消してなかったと思ったら、サチいたのね」
「驚かしてすみません。メグさん、まだ殘られていたんですね?」
「カルテの整理をしてて、帰ろうと思ったら君がいるから心臓が止まるかと思ったよ」
メグはサチに助け起こされ、ホッと一息ついた。サチはし躊躇したが、いずれバレることだし彼に話すことにした。
「あの、これ……」
サチは十本の赤い試験管をメグに差し出した。
「なにこれ? !?」
「俺のです。これには強い治癒効力があります。地下の冷凍室に保管しておいてください」
「へ? 君はたぶん魔人だけど、それだからといって治癒能力があるとは……」
「すでに何度か実証済みです。どうにもならない時はこれを使ってください」
今日、患者が一人亡くなった。その時のメグの顔がサチの脳裏に焼き付いている。いつも笑いを絶やさないメグが死人のように青ざめていたのだ。
もちろん、患者の一人、二人亡くなることはよくある。いつもとちがうのは患者がまだかったことと、回復途中にあったことか。細菌染による急腎不全だった。蘇生措置も効果なく、哀れな年は天へ旅立った。年の呼吸が止まった時のメグの顔──青ざめたその顔をもう二度と見たくないとサチは思ったのである。しかし、メグはすぐにをけ取ろうとしなかった。
「でも、サチ……このを使うことは醫療行為ではないよね。よくわからないんだけど、危険を孕んでいる気がする。道義的に正しいのかどうか……」
「道義とか関係ありません。俺はあなたに笑っていてほしいのです。絶してほしくない。ただ、それだけ」
強い気持ちは目と目で伝わるものだ。サチは頬をほてらせながらも、視線を外さなかった。いつもまっすぐな彼のほうが目をそらし、下を向いてしまったぐらいだ。うしろめたかったのだろう。
結果、メグはしきりに悩んだ末、をけ取った。
「使うかはわからないけど、君の気持ちはけ取る。ごめんね。あたしも自分がどうしたいか、どうすべきなのか、まだわからないんだ」
サチを見る桃の目はしだけ潤んでいた。出會ったばかりでまだわからないが、きっと彼はちょっとやそっとのことで泣いたりしない。強いだ。サチのはチリチリ痛んだ。もうわかっている。サチはメグにしていた。イザベラのことを忘れたわけではない。だが、それを上回るほどのが抑えきれずに溢れ出てきた。
「サチ、君はいったい……」
に治癒効力を持つ魔人はとても珍しい。サチは特別。だからたぶんメグは、
「何者なの?」
という言葉を呑み込んだ。
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