《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》75話 イアンのもてテク(サチ視點)
翌朝、サチはグラニエとエドを見送った。
別れるまえ、ごくごく自然にサチはエドを抱擁した。を包む香りや気が自分と似ている。やはり兄弟なのだと目頭が熱くなった。グラニエは定期的に訪ねてくるそうだが、エドは気軽に來ないほうがいいだろう。魔國はエドにとって危険な場所だ。だから、會うのはこれが最後になるかもしれない。
「じゃあな!!」
未練を斷ち切るため、サチはサッと離れて明るく別れを告げた。
無表のエドから気持ちを読み取るのは困難だ。最後くらい、笑うか泣くかしてほしかったのに。サチは、グラニエとエドが豆粒くらいの大きさになるまで見送った。
ユゼフからの連絡はまだない。グラニエの話では一日遅れで発つと言っていたそうだから、もう著いていてもおかしくないのだが。
今日は娼館に出勤する日である。サチはイアンを連れて、屋敷に隣接する虛飾の城へと向かった。
イアンを連れたのは致し方なく……。グラニエもエドもいない狀況下、屋敷に殘して置くのが心配だった。サチの留守中にザカリヤと喧嘩されては困る。
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娼館にったイアンの反応の良さといったら……
一歩、歩くごとに「すげぇ!」を連発する。當然、こういう店にるのは初めてだったので大興していた。貓科亜人タイガはイアンの存在に引きつつも、いつもと変わらぬチャラさで話した。キジ模様の尾を機嫌よく揺らしているので印象は良し。
「あー、さっちゃんの友達のイアンちゃんね。話は聞いてる。昨日、ザカリヤ様と戦ったんだって? すげぇなぁ……で、今日は手伝ってくれるってことだけど、イアンちゃん、接客とかできる?……ん、なんか無理っぽそうだよね。じゃあさ、雑用で悪いんだけど、奧の帳簿の整理でもお願いしよっかな。それと手が空いた時、お客様に飲み出してほしい」
あとはテキパキ指示を出し、イアンからの質問を待つ。イアンは飲みの作り方や、他にできることはないか尋ねた。それ以外にもいろいろと聞きたいことがあるらしく、タイガを質問攻めにした。
「あのさ、こういう店って客として來た場合、どれぐらい金かかんの?」
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「それはなぁ、お客さんによるけど……」
タイガは言い淀んだあと、イアンの耳に口を寄せてゴニョゴニョ話した。
「えぇえええっっ!? そんなに!?」
「んー、だいたいそんなとこかな。うちの店は綺麗な子しかいないし、高級店だから。イアンちゃんも遊びたいと思うんなら出世しないとなー」
「い、いや……俺はこんなとこ利用しなくても、充分モテるし」
「まあ、素人とはちがうよ。今言った金額はスタンダードだからね? オプションつけるともっといくかなぁ」
「オプション? オプションってどんな?」
「えっとぉ……いろいろあんだけど、イアンちゃんはたぶん知らねぇかなぁ……」
また、タイガはイアンの耳に口を寄せる。
「え!? そんなことすんの!?……あ、いや知ってるけど、それぐらい……」
「あとな、こういうのもあんぞ……ゴニョゴニョゴニョ……」
タイガとイアンはすぐに打ち解けた。屬的に近いものがあるのだろう。出會った數分後には仲良く笑い合っていた。イアンは貴族社會より、気取らない民のなかにいたほうがうまくいくのかもしれない。
イアンは文句一つ言わず、命じられた雑用をこなした。
──こういう所はちゃんとしてるんだよなぁ
じつは馬鹿ではないんじゃないかと、サチは思うこともある。イアンは責任を與えられると、真摯に取り組めるのだ。ローズ時代も領地の管理をまじめに引き継ごうとしていた。教會で五年間やってこられたのもうなずける。世間知らずの若殿だったとは思えぬ適応力だ。娼館という刺激の強い場所だからと心配していたのは、杞憂に終わった。
しかし、サチは面白くなかった。娼婦たちがやけにイアンをチヤホヤするのである。
「イアン、昨日はごめんねぇ。ザカリヤ様の応援してたけど、許してぇ」
昨日のアレを観戦していたのか。こんなことを言ってくる娼婦もいる。
「イアン、こっちおいでよ。甘いあげる」
「さっちゃんみたいに耳つけてあげようか?」
「ジャボがズレてるから直すよ」
「髪の黒いところ、切らして」
イアンの肩をんだり、ボディタッチもする。娼婦のなかには蒸し風呂に一緒にって、垢りしてやろうかと言う者までいる。いつもサチのそばに引っ付いているウサちゃんまでもが、イアンの手伝いをしようとあとをついて回っているのだ。
──イアンの奴、俺の居場所を完全に奪ってないか
本當にそう。サチがしていた恩恵をイアンがすべて奪っている。たちはイアンに夢中でサチには目もくれない。
──なんだか腹が立ってきたぞ
休憩時間には不機嫌がピークを迎えていた。
サチはイアンと従業員用の休憩室で休んだ。タイガが一人、ロビーに立ち接客する。たちは部屋までってこず、二人きりだ。仮眠ベッドとテーブルと椅子が狹い室に押し込まれている。この部屋だと高長のイアンがいつもより大きくじられた。
サチとイアンはちょっとした軽食をとった。種なしパンで野菜と薫製をクルクルくるんだピタと、甘くないドゥーク(ヨーグルトの炭酸ジュース)。空いているの子が弁當代わりに作ってくれたものだ。簡単だけど、すごくおいしい。強めに効かせた胡椒とハーブ、との相は抜群だ。わずかな塩気だけの種なしパンとドゥークは淡白だから、濃い味の材によく合う。
サチは口の端にソースをつけ、黙々と食べた。本能で生きるイアンは人のに敏だ。
「なんだよ? ムスッとしてじ悪」
「イアンって昔からそうだよな? まえから思ってたんだけど、それワザとだろう?」
「なにがだよ?」
「俺は學生時代から知ってるんだよ」
サチの脳裏に浮かぶのは、家來を連れ歩きエラそうにふんぞり返るイアンの姿である。三白眼で威圧すれば、誰もがみあがって道をあける。逆らう者には拳を振り上げ、気にらないことがあると大暴れ。サチはイアンのことが大嫌いだったのだが、この暴君が一聲かけるだけでいじめっ子たちの暴力は収まる。このクソ嫌な奴がなぜ自分をかばうのか不思議だった。サチが安全圏であるイアンのそば、家來たちに混じっていたのはやむを得ずだ。別に好きで一緒にいたわけではなかった。
イアンの家來には何人か男子がいる。
普段、カオルは眼鏡をかけ、顔の下半分をスカーフで隠していた。しかし、何かの拍子に顔を隠す布が取れてしまったりもする。たちはそれを目ざとく見つけた。
そして、ウィレムという口と顔だけで世の中を渡ってきたような、軽薄な奴も近くにいる。こういう男子に一人のが聲をかけたとたん、示し合わせていたかのように次から次へとが集まってくる。あっという間に華やかなハーレムのできあがり。
サチは縁遠いその世界をぼんやりと、遠巻きに眺めているだけだった。他の年たちもそうだろう。選ばれた者の世界へ割ってろうとする強者はいない。ただ一人、イアンを除いては。
イアンはモテる家來がに囲まれると必ず割ってっていった。くだらない話に大げさなアクションをして楽しそうに笑いながら……の髪や手、服、裝飾品を譽める。すると、あれ? あれ? あれれ!?
カオルやウィレムはうしろへ引っ込み、さっきまで彼らが立っていた所にイアンがいる。イアンがの子たちに囲まれ、チヤホヤされる狀態が簡単に作りだされるのだ。イアン=モテモテ人気者となる。イアンはこれを実にさり気なく、気づかれないようにやってのけるのだった。
──なんてセコい奴なんだ!
と、サチは思った。イアンはローズ時代もずっとこういうことをして、モテモテだったのである。
「俺以外は気づいていたか知らないけど、カオルとウィレムはわかってたと思う。イアンはズルいよ」
口の端のソースを指で拭いつつ、サチはピタを包んであった蝋紙をクシャクシャに丸めた。イアンは誰にも気づかれないはずだったセコい行為を指摘され、狼狽している。
「えぇ?……そんなことあったかなぁ? いや、ワザとじゃない、ワザとじゃないとは思う……」
たどたどしく答える様子からわかった。確信犯だ。サチは半目でイアンをにらんだ。
しかしながら、馬鹿らしい追求はここまでとなった。休憩時間の終わりにはまだ早かったが、タイガがヌッと姿を現したのだ。
「タイガさん! 驚かさないでくださいよ! 気配消して盜み聞きなんてタチ悪いなぁ」
「すまねぇな、さっちゃん。話は全部聞かせてもらった。イアンちゃんは悪くねぇよ」
突然現れたタイガはイアンの肩を持った。むろん、サチは納得できない。
「む……タイガさん、なんで……? イアン、ズルいでしょ、セコいでしょ?」
「いやな、さっちゃんは知らねぇだろうけど、イアンちゃんのしたことはれっきとした技なんだよ。ちゃんと技名もある。すり替わりのといってな……な、イアンちゃん?」
振られたイアンはコクコクと首肯する。言わぬのは、口の中がピタの材で一杯だからか。タイガは話を続けた。
「イアンちゃんの技はかなり高度な技を要する。普通の奴にはできねぇ努力と才能の結晶なんだよ」
「そーだ、そーだ。全然セコくなんかないんだからなっ! そんな胡散臭そうな目で見るんじゃないっ!」
ゴックン、薄い種なしパンとソースとハーブ、香ばしいを飲み込んだイアンは言い返した。
タイガが味方についたことで、イアンは開き直っている。サチからすると、イアンはイケメンのをかすめ取っているようにしか見えないのだが。タイガの言う技名とか噓臭いし、イアンが何かを努力しているとは到底思えなかった。
「さっちゃん、魚ってキラキラしたものが好きだろう。イアンちゃんのそのイケメンの友達っていうのは擬似餌みたいなもんなんだよ。の子を集めるのはそう簡単じゃねぇ。こういう擬似餌を使って引き寄せるんだ。釣りや狩りはセンスやテクニックが必要だろ? ぼんやりしてたら獲は逃げちまう。を得るのだってそうさ。いいは技を磨かなきゃ、手にれられねぇんだよ」
まくし立てるタイガの言い分は筋が通っており、説得力があった。口を挾もうにも、挾ませる余地を與えない。タイガは見た目と雰囲気がチャラい反面、理屈付けるのが得意だった。
「モテる奴はだいたい見えないところで努力してる。なにもしないでモテる奴なんか、めったに存在しねぇよ……あ、ザカリヤ様がいたか。ザカリヤ様は特別だ。とにかく、ああいう神レベルは置いといて、さっちゃんは顔とか金とか分、経歴だけでモテると思ってんの? 楽してモテるなんて、あり得ねぇからな? なにも頑張ってない奴が、ひがんで『ズルい』だのなんだの言うんじゃねぇよ? モテねぇのは全部自分が悪ぃんだ、人のせいにすんなよ?」
「う、うぅ……」
啖呵を切られ、結局サチは何も言い返せなかった。
「さっちゃんは素直でかわいいところが持ち味なんだから、それを生かせばいいじゃん。僻(ひが)むのはみっともないからやめろ」
「わかった。ごめんな、イアン。イアンが羨ましくて妬んでた」
サチは率直に詫びた。タイガはそれを見て満足したのか、「よしよし」とサチの肩を叩く。
タイガが話している間にイアンもピタを食べ終えた。休憩時間は終わりだ。そこで、はたとタイガは自分の頬を打ち、懐から筒狀の紙片を取り出した。
「そうそう、さっちゃんたち、文が屆いてたぞ。例の友達からかな? なんなら早めに上がってもいいぜ」
タイガがやってきたのはこれが理由だった。差し出された文には、ヴァルタン家の紋が押されてある。ユゼフからだ。
【書籍化】解雇された寫本係は、記憶したスクロールで魔術師を凌駕する ~ユニークスキル〈セーブアンドロード〉~【web版】
※書籍化決定しました!! 詳細は活動報告をご覧ください! ※1巻発売中です。2巻 9/25(土)に発売です。 ※第三章開始しました。 魔法は詠唱するか、スクロールと呼ばれる羊皮紙の巻物を使って発動するしかない。 ギルドにはスクロールを生産する寫本係がある。スティーヴンも寫本係の一人だ。 マップしか生産させてもらえない彼はいつかスクロール係になることを夢見て毎夜遅く、スクロールを盜み見てユニークスキル〈記録と読み取り〉を使い記憶していった。 5年マップを作らされた。 あるとき突然、貴族出身の新しいマップ係が現れ、スティーヴンは無能としてギルド『グーニー』を解雇される。 しかし、『グーニー』の人間は知らなかった。 スティーヴンのマップが異常なほど正確なことを。 それがどれだけ『グーニー』に影響を與えていたかということを。 さらに長年ユニークスキルで記憶してきたスクロールが目覚め、主人公と周囲の人々を救っていく。
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