《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》50話 喧嘩(サチ視點)
黒き安息日、魔國の休日にて。サチは大好きなメグから説教を食らうことになった。朝食後、片付けはいいからそこに座ったままでいなさいと命じられたのである。いつもはニコニコ優しいメグが険しい顔をしていたので、サチは気を引き締めた。
「サチ、昨日は何時に寢たの?」
「四時くらいです」
「……で、起きたのは何時?」
「翌日が休日なので、七時ですね。今日は作りたての夕飯が食べられますよ」
「そんなことはどうでもいいの! 君、寢なさすぎよ? 毎日、ほとんど寢てないでしょうが!」
「大丈夫ですよー。たいして寢なくても平気な質なんです」
「大丈夫じゃない。せめて、一日六時間は寢ないと」
「そんな……寢過ぎですって。メグさんだって、人のことを言えるんですか?」
この発言はよろしくなかったようだ。メグは眼鏡のつるを押し上げ、目を細めた。
「あっ、君……そういうこと言うんだ? 生意気だなぁ。あいにく、六時間は寢るようにしてるよ。君よりはまし」
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「ごめんなさい……」
メグを怒らせたのは初めてだ。相手が好きな人だから、自己主張より「嫌われたくない」という気持ちが先に來る。他の人だったら、サチは自分を押し通していただろう。
髪とおそろいの桃の瞳がサチに固定される。澄んだ瞳に心のを見かされそうで怖い。メグは聲のトーンを落とした。
「いい? 娼館へ出勤するのは週三日にしなさい。で、そっちに顔出す日は診療所を休んでいいから……ザカリヤもいいよね?」
ザカリヤはうなずいた。ザカリヤは食事の席に必ず同席している。人がそばにいる時もあれば、一人の時もあった。今朝は一人。サチの作った食事は何も言わずに食べる。
「じゃ、娼館に行かない日は家のことをやります……」
「おい! 君、人の話聞いてた? それじゃ本末転倒でしょうが。働かず、ちゃんと休みなさいよ!」
「う……」
サチは言い返せずにメグの渦巻狀の角を眺めた。本當にはなんともないのだ。働いていたほうが、グリンデルのことや死んだかもしれぬ仲間のことを考えなくていいから気が楽だというのに。だが、今のサチにとって、すべてと言っても過言ではない想い人が怒っている。従うという選択肢しか殘されていなかった。
そんな迫した空気をともしない者が一人。ザカリヤ……
「まあ、メグ。そう、プリプリすんなって。グランディスも俺が子守歌でも歌ってやれば、おとなしく寢るんじゃないのか?」
こんな訳のわからぬことを言ってくる。相も変わらず、サチを子犬か何かだと思っているのだ。こいつに対して遠慮する必要はまったくなし。
「うるさい。毎日ブラブラしているゴミ人間は黙ってな。口を挾むんじゃない」
「サチ、まえから思ってたんだけど、ザカリヤにそういう口の聞き方はないんじゃない? 何に腹を立ててそうなってるのか知らないけど、思うところがあるならはっきり言えばいいでしょ?」
サチが行き場のない憤りをザカリヤにぶつけたところ、メグに咎められた。まさか、メグがザカリヤの肩を持つとは……。
──メグさん、こいつは俺の仲間を死に追いやったかもしれないクズなんです。闇の仕事を請け負って金銭を得ているゴミ人間なんですよ。しかも自分では働かず、たちを働かせている
サチは心の中で訴え、一直線にってくるメグの清らかな瞳をにらんだ。
メグはたじろいだ──ということは、ザカリヤの生活態度に彼も思うところがあるのだ。彼は何も知らないわけじゃない。知っていてザカリヤをけれている。
この事実にサチは幻滅した。彼には正しくいてほしかった。いつでもを張っていてほしかった。勝手に幻想を抱いて、勝手に幻滅しているのだから世話がない。
──そもそもザカリヤとメグさんの関係って……
到達したくない結論へ至るまえにサチは毒を吐くことにした。
「よそ者のくせに偉そうな態度をとってすみませんでした。もう、口をつぐみますね。居候の俺には申す権利なんてないんですから」
「……嫌な言い方……君ってほんと、どこまでひねくれてるの? 嫌なことがあれば、言えばいいじゃない? どうして、そういう言い方するかなぁ」
「じゃあ、言います。俺と俺のは、そこにいるぐうたら魔人の家來に殺されそうになりました。実の兄と友達と家臣の安否はいまだわかりません。彼らが死んでたら、俺はここを出て行きますよ。仇と仲良くできるほど頭おかしくないんで。メグさんもこいつの肩を持つんなら同類です。俺が大ケガして死にそうになったのだって、元を正せばこいつの家來のせいだし。助けていただいたことには謝するけど、あれやこれや口出しされる筋合いはないと思います」
一気にまくし立て、サチは食を持って立ち上がった。
顔が熱い。思っていたことを吐き出せばスッキリする?……いいや、そんなことは全然ない。彼の顔も見ず、すぐにでもここから去ってしまいたかった。
食を洗い場に置き、サチは玄関まで早歩きした。い焦がれている人に対して本當の自分をさらけ出し、啖呵を切るという行為をとうとうやってしまった。今までは貓を被っていた。従順で折り目正しく謙虛、ひたむきなのは偽り。実際はとても気が強く自尊心高く、負けず嫌い、傲慢、意地悪。彼に好かれたい、よく思われたいからそんな醜い自分を覆い隠していた。
サチは何も告げずに屋敷を飛び出した。嫌われた、戻りたくない……こんな稚な考えから、あてもなく荒れ地を歩き続ける。ザカリヤの屋敷を出たところで、行く場所なんてないというのに。
──そうだ、クロチャンとかいう魔人が襲ってきた場所に戻ってみるのもいいかも
しかし、あれから何ヵ月か経っている。手がかりらしきはもう殘っていないだろう。すでにユゼフが現場を見ているだろうし……。
偉そうなことを言って別れ、仲間も守れず慘めに逃げてきた。ユゼフには合わせる顔がない。サチは思い直し、國境のほうへ行くのをやめた。
──エド、ジャン、イザベラ、イアンの安否を知るには、やはり襲ってきた當人に聞くしかないだろう。クロチャンはどこかに隠れているが、ほとぼりが冷めればザカリヤの前に姿を現すはず……となると、やはりザカリヤのもとを離れるわけにはいかないか
クロチャンの標的はサチだった。サチだけを襲って、仲間には手を出さず場を離れた可能もある。
あの時、上空から魔力を帯びた黒い鏃が大量に落ちてきて、サチはとっさにイザベラをかばった。その後、満創痍のところをクロチャンと思われるの化けに襲われたので、抵抗できず意識を失ってしまったのだ。
──落下から守ってイザベラは無傷だし、ジャンは魔法壁で防げるだろう。イアンはし離れた所にいたから……問題はエドだな。無事だといいのだが……
もし、皆……皆でなくても何人か無事だったら、サチを探しているかもしれない。
──合わせる顔がないとはいえ、一度ユゼフの所に戻るべきだろうか。
こんなふうに悶々と思い悩みながら、國境方面へ進んだり戻ったりしていたため、サチは見られていることに気づかなかった。
キラキラした二個の琥珀がジッとこちらを見つめていた。視線に気づいたのはかなり近づかれてからだ。食植の影に隠れつつ、琥珀の主は移していたようだった。気づいた時には、すぐ橫でサチの顔をのぞきこんでいたのである。
「わっ!!」
「ダリウス、油斷してたな? まったく気づかんのだから」
真っ白な翼。マーコールの角。はだけたローブからのぞく筋は完璧だ。彫像にするのが惜しいぐらいの。二個の琥珀がいたずらっぽく笑う。
ザカリヤだった。
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