《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》72話 バカ対アホ①(サチ視點)

獣の目になったイアンは地面を蹴った。フワッと軽く、見えないロープでも付いているかのごとく跳ぶ。並外れた跳躍に観客は沸いた。ザカリヤのほうがわずかに遅かったか。翼を広げ、上昇中にイアンを迎え撃った。

刃が響かせる高音に観客のび聲が重なる。空中でイアンとザカリヤは激しく打ち合った。見ているほうが呼吸を忘れてしまうほどの凄まじさだ。ザカリヤの黒い剣とイアンのアルコは濃い瘴気を飛び散らせた。

元はエゼキエル王の剣だったアルコは魅的だ。なんというか、エロティック。常に濡れて見える刀は乙の肢を思わせる。揺れく波紋は舞っているかのよう。視線を吸いつけ、離そうとしないその姿は魔だ。

──記憶にないんだが、俺は現世でもあの刀に貫かれているんだよな

サチはアルコの妖しさに震いした。黒曜石の城でエゼキエルにを乗っ取られた時、ユゼフに刺されたと聞いている。

──考えてみたら、現世でも何回かユゼフに殺されかかってるな。あいつ、イアンより最悪かも

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六年前、イアンの謀反に居合わせた時、グリンデルから援軍が來てサチは窮地に立たされた。援軍要請をディアナにさせたのはユゼフだ。オートマトンに襲われたあと、シーマの放った無頼漢にサチは殺されるところだった。ユゼフの守人ティモールにも襲われたし……

──いい度してるよな、あいつ

もう、そろそろ著くころだろうか。サチは頬を緩ませる。ユゼフに會うのが楽しみになってきた。

バカ対アホの戦いは始まったばかりだ。空中戦が不利なイアンはザカリヤを蹴り飛ばし、著地した。ザカリヤは即座に勢を立て直し、向かってくる。イアンは地上でけた。

「イアン・ローズよ! なかなかやるではないか! このザカリヤをもっと、もっと楽しませてくれ!!」

ザカリヤは嬉々として剣を振るっている。やはりアホ。イアンもイアンで、

「くくく……俺はまだ半分も力を出していない。上から目線はやめろよ? 吠え面かくのはおまえなんだからな!」

笑っている。まったく、こいつらは命のやり取りをなんだと思っているのか。呆れも苦笑いも通り越して、もはや清々(すがすが)しい。

上方から一気に振り下ろす、薙払ってから燕返し。今度は袈裟斬り、振り下ろしてから振り上げる。連続して突く。イアンもザカリヤも剣舞を舞っているかのようにきがらかだった。すべての作が連続しており、斷たれることは決してない。たちが溜め息をもらすのもわかる。とてもしい。

「素晴らしいです。私は目で追うのがやっとなんですが、二人の剣技はしい。魔人だからとか関係ないです。洗練された技がまず完璧なのですよ」

サチの隣で嘆するのはグラニエ。目を輝かせている。この騎士の鑑がそう言うのだから、間違いない。嫌悪するイアンのことも純粋に評価している。

「イアン君の普段の言は目に余るものがありますが、戦う時の姿には惹きつけられますね、ザカリヤ様もしかり」

グラニエの口調から、ザカリヤの暮らしぶりがバレているのは明白だった。隠そうとしたところで無駄だったのだ。

「落ちぶれた父には幻滅しただろう?」

「いいえ。戦う姿は戦神そのもの。憧れていたとおりでした。サウル様のお父上としてふさわしい方です」

強ければ、これまでのことはすべてクリアーされてしまうルール。サチはどうも納得できないのだが、グラニエが落ち込まずにいるので良しとした。

「ザカリヤ様に思うところがあるのはわかります。サウル様は潔癖ですし、れられない面もあるでしょう。ですが、誇ってもいいのですよ。それだけ、すごい方なのですから」

「俺はザカリヤを……父のことを嫌ってはいないよ。変わってほしいと思うけど、そのままでいてほしいところもある。だから──」

「ここに居続けたいと思われるわけですか?」

サチは言いかけ、口をつぐんだ。グラニエには見抜かれていたようだ。主國に戻る気のないことは。

「まあ、その話はあとでいたしましょう」

戦いは佳境にった。激しい打ち合いから転じて、漂うにらみ合いへと変わる。息をするのさえ、厭われる靜けさに包まれた。どう出るか互いにうかがっているのだ。

ゴクリ……生唾を飲む音が気になる。軽口を叩ける狀況下ではない。イアンは今にも元へ噛みつかんと三白眼を向ける。ザカリヤも上目でイアンをにらみ返す。くのは瞳だけ。微風に長い睫が揺れる他は微だにせず。

先にいたのはザカリヤだった。イアンは剣でけず、ヒラリかわした。風に吹かれる柳。いや、紙切れか木の葉か。とにかく軽い。避けたあとに繰り出した突きは外した。わざとだ。アルコのしい刀はザカリヤのを貫かなかったが、代わりに白い翼を貫いた。これでザカリヤは飛べない。

ザカリヤの顔が歪む。それでも、飛び上がったイアンの攻撃をけようと構える。だが、イアンが狙ったのはまた翼だった。なんと!……ざっくりと上から斬り落としてしまった。

無論、イアンとて無傷ではない。翼を斬り落とす直前はが、がら空きになる。かろうじて逃げたのだろうが、斜めに淺く斬られた。

ザカリヤの翼が斬られたことでたちは悲鳴を上げた。

また両者離れて見合い、仕切り直しだ。

「やってくれたな、イアン・ローズ! だが、貴様の傷のほうが深いだろう。翼をなくしても俺は飛べるし、犠牲を払ったのは過ちだ」

「ふん。過ちかどうかは俺が決める。ちょっと斬りつけただけでいい気になるなよ?」

イアンは別に負け惜しみを言っているわけではなかった。斜めに斬られた所から黒い靄が放出され、急速に治癒していくのが見える。サチは戦慄した。

──恐ろしい……イアンの奴、どんどん人間離れしていくな

グラニエも同様の想を抱いたようだった。

「ユゼフ殿もとんでもないことをしてくれたものだ。イアン君は人格に問題がある。大きな力を與えるには危険過ぎる存在だ」

サチも同じことを思ったが、同時にこうも考えた──イアンなら大丈夫なんじゃないか、と。しょうもない奴にはちがいない。しかし、目をキラキラさせて剣を振り回す姿はあまりに無邪気で、みどろの修羅場を渡ってきたとは思えなかった。純粋に戦いを好んでいる。

そして、イアンを応援する妖族や魔族たち。いつの間にか集まってきたオーディエンスの八割がイアンに魅せられている。かつての英雄だったザカリヤを上回るカリスマだ。イアンには人を熱狂させる何かがあるのだ。蓬萊山の時もそうだった。奇妙なことに、いつも場の空気がイアンへと染め上げられる。

──おかしな話だよな。バカだし、正義からはほど遠い奴だよ。それなのに……なにかを期待してしまうんだ

サチはワクワクしていた。イアンが笑う。口の片端を上げて、八重歯を見せる獨特の笑い方。ヒーローや男子の笑い方じゃない。あれは百パーセント悪役だ。

「いっけぇーーーっっ!!! イアン!! 負けるな!!」

サチは思わずんでいた。

イアンが地面を蹴ると黒い風が起こった。イアンは風をまとい、それを盾とする。小さな嵐はぐるぐる渦巻き、イアンの姿を見えなくしてしまった。離れていても、それが鋭い刃の集まりなのだとサチにはわかった。れただけで、皮が切り裂かれるだろう。

猛烈な旋風をまとったイアンに立ち向かうザカリヤ。こちらは紛うことなき勇者の立ち姿だ。黒い魔剣はひと回りもふた回りも大きくなる。

二つの邪悪がぶつかり合った。

イアンの旋風がザカリヤの全を切り刻む。赤いがザカリヤの白い頬を濡らした。刃がかち合うたびに大地が揺れる。地面はひび割れ、空まで揺れた。

空が……あれ?

厚い雲が千切れ、青空がのぞいているではないか!

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