《お嬢さまと犬 契約婚のはじめかた》日常閑話 嫉妬くん事件

発端は晝下がりに屆いた宅配便だった。

「十五箱でーす」

宅配便の制服を著たおにいさんが臺車で運んできたダンボール箱を次々、玄関に積んでいく。なんだこの量、と葉《よう》はぎょっとしつつ、とりあえず宛名はつぐみだったので、伝票にサインをした。差出人を確認すると、ハルカゼアートアワード実行委員會。現在、つぐみが參加しているコンテスト形式の展覧會の主催者だ。ということは展覧會に関係した送付だろうか。

「つぐちゃーん、なんかたくさん宅配便が來たけど。ハルカゼ展から」

離れに向かって聲をかけると、しばらくしてからつぐみが居間にやってきた。

「ああ、來たんだ」

「どこに置いておけばいい? というか、これなに?」

「嫉妬くん」

「へ?」

「嫉妬くんの関連グッズ」

ぽかんとしている葉のとなりにかがむと、つぐみはいささか手荒にダンボールのガムテープを破いた。そんな破きかたすると爪が傷ついちゃう、と思ったけれど、間に合わなかった。つぐみは不機嫌そうにを尖らせたまま、中の梱包材からステンレスのマグカップを取り出して、眉間の皺を深める。その顔を見るに、つぐみがこれらをしくて買ったようには思えないのだが。

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「えと、まさかこのダンボール箱ぜんぶそれじゃないよね……?」

手近なダンボールを開封すると、やはりずらりとマグカップが詰められている。

マグカップは展覧會の販のために作られた限定生産品で、忌まわしき羽風《はかぜ》が葉を描いた「嫉妬」の絵をデフォルメ化したものが表面にプリントされている。展覧會のショップでこれらが売られているという話は聞いていたけど、まさか自分の奧さんが大量に注文しているとは思わなかった。

「マグカップとエコバッグとステッカーを百個ずつ。限定百個って聞いたから」

「つぐみさん、そういうお金の使いかたはやめよう……?」

おなじサイズのマグカップとエコバッグとステッカーが百個ずつあって、いったいどうするというのだ。一時的にマグカップとエコバッグとステッカー屋さんがひらけてしまいそうだ。先方に謝ってお返ししよう、とダンボールにガムテープをり直していると、「だって……」とつぐみはそっぽを向く。

「君の顔のマグカップに誰かが口をつけてるなんて、想像するだけでゆるせないし、エコバッグもステッカーも誰かの手に渡るまえにぜんぶ焼いてしまいたい……」

「や、焼くために買ったの!?」

いちおう俺の顔なのに!

ちょっと傷つきながら尋ねると、「羽風の描いた葉くんなんて葉くんじゃない」とつぐみはむっとしたふうに言い返す。居間のコンセントにつなぎっぱなしだったスマホを取り、羽風太郎畫のハルカゼアートアワードグランプリ賞作「嫉妬」を表示させる。何度見ても、顔を覆って逃げ出したくなるような、不機嫌そうで、卑屈そうで、いやぁな顔だ。

「葉くんはこういう顔、わたしのまえではしないよね」

「しないに決まってるよ。つぐみさんのまえでだよ?」

そもそも、つぐみのまえで葉が不機嫌になるなんてありえない。

いや、さすがに自分の顔がプリントされたエコバッグを焼き討ちにされると聞いたときには、そんな……とは思ったけど、それでも葉にとってつぐみは世界一かわいくて、なによりも大事なの子なのだ。どんなにかわいげがないことを言っていたって、つぐみが言っている時點でかわいいし、葉はついデレデレしてしまう。

「でも、羽風のまえではしたんでしょう」

つぐみはまたぷいっとすると、マグカップを持ってキッチンに向かった。

冷蔵庫から牛を出し、小鍋にれて火をかける。

「そ、それ使うの?」

「だってわたしのものだし」

ココアの末をマグカップにれると、ぐつぐつ煮えたぎった牛をそこに注いだ。いつもは飲みものをつくるときはついでに葉のぶんもつくってくれるのに、今日はつくってくれない。奧さんがつめたい。

つぐみはマグカップを両手で抱えて、中のものに息を吹きかけた。

「君が嫉妬するのなんて、わたしは見たことない。わたしに婚約者がいた話をしたときも、しゅっとしてぱりっとしてかっこいいってかんじだったでしょう」

「いや、律《りつ》さんはしゅっとしてぱりっとしすぎてて、同じ土俵にあがるのすら恐れ多いというか……」

「ふーん」

つぐみは長い睫を伏せた。

「わたしは君が過去につきあっていたひとたちが並んだら、むかむかして君にいじわるしたくなるけど、君はそうならないんだ?」

「つぐみさんにいじわるなんて絶対しませんー。あと並ぶほどいないからね!?」

「でも、如月《きさらぎ》だけじゃないでしょう」

「……じゃない……けど、そんなたくさんというわけでも……」

踏まなくていい地雷を自ら足で踏み抜いた気がして、ひえ、となる。

ふうん、とつぶやくつぐみの目がさらにつめたくなり、今の話を取り消したくなった。

「何人?」

「えっ?」

「君が過去につきあったひと。何人?」

「さ、三人……かな……」

「ふーん」

「噓です、ごめんなさい、ほんとうは四人です」

つぐみの視線の圧に耐えられず、すぐに白狀してしまった。

なぜとっさに微妙なサバ読みをしてしまったのか、自分でも謎だ。

「わたしは誰ともつきあったことないし、君以外すきになったこともないけど、君はわたし以外にもたくさんすきなひとがいたんだ?」

「……今日のつぐちゃん、いつもよりいじわるじゃない?」

泣きそうになって訴えると、「ぜんぶ君のせいだもん」とつぐみはを尖らせた。

「わたし以外のの子をすきになる君がいけないんだもん」

「君と出會ってからは、君しかすきじゃないよ」

「噓。四月に再會して八月までは如月の部屋に住んでたでしょう」

痛いところを突かれて、ひん、と口ごもる。

そこは誤差の範囲にしてほしかったけれど、つぐみ相手だと無理だろう。

つぐみは子どもの頃、三週間暮らしただけの葉のことをずっと想ってくれていた、らしい。

一秒も忘れたことがない、らしい。

ふつうだったら、ただの熱的で済まされる臺詞も、この子が言うと本気だ。

葉のほうはさすがに一秒も忘れたことがないとまでは言えない。つぐみの存在というのは、長く手が屆かない月のようで、時折空を見上げてはそのまばゆさに目を細め、どこかで輝いていてくれますようにと祈りながら、また自分の日常に戻っていくのだ。そんな存在は葉の人生でつぐみしかいないのだけど、でも現実としてはつぐみ以外のの子と何度もつきあっているわけで、薄そうに言われるとつらい。

うーんうーんと返答で悩む葉を、つぐみの手の中の「嫉妬くん」が小憎たらしい顔で見つめている。こいつのせいで、なぜだか窮地に立たされている。呪いの人形か何かなの?と描いた羽風に八つ當たりめいた気持ちが募っていく。

とはいえ、まずは目のまえのつぐみだ。

ちいさく息をつき、「噓言ったのはごめんなさい……」と素直に謝った。

「そのう、俺は君とちがうから、なんとなくそんなかんじになったら、なんとなく流されてしまっていたというか……そのときは大切にしてるつもりだったんだけど、ほんとは相手にすごく失禮なことをしてたんだなってあとになって反省したりしました……」

以前つきあっていたの子から言われたことがある。

――君はさ、自分ばっかりすきで、空回りして、そういう自分がいやになっちゃうような気持ち、ひとつもわからないでしょう?

そういうみっともなくて恥ずかしい気持ちも、つぐみともう一度出會うまで知らずにいたのだ。

「でも君に対して流されたことはなくて……君といるとみっともなくて恥ずかしいことばかりしちゃうからすごく自分がいやになったりもしたんだけど、でもやっぱりそばにいたくて……そばにいるだけで、もう他に何もいらないくらいしあわせな気持ちになれるから、君は俺にとってとくべつなひとです」

言語化、すごくがんばった気がする!

やり遂げたすがすがしさに満ちた気持ちでつぐみを振り返ると、つぐみはマグカップを手にしたまま固まってしまっていた。みるまに頬が真っ赤に染まり、ふるふるとふるえだす。つい葉が相好を崩すと、「そ、そんな簡単にほだされないから」とつぐみが抵抗を見せた。

「まだいじわるするんだから」

「ふふっ、どんないじわるしてくれるの?」

つぐみが背にしたシンクの橫に手を置きつつ尋ねると、「……どうしてうれしそうなの?」とつぐみは不審そうな顔をした。それから、ぷいっと葉からごとそらしてしまって、嫉妬くんの描かれたマグカップをに引き寄せる。

「わたし、昔律くんのこと、か、かっこいいなって思ってた」

「えぇ?」

「このひとが婚約者で、ど、どきどきするなって思ってた!」

すごくいやそうな顔で一生懸命、元婚約者への賛辭を送るつぐみに、むっとするより微笑ましい気持ちになってしまう。つぐみはぜんぜん男心がわかっていない。律を引き合いに出して嫉妬してもらえると思っているあたりが甘くてたいへんかわいい。「ふうん?」と葉はにこにこして、つぐみを囲うようにシンクに両手をついた。

「どきどきしたの? 俺よりも?」

「それは……ないけど……」

「律さんがすきだったの? 俺より?」

「……どうして急にいじわるなことばかり言うの?」

「君が俺にいじわる言い始めたんじゃない」

「仕返ししてるでしょう」

「そんなことしないよ」

つぐみ相手に仕返しなんてするわけがない。

「でも、そろそろそっぽ向かないで、俺のほう見て」

つぐみがに引き寄せていたマグカップを取り上げて、シンクに置きつつ耳元で乞うと、びっくりしたふうにつぐみは肩を揺らした。そのときにはもう、後ろからつぐみのを囲ってしまっている。顎を取って、おうかがいを立てずにくちづけをしてしまう。最初、戸いがちにくちづけをけていたつぐみは、そのうち自分から応えようとしてくれる。一度離れて、すこし強引だったかも、とどきどきしていると、つぐみは茫洋と瞬きをしたあと、ふわんとわらった。

「――怒った?」

そんなことをうれしそうに訊いてくる子なんていない。

「……か」

「か?」

「かわいくて無理ぃいいいいい」

どうぞもうなんとでもしてください、という気持ちになって、つぐみをぎゅうと抱きしめた。

嫉妬どうこうよりも、結局つぐみのかわいさが何をおいても勝利してしまうのである。

なお、山積みにされた嫉妬くん関連グッズはお詫びとともに返品されたが、「このぶさかわがいい」という子たちのあいだで売れに売れ、のちに追加で三百の増販が決まってつぐみの不興を大いに買ったのだが、それはまた別の話。

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