《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》46話 彼と再會(サチ視點)

數日後。右手を失った哀れな衛兵、スヴェンは退院した。

「オレはヘリオーティスで活するかもしれねぇ。そん時は殺してやっから、覚悟しとけよ?」

最後までこんな憎まれ口を叩くとは。サチは「ああ、楽しみにしてるよ」と答えた。本當に馬鹿でクズでしょうもない奴だったけど、スヴェンが死ななくてよかったとサチは思う。

スヴェンは婚約者のペアリングを置いていった。婚約者の頭文字が彫られた曰わく付きの指だ。どれほどの値がつけられるかはともかく、金に変えることとなった。

というわけで、今、サチは換金しにエルフの村へ向かっているのだった。ケガが回復してから、一人で出歩くのは初めてのことである。心配するメグを振り切って、サチは診療所をあとにした。いい加減、子供扱いはやめてほしい。

魔國の大地の八割は荒野である。道という道もないし、目印となる木や建もほとんどない。そんななか、的勘と方位磁石のみで進むのだから人間には厳しい環境だ。

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幸い、魔人のサチには優れた磁覚があった。東西南北から発せられる磁気をじ取り、自分の現在地を把握できる。座標がわかれば、すんなり目的地へ行けるのだ。不安など皆無。しかし、つまらないのは別問題だった。荒涼とした大地を延々と歩くのは苦痛である。魔獣がいれば、逆に嬉しいぐらいだ。その魔獣も、サチが嬉々として魔力を解放するだけでスタコラ逃げ去ってしまう。

──つまらん!

サチは背負ったダガーを抜いて、ブンブン振り回しながら歩いた。ザカリヤから借りたダガーは小柄なサチには扱い易い。このダガーは皆がよく持ち歩く小ぶりなの倍サイズ。だいたい、一キュビット(五十センチ)弱くらいだ。

そういえば、グラニエもサチにチンクエディアという短剣に近い剣を持たせた。サチにはが持っていそうな、かわいらしい剣が向いているらしい。

──俺自は別にかわいい格じゃないんだけどな。見た目はかわいいかもしれんが

魔獣でも魔人でもいいから、湧いてきてこの退屈を打破してほしい。サチは魔の気配を気にしながら歩いていた。だから、ようやく気配をじた時、心躍ったのだ。しかも、これまでとちがってかなり大きい。

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ワクワク──口の端を歪ませ、地面をタンッと蹴る。そのまま風となり、標的めがけてまっしぐらに駆けた。距離的にはかなり離れているが、風となったサチはそこら辺の魔鳥より速い。最初、影だけだったのがグングン見えてくる。

──羽を生やしてるな? ドラゴン? 首がいくつもある。ヒュドラか!

ちがうことは數分も経たないうちにわかった。ヒュドラがいるのは蓬萊山だけである。そして、フォルムはドラゴンにちがいない。ただし、四つの首はそれぞれちがう種であった。

「マリィ!!!」

そう、百日城でサチたちが逃げるために解き放ったキメラのマリィだ。捕らわれず、ここまで逃げていたのである。

「ごめん、ごめんな! マリィ!」

「グォオオオオオ!!」

謝るサチにマリィは憎悪のこもった目を向ける。これまで出會った魔獣とはちがい、逃げようとはしなかった。出會い頭、激しく炎を吹き付けてくる。

サチは飛んで避けた。だが、攻撃は止まらない。サチを攻撃対象と認識したマリィは上空へ飛んだ。見上げれば、青い猛炎がサチを狙ってくる。範囲も広いし、狙いも正確だ。それに溶巖と変わらぬ高溫。直接當たらなくても熱波で大火傷する。

熱波はサチを吹き飛ばした。息ができないほど強い熱と圧力で押し潰されそうになる。サチは地面に転がり、顔を腕で覆って防するしかなかった。

と、今度は熱波ではなく、冷たい風が吹き付けてきた。一瞬の安堵は戦慄へと変わる。冷たい風はマリィのドラゴンの翼が作り出したものだ。つまり、マリィは羽ばたいている。容赦なくこちらへ向かってくる! 鋭い牙と爪が!

ガキンッ!!

とっさに出したダガーはマリィの首の一つ、ドラゴンに噛みつかれた。真ん前で爬蟲類の質な目がサチを捉えている。だがそれも束の間、儚い音と共にダガーは々に砕かれた。

左から獅子、右からグリフォンがサチの肩に牙を立てる。久しく忘れていた痛みに襲われ、サチはき聲をあげた。かない。いつの間にか鋭い爪で固定されているのだ。ダガーを砕いたドラゴンが大きな口を開けた。口腔から咽頭部まで見通せる。まるで、暗い暗い井戸の底のような……真っ逆さまに落ちる……

──これまでか……でも、どうして?……俺はサウルの生まれ変わり。もっと強いはずじゃ……

このキメラ(マリィ)をグラニエは簡単に倒そうとしていた。僕(しもべ)のグラニエより、自分が弱いということがサチには信じられない。魔力はサチのほうが強いし、グラニエは人間だ。サウルであるサチが力を與えたのである。

しかし、この疑問に答えを出す、あるいは牙がに刺さる直前、サチは抱きかかえられた。

逞しい腕はサチをかかえ、ゴロゴロと転がる。ドラゴンの炎を腕の主は、難なく跳ね返した。魔?……詠唱も何もしていない。放線の形をした淡い緑がサチを守った。

白い翼。捻れた角。長い黒髪が揺れる。守ってくれたのは、ザカリヤだった。

「バカめ。魔の気配くらい読めるだろうに。どうして避けて通らんのだ?」

ザカリヤはずっと気配を消して尾行していたのだ。心配して?──サチはむずさから、彼を見ることができなかった。

ザカリヤはサチを地面に置き、キメラへ向かっていく。サチを助ける時に斬ったのだろう。すでに獅子とグリフォンの首は転がっている。ザカリヤは瞬きする間にドラゴンの首を斬り落とした。すぐさま、刃をマリィの首へ……

「待った!!」

サチは飛び起き、走った。やはり、我ながら能力は高い。地面を蹴れば、風と同化する。ピューッと放たれた矢となって一直線。ザカリヤが困する一瞬の間にたどり著いた。

サチはザカリヤの腕をつかみ、牽制した。これはマリィからしたら、逃げるチャンスだ。すかさず空へ逃れてしまった。當然、ザカリヤは怒る。

「は? なんで邪魔する!? 逃げたじゃないか!?」

マリィ本を殘して全部首は斷ち切ったから、復活までに時間がかかるのだろう。これ以上の襲撃はなく、マリィは飛び去ってしまった。

サチはザカリヤに懇願した。「頼む、殺さないでくれ」と。

「あれはジャンの……俺の一番の家來の姉だ。元は人間なんだよ。百日城の地下に監されて、あんな姿に変えられてしまったんだ」

「百日城の……ってことはおまえ、やっぱり……」

サチは元から母の形見のブローチを取り出した。

ラピスラズリの青いが瞳に映ったとたん、ザカリヤの顔が変わる。ラピスラズリは桔梗の花。葉やは繊細な金細工だ。派手さや煌びやかさはない。とても丁寧に作り込まれたには素樸な優しさがある。ザカリヤの逞しいは荒々しく上下した。

「それは……俺があの方に差し上げた……」

「これはクラウディア様、俺の母の形見。もともと著ていた上側に留めてあったものだ」

見開いた薄茶の目、その片方からツツツ……と涙が一筋。頬を伝い、顎から離れるまえにザカリヤは口を開いた。

「見せてくれ……れてもいいか?」

サチはうなずき、ザカリヤにブローチを差し出した。こわごわと手をばすザカリヤの顔はこわばっている。ビクリ、指を引っ込めたのは冷気に拒絶されたと思ったのだろう。

け取ったあと、ザカリヤはまず優しくブローチの表面をでた。サチと最初に會ったころと同じ、慈に満ちた瞳へと変わる。ザカリヤの長い指がブローチを堪能する時間はとてもゆっくりで……そこだけ時間の流れが変わる。ザカリヤの立つ姿は神々しかった。

二人のの証であるブローチは長いこと本の中で眠っていた。し合う人たちが引き離されたことも知らず、持ち主が死んだことも、その息子が長したことも……子供たちの戯れの犠牲となり、踏まれて壊れてしまった彼はの図書室に隠され、何年も人目にれず、そのまま忘れ去られる運命だった。

最後にザカリヤはブローチをそおっと包み込むと、おしむように口づけした。

サチが一部始終、文句を言わずに眺めていたのは、所作も含めてザカリヤのすべてがしかったからだ。男、しかも同、しかも父親。サチに同の気はない。それでも見惚れてしまうほどであった。それこそ天使。天から使いが降りてきたら、こんなじなのだろうとサチは思った。

「で、ファルダード、おまえの正はエドアルド王子か? いや、年齢的にランドルか?」

「教えない」

「ふん。だいたい、わかるけどな」

「……あのさ、ザカリヤ。俺に戦い方を教えてくれないか? 強くなりたいんだ」

どうしてサチがこんなことを言ったのかというと、自分のあまりの非力さに嫌気が差したからである。マリィにてんで歯が立たなかった。力はあるはずなのに、それを生かせないでいる。

──もう誰も失いたくない

サチの視線はまっすぐにザカリヤの白いった。この世にいる誰よりも真摯に學びたいと思っている一途な気持ち。沈黙は淀んだ空気に沈んだ。

強い思いは屆いたのか。ザカリヤはしばらく腕組みしていたが、「いいだろう」と。

「ただし、俺の仕事を手伝ってもらう。いいな?」

サチはおとなしく首肯した。両肩の傷が今頃になってズキズキ痛むのはなぜだろう。獅子とグリフォンの牙にやられた所は、まだが出ている。

結局、サチはザカリヤに本當のことを明かせなかった。自分が彼の息子なのだということは。

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