《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》69話 イザベラだとこうなる(サチ視點)
サチには他の者を気にかける余裕がなかった。食後、しょげ返っているイアンたちを寢室へ案してくれたのはメグだろう。後片付けをしたかどうかの記憶も定かではない。ニーケの話を聞いてから、サチの記憶は飛んだ。
気づくと、ベッドの上で天井をにらんでいた。
十五人のエルフたちを犠牲にしてしまった時と同じ──でもなかった。あの時は完全に思考が停止していた。今はまだ向き合おうとしている。自分のせいでニーケは死んだ。俺がすべきことは? 選ぶ道は? 答えが出るのにそう時間はかからなかった。
サチの気持ちが固まった時、ちょうど彼が來訪した。軽いノック音。イザベラだ。
白いネグリジェに著替えた彼は、さんざん泣いたあとなのだろう。赤い目をしていた。目の腫れをごまかそうとしてか、薄化粧をしている。クルクルした黒髪が白いに映えた。
「わたし、明日には発つわ」
第一聲。ベッドに腰掛け、を寄せてきたのでサチは離れた。
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彼もサチと同じく、なんらかの決心をしたようだった。黒い瞳には確固たる決意が宿っている。
「ニーケ様のことで、自分を責めてるんでしょう?」
サチは答えなかった。イザベラはまたを寄せてくる。サチは座る位置をずらした。
「なんでも自分ができると思わないことね。それこそ驕っているのよ。あなたはあの時、自分を守ることで一杯だった。ニーケ様のことを気にかける余裕はなかったはず。咎があるとしたら、助けに行ったわたしたちのほう。わたしたちは勝手にニーケ様は大丈夫だと思い込んで、考えることを怠った」
──俺が驕ってるって? そう見えるのだろうな。そのとおりだ。なんでもできると余裕綽々で過ちを犯す。冷徹なふりをして、じつは的。ちっぽけな蟻が尊大に振る舞っているだけだ。
イザベラはしつこくを寄せてくる。サチも負けてはいない。逃げる。とうとうベッドの端まで來てしまった。
「ディアナ様がカンカンに怒ってるって。ユゼフがグラニエさんを通じて伝えてきたの。わたし、帰らないとガーディアンの契約を解除されちゃう。ま、當然よね。守人としての責務を放棄して、あなたのことを探してたんだから。だからわたし、明日には帰らないといけないの」
「そっか。気をつけてな。俺のことはもう、気にしなくていい」
イザベラは腰を浮かし、サチの橫にピッタリくっついて座った。移しようとするサチにはあとがない。イザベラと壁に挾まれる。顔をそらそうとしても、イザベラはのぞき込んでくる。
「泣いたっていいわ。わたしの前ではを抑える必要はない。け止めるし、けれる。めになるなら、なんでもするわ」
サチはイザベラの両肩をつかんだ。彼がキスをしようとしたからである。
「イザベラ、最後だからはっきり言っておく。俺は……」
「臣従禮を解除しに行くんでしょう? あなたがサウルの生まれ変わりだとしても、危険にはちがいないわ。死ぬかもしれない。でも、行くのでしょう。わたしは止めない。その代わり、契ってほしいの。わたしに、あなたのしるしをちょうだい。あなたのだとに刻み込んでほしいの」
まっすぐ見合っても、イザベラは目をそらさなかった。サチの視線に曬され、堂々としていられるのは清廉な証拠──と言いたいところだが、イザベラの場合はちがう。その目から滲み出るのは狂気である。イザベラの自分に対するがというより、執念に近いことをサチは気づき始めていた。
見つめ合って、ひるみそうになったのは恐怖心に駆られたからだ。だが、逃げるべきではないと彼を見據えた。
──本當に愚かだな、俺は。好かれていると、浮かれている面もあったかもしれない。けど、こいつのは……
しでも気が緩めば、イザベラは背中に手をやって、ネグリジェの紐を解こうとする。サチはその腕をつかんだ。
「服をごうとするんじゃない。恥ずかしくないのか? 淑の行いじゃないだろう」
「あなたの前では汚い雌犬にだってなるわ」
「男はどれも同じだと? 仕掛けですれば、簡単に自分のになると思っているのか?」
「ちがうわよ! 誰にでも同じようにすると思ってるの? あなたにしか捧げないわ」
「だとしても、ふしだらにはちがいないだろう」
「ふしだら……」
言い過ぎたとはサチも思った。しかし、遠慮して曖昧な態度をとっていたのがいけなかったのだ。互いのためにも、きっちり本音を伝えようと思った。
「あのさ、イザベラ。今まで誤解される態度をとってきた俺も悪いとは思う。君には相當世話になってるしな。百日城では君の助けがなかったら、乗り切れなかった。それは心から謝してる……」
「蓬萊山でも……」
「そうだな、蓬萊山でも世話になった。君がいなかったら俺は死んでたし、命の恩人だよ」
「六年前も……」
「そう、六年前も寢たきりの俺を介護してくれたんだよな。アスターさんが俺を見捨てて置き去りにしようとしたが、君は頑として聞かなかった。知ってるよ。その後、百日城で囚われた時も、ユゼフと協力して俺を助け出してくれたのだろう? 全部聞いてる」
イザベラは瞳を潤ませ、を上下させている。ある種の期待を持っているのがうかがえる。これから殘酷な言葉を吐くのは、ためらわれた。
「俺のことを何度も助けてくれた。それに君は俺とは不釣り合いな人だし、好いてくれたら悪い気はしないよ。百日城にいる時は好きになりかけていたかもしれない。ディアナと結婚するから、気持ちをけれることはできなかったんだけど……」
「それは仕方のないことよ。私は公妾でも構わない。ディアナ様も了承してくださっている」
「それってどうなのかなぁ……あの城にいる時は俺もちょっとおかしい狀態だったから、君に対して一時的にそういう興味を持ったこともあった。正直に言うよ。俺にだってはある。綺麗な人にされたら、的なことをしたいと思ったりもするさ」
「別に嫌じゃないわ。むしろ嬉しい」
「でも、それはとちがう」
殘酷な言葉は彼の心を切り裂いただろうか。愕然とするイザベラを前にサチは目をそらさず続けた。
「俺はディアナと結婚しないし、主國へも帰らないよ。王子という分も捨てる」
「……どうして?」
「ニーケのことで気持ちが固まったかな。俺が出ると、ろくなことにならないんだよ。六年前もでしゃばってイアンを助けたけど、俺がけばくほど事態は最悪になっていった。剣大會もそう……これはイザベラは知らないか。掻き回すだけ掻き回して、周りの人間関係もグジャグジャにして自分の正義を振りかざす。暴君だな? 俺は無能なんだよ。王にも王配にもなる資格はない。もともと庶民だし、王侯貴族の世界はふさわしくなかった。俺は自分の能力に見合ったことをするべきだと改めて思った。俺のせいで命を奪われた人たちに償えるかはわからないけど、自暴自棄になって敵討ちしようとしたり、自死するよりマシだと思う……」
膝の上に置いた手がぬくもりをじる。サチの冷たい手にイザベラの手が重ねられる。サチはその手を払いのけた。
「俺はここで暮らしていこうと思ってる。小さな診療所を開いているんだ。そこでなら、俺もしは役に立てる。父親にはいろいろ思うところもあるが、けれると言ってくれてるし、これが俺にとっても皆にとっても一番良い選択なんだと思う。ディアナのことはユゼフに任して大丈夫だろう。途中で投げ出してすまないと、ディアナには伝えておいてくれ。俺はそれなりに元気だから、忘れてくれていいと……」
「そういうことだったのね……」
不意にイザベラは遮った。瞳にはメラメラと怒りの炎が燃え上がっている。鳥が立つほどの……サチはをこわばらせた。これが、ひるまずにはいられようか。ザカリヤを怒らせた時……いや、それ以上の殺気……
「あの人でしょ? あのピンクの髪のクルクルした角の人。どうせ、あの人の近くにいたいとか、そういう理由でしょ?」
なんという勘の鋭さだ。この短時間でメグのことに気づいてしまうとは──
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