《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》54話 殺さない作戦(サチ視點)

國境が見える所まで著いた。

グリンデル側は森だから暗い。魔國とはどことなく調がちがった。くすんでいる魔國に対し、人間たちの住む世界は闇も澄んでいる。

サチの案を一通り聞いたザカリヤは、石像のように表をこわばらせた。戦いに強くても、頭を使うのは苦手らしい。その點はイアンと同じである。ずる賢いアスターなら即座に答えを出すだろうが、純粋な點は多が持てる。

「ファルダード、止まれ」

そう言って、止まった顔は憔悴しきっていた。

──しは頭を使え。馬鹿をしてきた結果がこれなんだからな?

サチは思う。ガチャリ……肩に擔いでいた甲冑りの袋を下ろした。

「じゃ、聞かせてくれ。ザカリヤ、あんたがどうするつもりなのかを」

「……うむ。まだ決められないでいるのだ。おまえの言う方法は危険過ぎる」

「しかし、俺は引く気がないぞ?」

優位は逆転した。立場上、サチはザカリヤに生かされている狀態でも心は自由だ。の高さで愚かな主人を圧倒したのである。サチは瞬きせず、ザカリヤへ視線を當てる。ザカリヤは下を向いた。

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「もし……グリンデル王家におまえの存在が知られたら……」

「ただじゃ置かないだろうな」

「やっぱり、危険は避けるべきだ。理に葉った方法だとしても」

「あのな、ザカリヤ。俺は誇りを捨てるぐらいなら、死んだっていいと思ってる。今までずっとそうやって生きてきた。何度も死にかけて殺されかかったけど、それでも生きてる。矜持を捨てたら、俺にとっては死と同義なんだよ」

「それはわかる。わかるが……でも……でも、俺はおまえを死なせたくないのだ」

落ちてきた純然たる言葉があまりにも衝撃的で、サチは言葉を失った。今度はサチがうろたえる番だ。時、思考まで止まる。目で追うのは、突っ立つザカリヤの造形のみである。

翼は清らかな白。伏せた長い睫が震える。的なは儚い、アネモネを連想させる。寸分の歪みもないまっすぐな鼻梁。不潔なはずの黒髪まで艶めいて見えてしまう。圧倒的なは罪だ。

同じことをが言われたら、ひとたまりもないだろう。母もそうだったに違いない──そんな考えが脳裏をよぎり、し怒りが湧いてきたことでサチは冷靜になれた。

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「ザカリヤ、あんたがそう思うんなら、俺に従うべきだよ。選択肢は一つしかない」

サチは冷たく言い放った。この一言でザカリヤはやっと吹っ切れたようだ。顔を上げ、サチをキッと見據える。

「わかった。だが、絶対に死なせはしないからな?」

細い線が太くなる。儚いから強固なへと変わる。わかりやすい。こういうのは悪くない。サチは自然と笑んでしまった。

サチが立てた計畫というのはこう──

アフラム自は危険な魔國へはらず、奴隷の輸送を家臣にさせている。まず、自城であぐらをかいているアフラムを魔國までき出すのだ。ここまでは、ザカリヤの計畫とかぶる。

「アフラムを呼び出す口実は……そうだな……奴隷輸送隊を丸ごと人質にしてしまおう。で、グリンデルの衛兵隊長の名前で文を送って呼び出す。アフラムは弁明のため、赴かずにはいられないはずだ」

「おい、大事なことを忘れてるぞ? 文の偽造はどうするつもりだ? 封蝋に押す印章はどうする?」

「知ってるぞ、ザカリヤ。あんたの部屋を掃除してる時に見たんだ。さすがは闇稼業を営むだけあるな? たくさんの偽造印を持ってるだろう?」

「恐れった。抜け目ない奴め。じゃ、使い魔にそれを取りに行かせる」

ザカリヤがれられなかったのは、そのあとだった。

「依頼人にはナスターシャ王宛ての文を書いてもらう。衛兵隊でも騎士団でもいいから寄越せとな。アフラムを現場で引き渡す」

「問題はアフラムを渡す時だ。追放された俺はともかく、ファルダード、逃げてきたおまえは気づかれたらまずいだろう? 顔見知りがいたら? 仮面で顔を隠そうが、聲や格でわかってしまう」

「そうだな。髪でも染めてみるか?」

「……たしか、髪染めの魔法薬が殘っていたかもしれぬ。わかった。それも、取りに行かせよう」

だいたい話がまとまったところで、ザカリヤはこの提案を文に書き、依頼主のもとへ鳥を飛ばした。

殺人依頼から標的の罪を暴き、お上(かみ)へ引き渡すという容に置き変えるわけだから、れてもらえるかは依頼主次第だ。謝禮金も変わるかもしれない。

待っている間、ザカリヤはドワーフを呼び寄せ、天幕を設営させた。どうやら、ザカリヤは屋敷に帰るつもりがないらしい。しばらく留守にすると、メグへも文を書いた。

首に吊していた小笛をザカリヤがピロピロ吹くと、ドワーフがわらわら集まってくる。小人族のドワーフはサチの腰くらいの長だ。使役しているのではなく家來だそう。ずんぐりむっくりした彼らは力仕事もできるし、繊細な技も持っている。頑丈なと優れた頭脳を併(あわ)せ持つ有能な仲間である。

ズンズンズンドコ……

ドワーフたちは一人に太鼓を叩かせ、大音聲の低音で歌いながら作業した。その様子は仕事をしていると言うより、遊んでいるように見える。サチたちはドワーフが連れてきたく切り株に腰掛け、のんびり見守った。

「ファルダード、おまえ、主國の騎士団にいたそうだが、ダニエル・ヴァルタンに會ったことはあるか?」

「いいや。いた時期が被ってない。遠くからお見かけしたことならあるけどな。俺なんかがしゃべれる相手ではないさ」

弟と友達という話は黙っておく。ほり葉ほり聞かれては困る。

「じゃ、ダリアン・アスターは?」

「アスターは上だよ。うーん……世間で言われてるようなイメージはだいぶ化されてるなぁ。神的な武人というよりか策士だな、あれは」

「へぇー……いつか機會があれば、手合わせしたいと思っていたんだ。ダニエル・ヴァルタンは亡くなってしまったが」

「しかし、アスターさんはただの人間だぞ?」

「わかってる。だから、もし手合わせすることになったら、魔力を封じるつもりだ。能力も人間の狀態に戻して、純粋に剣技だけで戦ってみたい」

目をキラキラさせて話すザカリヤは年と変わらない。サチは気抜けしてしまって、聞かれるままに答えた。常時、自分を無視していたサチが気前よく答えるものだから、ザカリヤは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。人間界の話に興味津々なのだろう。

──英雄対決か……見てみたい気もするが。さすがのアスターさんも、このザカリヤを前に煽ることはできないのではないか?

英雄との対面を夢見て心躍らせるザカリヤに対し、サチは思った。目の前の大きな年は噂に違わず、いや噂以上の丈夫だ。

──いや、アスターさんなら煽るな。間違いなく……

煽るとしたら、見た目や経歴は馬鹿にできないだろうから、やはり関係?

──いくらなんでも、亡くなっている母の悪口は言わないとしても……ザカリヤを怒らせる可能大だな

アスターに挑発されて、怒らなかったのは兄のエドアルド(クリープ)だけだ。

サチの心配など知りもせず、ザカリヤはアスターの剣ラヴァーのことを聞いてきた。噂通りの巨剣を軽く振り回すのか?、抜刀だけで相手を圧倒するのは本當かと。

「ああ、本當だ。ザカリヤも大きいけど、あの人はメガロス(巨大猿)みたいな型だからな。抜刀だけでっていうのもわかる。よっぽど腕に自信ない限り、普通の人間は及び腰になる。それほどの迫力だ。あの人の場合、自分を大きく見せるのがとにかく巧(うま)いんだよな。言や態度で自分を演出するんだ。強くて格好いい虛構の英雄像を作り上げる。これはな、無意識ではなく、全部計算してやってるんだよ。あの人の凄いところはそこだ」

「元上なのに、ひどい言いようだな? イジメられたりしたのか?」

「ん? そんなにひどいこと言ったか? 俺は褒めてるんだよ、アスターさんのことは。稀有な人だよ。悪人か善人かで言えば、悪人だけど。あそこまで自分を貫けるのはなかなかいない……イジメ? 周りから、そういうふうに取られることはあったかもな。見た目が怖いうえに、何かにつけて罵倒してくるクソ親父だからな」

穏やかに話している間、天幕の設営は終わった。簡易ベッド、歯ブラシ、剃刀、石鹸……中には必要な生活用品まで完備されている。ドワーフの手際良さには舌を巻いた。

ドワーフたちが去るまえに、ザカリヤはサチのチンクエディアを屆けたのが誰か尋ねた。むくじゃらの手で頭を掻きながら、ドワーフの族長はすぐに思い出してくれた。

「確かクロチャンが従えてるゴブリンの一黨だったか。だいたいの居場所ならわかるので教ぇますが……旦那、ゴブリンのなかでも特に臆病でおとなしい連中だから、見つけるのは困難ですぜ?」

「おお、すまぬな……これでクロチャンの捜索にが見えてきたぞ。ファルダード、よかったな!」

ザカリヤに肩を叩かれ、サチはごくごく自然に笑顔でうなずいてしまった。自分でも気づかないうちに打ち解けている。

──いやいやいやいや……こいつのせいで、クロチャンの行方を追っているのだからな? 仲良くするのはおかしいだろ。

でも本當は……変な名前で呼ばれるのも、慈に満ちた瞳も、馴れ馴れしいのも嫌じゃない。もし、実の父親じゃなかったら、許していたのだろうかとサチは思った。

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