《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》49話 娼館と診療所(サチ視點)
タイガの話ではこうだった。ザカリヤは元締めであるドゥルジに高額のみかじめ量を払っている。それに加え、ときどき姿を見せた時はあのように無料で接待するのだという。
「さっちゃん、そんなしかめっ面するなって。ここの世界じゃ當たり前のことだよ。さらに言えば、この店は魔國にしては健全な運営をしている。それを好んでやってくる客もいるけどよぉ、金額設定を高めにしてもコストと収益が見合ってない。プラス、高額なみかじめ量だ。そんなに儲かっちゃいねぇ」
「経営は大変なんですか?」
「大変というほどでもねぇけど、大赤字の診療所の補填もあるし……あ、この話は緒な」
唖然とするサチを前に、タイガは人差し指を立てた。
「患者はあとを絶たねぇのに、充分な醫療環境を整えられるだけの金が回収できねぇ。払えねぇ患者ばかりだからだ。ほとんど慈善事業だよな。でも、オレはいいと思ってる」
タイガのチャラい橫顔がし引き締まった気がした。この虎貓系獣人は軽薄そうな見た目と反し、仕事面に関しては至って真面目だ。サチは第一印象の悪イメージを払拭し、タイガを職場の先輩として認めるようになっていた。
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従業員の休憩室にて。業務終了後、サチはタイガからフィードバックをけていたのだった。そこでドゥルジの話題が出たのである。経営の実狀を知らされ、サチは喫驚した。まさか、診療所の赤字を娼館の収で補っていたとは。
午前三時の冷えた空気がサチの頬を打つ。世界はまるごと凍ってしまいそうなほど冷え切っていた。間もなく帰るので、暖爐の火を消しているせいもあるだろう。だが、それだけじゃない。
簡易な木製椅子にもたれるタイガは、チクル※をくちゃくちゃ噛みつつ、ガタンガタンと椅子を揺らしていた。サチは普段、こういう行儀の悪さにイラつくのだが、今はそんなことが気にもならなかった。
「甘いよな? 人間も亜人も殺し合ってんのに人助けなんてさ。さっちゃんは信じられねぇだろうけど、メグさんの診療所はこの魔國に必要なもんだ。なくてはならねぇもんだと俺は思ってる。あそこがなけりゃ、泣きながら死んでいく人がたくさんいるんだよ。死ぬのは自然淘汰だ?……いいや、ちがうね。圧倒的な弱強食は悲劇しか生まねぇのさ。それに抗うがあるんなら、使うのだって自然の流れだろ? じつはさ、オレも診療所の世話になったことがある。大ケガしてな。ここで働くようになったのはそういう縁だ。たちもそうだが、オレらみたいに行き場のない奴らをこの娼館はけれてくれる。そう、ここも診療所と同じだよ。ここがなけりゃ、みんな野垂れ死んでた」
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橫を向いて話していたタイガが不意に振り向いたので、サチは下を向いた。過去を聞くのはタブーだ。ここにいる人は皆、悲慘な過去を背負って流れ著いている。誰もがサチと同じなのだ。
サチはこれまで無意識に抱いていた差別を恥じた。職業として売春が正しくないという気持ちはまだ拭えない。しかし、両親を失った、捨てられた、あるいは逃げてきた娼婦たちに他の居場所は用意されていない。ここは彼たちを生かすために必要な場所であった。
「だからさ、さっちゃんも小難しいことは考えず、とりあえず仕事をこなしていけるように頑張ってみなよ。オレはバカだからよくわかんねぇけど、なんか納得できねぇことがあんだろ? でも、それは今あがいたってどうにかできる問題じゃねぇ。目の前の問題を片付けて、し落ち著いてから考えるんでもいいんじゃねぇの?」
ストレートなタイガの言葉をサチはコクンと呑み込んだ。何一つ間違ったことは言っていない。借りの薄っぺらい言葉でもない。正しく厚みのある言葉だ。
タイガは満足そうに笑みを浮かべ、サチの肩を叩いた。
「そうそう! さっちゃんはさ、ほんと素直だなぁ。そういうところだよ? ちゃんと人の言うことをけれるところ。わからなかったり納得できねぇことでも、いったん自分のなかにれて理解しようとする。これは長していくうえで大切なことだ。かたくなな奴はいつまで経っても長できねぇからよ」
「しは変わったんです。以前は人の考えや気持ちを推し量るということができなかった」
「うんうん。誰だってそういうところはあるぜ。特にさっちゃんみたいな優等生タイプはな、罠に陥りやすい。自分の考えが正しいと信じて疑わなかったりもするよな。もちろん、それも大切なことだけど、他の人の考えを拒絶するようになっちゃ、おしまいだ。気づけたってことは大きな進歩だと思うぜ?」
タイガに褒められて、サチは悪い気がしなかった。王子だったころ、言われた虛飾にまみれた譽め言葉とは大違いだ。なんの飾りもない正直な言葉は気持ちが良い。
──と、気が緩んだところで、突如訪れる気配。
近くに來る直前まで気配を消していたのだろう。扉の影からヌッと姿を現したのはザカリヤだった。
視覚で捉えられる報というのは、ときに曖昧だ。造形のせいでザカリヤが微を発していると錯覚することがある。実際には微ではなく魔人だから瘴気を発しているのだが。
こじんまりした作りの従業員部屋にはマーコールの角は大きすぎる。ドア枠につっかえないようをかがめ、ザカリヤは中へってきた。白い羽がふわふわ舞って落ちる。
「どうだ、タイガ? 俺のファルダードは? 役に立てそうか?」
「ファルダ……? ああ、さっちゃんのことか……まあまあっすね。あとは本人のやる気次第っす」
「ふむ。使いにならず、返品されると思っていたが……明日から毎日通わせる。おまえはちょっとぐらい休め」
「あざっす! さっちゃんも明日からがんばろうな? まずは時間超過客の対応からだ。思いきってやってみ? さっちゃんなら、できると思うぜ?」
サチはうなずき、タイガへ別れを告げると娼館をあとにした。ザカリヤはサチを迎えにきたのである。屋敷の隣だから、一人で帰れるというのに──
サチのことが心配だったのだろう。帰りながら、ザカリヤは娼館でのことをほり葉ほり聞いてきた。気になって仕様がないといった様子だ。例によって、その薄茶の瞳は慈に満ちていた。
──本當の父親みたいだ
こいつといると、せっかく前向きになれたのにまた居心地が悪くなる。サチは欠(あくび)をして、「ウザいからだまれ」と伝えた。ザカリヤはすぐ靜かになった。
翌日からサチは診療所と娼館を往復した。さっちゃんならできる──タイガの言うとおりになった。
恥やら恐れやら全部かなぐり捨て、サチは時間超過客を部屋から引きずり出した。平然と行為真っ最中の室に突する。武も必要ない。威嚇して嘲笑うようだったら、魔力を放出させた。タイガほど手荒な真似をしなくても、それで充分こと足りる。接客は苦手。だが、の子たちがフォローしてくれるので、なんとかなった。その代わり、彼たちのケアにサチは熱意を注いだ。愚癡を聞いたり、無茶を言う客から守ったり……。
厄介なのは客からのクレームだ。客が悪い場合は強気に出られるが、原因がの子側にある場合はひたすら謝るか、金で解決する道を選んだ。の子に無理強いはしたくなかったのだ。他に店の経理や人が足りない時は著付けを手伝ったり、ベッドメイキングもした。
ひと月も経たぬうちに、サチはこの環境にすんなり馴染んでしまったのである。
毎日、屋敷の家事全般をこなし、晝間は診療所の手伝い、夕方以降は午前三時まで娼館で働く。睡眠時間は二、三時間ほどか。早朝に目覚め、家族の一日分の食事(ザカリヤ、メグ、ザカリヤの人含める五人分)を作って出勤した。
目の回るような忙しさも、サチにとって苦ではなかった。忙しい間は現実から目を背けていられる。むしろ、期を除いて今まで生きてきたなかで一番充実しているかもしれない。學生時代は過酷な労働といじめ被害、ローズ仕時代も忙しいだけでたいして楽しくもなかった。一番マシな騎士団時代は人間関係で嫌なことがあったし……
はっきり言って、娼館の仕事自は楽しくない。だが、職場の仲間に恵まれていた。先輩のタイガは無作法なところがあってもいい奴で、ウサちゃんやの子たちは「かわいい、かわいい」とサチに構ってくる。大勢のにちやほやされて悪い気はしないものだ。
診療所に行けば大好きなメグがいる。看護士の仕事は勉強にもなる。何を置いても、やりがいのある仕事だ。そして、帰宅後はまた想い人メグとの家族時間が待っている。サチは幸せだった。
※チクル……ガム
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