《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》55話 サチとザカリヤの変裝(サチ視點)
依頼主の答えは「諾」だった。
早速、サチとザカリヤは奴隷輸送隊を確保する準備にる。ザカリヤが事前に彼らの道程を調べていたので、準備といってもささやかなものだ。
サチは髪を、染する。ザカリヤに手伝ってもらい、薬剤を髪に塗り、しばらく置いてから洗い流した。そして、ザカリヤの準備は──
ザカリヤがギュッと全に力をれると、マーコールの角と白い翼がへ吸い込まれていく。跡形もなく、そこにあったことさえ忘れるほど綺麗に消えてしまった。人間、騎士であったころのザカリヤに戻ったのである。
凝視するサチの前で、ザカリヤは悠々と武庫から持ってきた甲冑をに付け始めた(なんたることか! サチが持とうか持つまいか、悩んでいた荷はザカリヤのだったのである)。
「すごいな! 人間にも化けられるのか!」
「なにを驚くことがある? おまえだって、人間に化けてるじゃないか?」
言い返され、サチはなんとも言えぬ気持ちになった。
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──そういや、俺の本來の姿ってどういうんだろ? 娼館で働く時のかわいい獣耳程度ならいいんだけど……
人とかけ離れたおぞましい化けに変わってしまったら最悪だ。瘴気の影響で変異がいつ現れてもおかしくないことを考えれば、不安で堪らなくなる。
それにしても、人間狀態のザカリヤの男子ぶりである。魔人の姿の時は神懸かり的だったのが、人となったことでピュアなしさに変わる。目を見張るものがあった。
どこかで盜んだであろう、紋も消してある甲冑。それを著て、王國騎士団を名乗っても全然違和のない仕上がりなのだ。これで、グリンデル王國騎士団の団長を務め、王城を歩いていたのかと思うと──たちが大絶、失神しまくるのは當然。あまりにも違いすぎて、男たちからは妬まれる対象にすらならないだろう。サチが知っているモテ男、イアン、シーマの比ではない。
──う、うらやましい……見た目だけじゃなくて、実績もあるんだよな。俺も、見た目や能力をこいつからもっとけ継いでいれば……婚約二度も破談になるような(三度目もほぼ確実)みじめな思いをせずに済んだかもしれない
ちなみに上等な黒狐のマントに鉄靴を履いたサチは、どこからどう見てもザカリヤのお小姓だろう。
「この変裝はな、二、三日持つのだ。すごいだろう……む? どうしたグランディス? 憂鬱そうな顔だな?」
「うるさい。あんたに俺の気持ちはわからない。絶対に、だ」
「ようわからんが……おまえの髪もだいぶ変わったぞ? 乾いてきたから、鏡で見てみるといい……あっ、目のも変えてみよう」
薬剤を洗い流したあと、乾かした髪がどのようになっているか、まだ確認していなかった。サチは渡された手鏡を恐る恐る覗き込んだ──
「……は!?」
鏡の中にはニーケがいた。
──顔立ちは違うけど、雰囲気が……ニーケとは繋がってないはずなのになぜ……そういや、ニーケだけ百日城に置いてきてしまったが、どうしてるかな? ミリアム太后も心配だろうに
目のをブルーにすると、いっそう似てくる。ニーケの影武者ならできそうだ。別に嫌でもないが、もうし大人びたじになれると思っていたので、サチはがっかりした。
ザカリヤはサチの変裝が気にったらしい。
「イメージより髪の赤味が強いな。でも、良いだ。これで店や診療所に立つのもいいんじゃないか? おまえだって気づかれない」
「そうだな。これに獣耳を付ければ、ウサちゃんが喜びそうだ」
無事変裝を終え、天幕を畳み、あとは待つだけとなった。そう、天幕を張った場所がちょうど彼らの通り道だ。
灰の雲。灰の空気。灰の大地。瘴気にやられた不な大地を乾いた風が流れていく。食する者のいない針金のごとき雑草が、なんのために生きているのか不思議だ。荒涼とした風景は寂寞を募らせる。
待っている間、あれやこれや聞かれるのも嫌なので、サチは自分から質問することにした。
「魔人って、やっぱり人を食べないと生きていけないのか?」
「いーや。そもそも俺らは食べなくても死なんぞ? 飢はあるがな」
「そうなのか!? でも、人食わないと、醜い化けの姿になったりとか……」
「そんなわけあるか。どこから聞いたのだ、その謎報は? そりゃ、大ケガして消耗した時は食わないと死ぬかもしれんが……」
「俺が半分なくした時、を與えられていただろう? あのって、もしかして……?」
「あれは新鮮な魔獣のだ。まあ、人とか魔人のを食ったほうが回復は早いだろうがな。俺たちは“業(ごう)”を食らう化けだ。知能の低いより、高いのほうが業は深いから回復する。それとな、死んだっていうのは気が抜けてる。だから、生きたまま食ったほうがいい」
「じゃ、人食わなくても生きていける? 力もそのままで?」
「ああ。生きたを食えば、一時的に強くなるが、別に現狀維持なら問題ない」
サチは心から安堵した。殺人を繰り返さなくても、普通に人間として生きていける。これは喜ばしいことだ。
「でも、世間で魔人は人間を食らうイメージだろう? 食わないで済むのに、どうして殺戮をするんだ?」
「難しい質問だな。それは本人たちじゃないと正確なことはわからん。ただ一つ言えるのは、の味というのは魅的だし、中毒がある。それが力と直結するとなればなおさら。人間でも殺人を繰り返したり、嗜を楽しむ奴らがいるだろう。それと同じだ。魔人の場合、食うと一時的でも“力”という形でわかりやすく與えられる。だから、人間より闇にはまりやすい」
「なるほどな」
サチやユゼフが人間として真っ當に生活できているのは、なんら不思議なことではなかったのだ。ザカリヤもそう。むしろ、食人する魔人たちが異常なのであって、サチたちはまともなのである。
──俺たちは力を持ってるだけで、他の亜人と変わらないじゃないか。いや、人間と同じだ
ザカリヤにサチの心の聲は聞こえていないはずだが……
「しかし、力を持つ者が理を保つのは難しいことなのかもしれん。たいていは力に酔いしれる。驕(おご)らずにいられる者はどれだけいるのだろうか……」
こんな言葉が落ちてきた。ザカリヤの顔は至って真面目だ。引き締まった顔を見ていると、なぜこの人が英雄として讃えられるのか、サチにもなんとなくわかる気がする。
「神が力を與える者を選別されるのは當然のこと。弱い心では力に食われてしまう。力を得た者はその力を持って、弱きを導かねばならぬ。常に己を監視し、己と戦い、己を律し、己を戒め、己を憎み、己を殺す……それができぬ者に力を得る資格はない」
ザカリヤの言葉は真実である。淀まぬ瞳が語っている。澄んだ聲が心を紡ぐ。サチの視線にたじろがぬこの人は本だ。見た目や演出で得た名聲ではない。強さを手にれるため、の滲むような努力もしているはず。世間で言われるとおり本の──にこみ上げてくるを抑えられなくなり、サチは口を開いた。
「あのさ、ザカリヤ……俺、本當は……」
だが、おしゃべりはここまで。人間たちの気配が近づいてきた。匂いは魔獣ので消しているのだろう。流れてくるのは死の悪臭だ。アンデッドの群れと思い、魔國の住人は無視する。
考えたものだな、とサチは思う。だが、よーく気配を読めばわかる。蟻のごとき弱々しい気、てんでばらばらで統一のない烏合の衆、良い匂いがしなければ、取るに足らぬ生命の集まり。
「さあ、鬼共を捕らえるぞ」
墮ちた英雄、ザカリヤの言葉にサチはうなずき下を舐める。これから危険極まりないハンティングを開始するというのに高揚する。獣の本能がそうさせるのか、ワクワクしてしまう。ザカリヤもサチと同じなのだろう。顔を見ればわかる。似た者親子だ。
この數日で親子の距離は急速にまった。ザカリヤがどこか憎めないのはイアンと似ている。
サチとザカリヤは仮面を被った。
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