《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》60話 塗られた城へ(サチ視點)

地下に下りたサチは迷わなかった。下水道までは詳しく調べてなかったが、なんとなくわかる。下水は城から城下へ。城下から海へ流れる。ということは、上っていけばいいだけだ。

サチは黙々と暗くて臭い道を進んだ。

──今頃、ザカリヤは俺がいないことに気づいただろうか

勝手なことをして、と怒っているかもしれない。ひとまず、家に帰ったか確認するだろう。そして、いないことに気づき、森に戻る。森にもいなかったら……

──いくらなんでも、城の中までは探しにこないだろう。いや……

サチはするクラウディア様の息子。死なすわけにはいかない──ザカリヤはそう思い、探しにくる。

あんな姿を見たあとで、ザカリヤと対面するのはキツかった。それに勝手な行を怒ってくるだろう。怒られて素直に謝れる自信がサチにはなかった。

──そりゃあ、今回は俺が悪い。でも、平然と手を汚せるあんたに従いたくはなかった。それにな、ジャンやエドたちの安否がわからないのはあんたのせいなんだ。落ちぶれてしまったあんたを認めたくないっていうのもある。

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言い訳じみた正論を何度も心のなかで繰り返すのにも、嫌気が差してくる。たぶん、これは自分の本心ではない。だから、いっそうイラつくのだ。サチは心を無にした。

響く足音はほんのわずかだ。呼吸音も出さず、飛ぶように走る。人間たちは、目の前にサチが現れるまで知できないだろう。當然だが、誰とも遭遇せず城り込めた。

百日城は夜會の真っ最中だった。

華やかな音楽が気な地下にまで流れてくる。下水道からサチは城の地下道にった。地下道は牢獄へつながっている。牢獄があるのは半地下だ。天井は地面上にあり窓もある。地下は地下でも人の出りが激しく、換気しやすいようになっていた。

罪が未確定だったり、一時的に拘束する場合の留置施設は城門近く、南側にある。コンパスがなくても、サチには東西南北がわかった。

口笛を吹きつつ、トーチが據えられてある明るい通路も歩く。慌ただしく通り過ぎる使用人や、衛兵に怪しまれることはなかった。

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サチがまとっている上質な黒狐のマントは、ザカリヤから與えられたものだ。鉄靴も磨いてあるし、今は金髪碧眼。ちょうど、夜會もやっている。見た目はお呼ばれされた貴族の従僕といったところか。しかし、牢のり口の所で衛兵に聲をかけられた。

「道に迷われましたか? よろしければ、ご案いたしますが?」

「いいえ、結構。牢にエルフがいると聞いて見しに來たのです」

「エルフですと? アフラム様が無斷で輸送されていたエルフでしたら、今、城門前で殺処分されているところですが……」

「なんだと!?」

「かわいそうに……こんなことを言ったらあれですけど。子供だろうが、容赦なしに首を刎(は)ねてるって……門の脇に首を積み重ね、飾っているって話です」

「そんな……そんな……それじゃ、俺はなんのために……」

「亜人だから王陛下は早速処分しろと。こんなことなら、奴隷として売られたほうがよかったでしょうに……アフラム様は一時的に拘束された後、金で解決されることになり、すぐ釈放されました。奴隷の返卻も求めたそうですが、王陛下がお認めにならず、アフラム様への制裁も兼ねて処分することになったようです……どうされました? あの、もし……大丈夫ですか??……」

アフラムを斷罪したあと、不要となった奴隷たちをすぐさま処刑するとは誰が思うだろう。いや、見通しが甘かった。悪魔の懐にった子羊は生殺與奪の権を握られている。いつどのように奪われても、おかしくない狀況だったのだ。

悪人でも殺したくないという俺のエゴのせいでエルフたちは──

目の前が真っ暗になり、サチの意識は途切れた。

†† †† ††

サチが目覚めたのは普通の部屋だった。ベッドがあり、小さなチェストと文機がある。窓は一つ。どことなく見覚えがある。いや、ここはよく知っている自分の部屋だ。悪夢から解放されたサチはで下ろした。

──夢か。とっても悪い夢を見ていた。俺が王子だとか、有り得ない話だ。ここはローズ城の兵舎。警邏の時間だから、もう起きなくては。

ローズ城の兵舎にある自分の部屋で起きた──とサチは思ったのである。しかし、聞き覚えのある聲がサチを現実に引き戻した。

「気づきやがったか? まったく、驚いたぜ。なんだって、おめぇみたいな亜人野郎がこんな城にいるんだよ?」

聲はベッドの脇から。思いがけない人がサチの顔をのぞき込んでいた。兵士らしい角刈りにキツい目つき。無髭は剃っている。

「スヴェン!」

スヴェンは右手にはめ込まれた義手を見せ、ニヤリ笑った。

そう、スヴェン。ひと月前、メグの診療所にいたワガママで手に負えない患者。國境警備隊に所屬していたが、魔獣に襲われ右手を失っている。こいつはヘリオーティスだ。

「どっかで見たことある奴が同僚と話してるもんだから、観察してたら、急にぶっ倒れたじゃねぇか?……よくよく見たらサチ、おめぇだったから、同僚にはうまくごまかしてオレの部屋に連れてきたってわけよ」

なんてことだ。ここはローズ城の兵舎じゃない。サチはイアンの家來ではなく、グリンデルの王子。墮ちた英雄ザカリヤの息子……そして、ここはグリンデルの百日城の兵舎か? 目の前にいるのは暴言を吐き続け暴れる迷患者、ヘリオーティスのクズ人間。サチの大嫌いなスヴェン。ここはスヴェンの部屋だ。

「ありが……」

「禮はいらねぇ。ただし、貸し借りはこれでもうなしな? おめぇ、目のを変えただろ? たぶん、薬が合わなかったんだろうなぁ。それで倒れたんだ。魔法薬ってのは毒素が強ぇからな。オレのダチでも、死んだ奴がいる」

兵舎に部屋があるということは、スヴェンは衛兵として百日城に勤務しているようだった。國境警備隊に復職するのは無理だったとしても、衛兵隊にれたのである。義手の調子も良さそうだ。

いやに優しいところをみると、破談だと言っていた婚約者ともうまくいっているのかもしれない。左手にキラリとる指が見えた。

「スヴェン、エルフは? エルフたちはどうなった?」

「サチ、しばらくこの部屋で休んでいきな。んで、そのあとはオレが違和ねぇように逃がしてやっからよ。この城はおめぇがっていい場所じゃねぇ」

スヴェンは答えてくれなかった。口調がぞんざいなのは相変わらずだ。以前とちがうのは哀れみの浮かぶ瞳である。

サチは憤った。以前は二人とも行き場のない野良犬だった。だが、今のスヴェンは満たされている。サチは一人ぼっちだというのに。

「哀れみは不要だ。俺は汚れた亜人だし、獄吏に突き出したかったら好きにするがいい」

「バカ言うんじゃねぇ。オレだって、おめぇが知らねぇ亜人だったら助けねぇさ。サチ、おめぇだから助けんだよ」

「なんでだ?」

「さあな。よくわかんねぇけど、おめぇが死のうとしてた俺を助けやがったからだ。これはその時の仕返しだよ」

「ふざけるな!」

「ふざけてねぇよ。いいか? この城にった亜人はまず、間違いなく殺される。エルフ? とうに殺されたよ。おめぇが気絶してから二時間も経ってんだ。あきらめるんだな。おめぇもこのままいたら、危ういだろうが。見た目は人間でも亜人なんだろ? 不審者は厳しく取り締まられる。人の心配なんかしてる場合じゃねぇ」

サチはバネで弾かれたみたいに跳ね起きた。そうだ、エルフたちを助けなくては──

「おい、サチ! 行くんじゃねぇよ! ムダだ!」

スヴェンの手を払いのけ、サチは部屋を飛び出した。

──たしか城門。城門の前で……って言っていた

サチは城門目指して無我夢中に走った。考えなんかない。無辜(むこ)の人々をただ助けたかった。

スヴェンが助けてくれたのは意外だった。別れる最後まで憎まれ口を叩いていたし、サチとの共通點は慘(みじ)めな境遇ということだけだ。その慘めな境遇からしたため、サチを哀れんだんだろうが、不快なだけである。

──そんな上から目線はいらねぇんだよ

哀れみというのは、一種の神攻撃だ。外からの刺激で自分が「可哀想」だということを認識してしまう。言うなれば、喪失と屈辱のダブルパンチである。卑屈になっているところ、かつて同じ汚泥の中で浮き沈みしていた奴が手を差しべてくるのだから。しかも、澄んだ綺麗な目をして。

──スヴェンの奴、こんな形で仕返ししやがるとは。死にたいんだったら、死なせてやればよかった

サチは自殺しようとしていたスヴェンを助けたのだった。その時、スヴェンは謝するどころか、サチを罵ったのだ。

──ああ、こんなの俺らしくない。どうして人の優しさを素直にれられないんだ

スヴェンが助けてくれたのは、純粋な気持ちからだろう。は悪い奴じゃない。そんなことはサチにもわかっていた。

あいにく、考える速度より走る速度のほうが早い。を切る自己分析が始まるまえにサチは著いた。

城門周りは騒然としていた。著くまえから忙しなく行き來する人で通路が混み合っていたので、サチの焦燥はピークに達した。

生臭さと汗の匂いが鼻をつく。人だかりに遮られ、何が起こっているか見えない。金額を怒鳴る男たちの猛々しい聲が耳腔を刺激する。

「いったい、なにを?」

「競りだよ。新鮮なエルフの肝は萬病に効くし、若返ると言われているからな。かなりの高額で取引されている」

サチのつぶやきに、近くにいた見人の一人が答えた。

──競(・)り(・)だと!?

人が切れ、チラッと吊してある皮が見えた。赤く縁取られたらかな皮はのものではない。亜人のものだ。

クラクラ目眩がしてきて、サチは倒れそうになった。それでも、人込みを掻き分け前へ進む。腹からせり上がってくる胃を何度か飲み込み、サチは棒のようになった足をかした。全の筋覚が失われていく。脳は停止し、心だけでサチはいていた。

自分でもなんで進んでいるかわからなかった。恐怖やら悲しみやら怒りはすべて絶に飲み込まれる。

人波が途切れた時、そこに広がっていたのは凄慘な景だった。

松明が轟々と燃えるなか、妖しい熱気に包まれ、人々の脂ぎった顔が照らし出される。

城門前。生首が二つの山に分けられ、積まれてあった。彼らが囲う中央には、可式のハンガーにぶら下がった皮や、臓腑が並ぶ。設置された幾つかの臺の上で、まみれになった獄吏がエルフを解していた。かつては娘、かつては年だった者たちを──家畜と同じように皮を剝ぎ、切り分けていく。切り分けた部位はその場で競りにかけられた。

唾を飛ばしながら、競り合うのは夜會に參加していた貴族たちか。誰もが目をギラつかせ、この嗜の強い催しに興している。そこにはアッヘンベルの姿も見えた。そして、卑しい笑みを浮かべるこの短髭の隣には彼が……ナスターシャ王が……

腰から力が抜けていき、サチは膝をついた。

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